PSYCHO-PASS PROVINCE 感想

PSYCHO-PASS PROVINCE を見た感想です。PROVINCEに直接関係ない内容の方が多いかも。長々と素人の感想を述べます。ネタバレも含みます。

PSYCHO-PASSとロボットとホロ
 PSYCHO-PASが好きでシリーズを通してみている。キャラクターとかストーリーの魅力はもちろんなんだけど、私はSFの部分に強く惹かれる。
 一つは、ロボットが不自然に多く出てこないところ、昔のSFだと、何でもかんでもロボットにやらせている未来像があったりする印象なんだけど、PSYCHO-PASSシリーズはそんなにロボットは出てこない。出てくるのは、公安局のドローン、格闘用・ボディーガード用のロボット、戦闘用のドローン(機動力が追加された戦車にAIが載っている感じのやつ)ぐらい。家事やらなんやらを全てロボットにやらせていないところがリアリティがあるなと思う(リアルでなくてリアリティ、本当にあるという意味ではなく、リアルっぽいという意味で使ってます)。
 実際のロボットを開発していて思うのは、ロボットはそんなに万能では無いし、何より値段が高いということ。もちろんそれらの問題が解決されたという未来を描くことも全然アリなんだけど、近未来SFだと、ちょっとリアリティが薄いと感じてしまう。最近の大規模言語モデルの進化でロボットが賢くなることはあるかもしれないけど、人間並の柔軟なハードウェアを備えて、かつ、その体を使いこなせるロボットが開発されるのは、まだまだ時間がかかりそうだし、実現したとして、かなり高額になると思う。何より、人がいる以上、高いコストをかけてロボットに置き換えるメリットがあまりない。これは、現実で起きていることでもあるし、PSYCHO-PASSに限らず、かなりの数のSFでは貧困層や低所得者層がかなりいることが作中で示唆されているので、それらの人がロボットより高価だとは考えづらい(もちろん作業の正確性など、ロボット導入のメリットはあるが、そのメリットがロボットのコストに勝るかという問題)。そういう意味でも、必要なところやお金があるところにだけ高価そうなロボットが使われているPSYCHO-PASSの近未来像がリアリティがあると感じた。
 そして、何でもかんでも自動化したり、ロボットを導入したりする代わりに、PSYCHO-PASSの作中では、ホログラム(作中ではホロと呼ばれている)がよく出てくる。家や街中で大量に使われているし、事件のトリックにも使われている。これも合理的で、ハードウェアを変更するのはいちいちコストがかかるが、ホログラムの映像を差し替えるだけなら、データを変えるだけなのでコストや手間がかからない(データ自体が高額ということはあって、そこで貧富の差が出ているのかもしれない。あるいはホロ全盛の時代だから、金持ちがあえて実物を買うとかもありそう)。ハードを最小限にすることで製造・保守などのコストを抑えつつ、本当に必要な部分にだけロボットを使うというSF像は繰り返しになるがリアリティがあると感じた。

主人公シビュラシステム
 ネットで検索すると、2期や3期の評価が低いレビューをみたが、私はどちらもも面白いと思う。低評価を見ると、1期の魅力的なキャラクターが退場したり、出てこないことに不満があるようだった。キャラクターの魅力、という意味では槙島聖護が魅力的で、常守朱と狡噛慎也のバディが魅力的である、っていうのもわからなく無い。ただ私はPSYCHO-PASSの主人公はシビュラシステムだと思っているので、そう考えると、

  • 1: 自己紹介的内容

  • 2: 集合的サイコパス

  • 映画版: 海外輸出

  • 3 + ファーストインスペクター: AIのサイコパス

  • PROVINCE: シビュラシステムと法律の関係(1の問題のスケールアップ)と紛争係数の導入

と各作品を通じてシビュラシステムの変化がわかりやすくテーマになっているように思える(もちろん、他のテーマもあって複合的なことがこの作品の魅力だとは思う)。
シビュラシステムというこの作品の根幹をなす部分がちゃんと各シーズンごとに進化・変化しているので、SF作品として私は楽しめている。個人的には、今後はシビュラシステムがどのように導入されたかを描くエピソード0的な外伝作品が見たい。多分、そこが一番技術的にも政治的にも大変だから。

生成系aiとシビュラシステム
 2023年現在、Chat GPTやStable Diffusion代表される生成系AIが大きな注目を集めている。その有用性は疑う余地がなく、いろいろな作業が効率化されたり、大きくその作業工程が変わることは、ほぼ間違いないと思う。ここで生成系aiの話をしたのは、この大量のデータを学習したAIがシビュラシステムとは対極にあるように思えるから。生成系aiはインターネット上のデータを大量に学習したモデルを用いて、入力に対して、最もそれらしい何かを出力することができる。大量のデータを読み込むこととそのデータをもとに学習されるモデルを大規模化することにより、その精度が上がり、実用レベルになったこと、またそれを誰でも利用できることで、大きな注目を浴びた。
 一方のシビュラシステムは、作中ではAIとされているが、その実際は免罪体質者と言われる特殊な体質のものたちの脳を並列に接続することで、人のサイコパスを測るシステムだ。作中においては、シビュラはある種の神のようになっていて、人々はシビュラに判断された適性に基づいた仕事について、シビュラに潜在犯と判断されれば拘束される。生成系aiと全く違うアプローチをとるシビュラシステムは、作中でaiと呼ばれてはいるが(実態を隠匿しているせいもある)、ある意味現代的なaiを否定しているように思える。
 現在の生成系aiがインターネット上のデータを学習している、つまりある種の人類の集合知から物事を判断しているのに対して、シビュラシステムは一部の特殊な人間たちによる判断だ。人間の集合知に従えば、ある種ポピュリズム的な判断になるし、ポピュリズムが惨事を起こし得ることは歴史が証明している。Chat GPTなどは、そうならないようにいろいろ対策をしているようだが、対策にも限界があるように思う。インターネット上に溢れる悪意や無意識の悪意や無知を学習したaiを政治的判断を任せることは危険であるように思う。そういう意味では今の生成aiをシビュラシステムのような、神のような存在にすることは考えずらいし、してはいけないと思う。もちろん、そう思ったところで、流れは止められないかもしれない。おそらくは、PSYCHO-PASSの常守朱のように、その有用性を理解した上で、うまく共存していく術を模索していくしかないのだとは思う。
 ただし、生成系aiという、この知能のように見える何かが、人間の知能と同じかどうかはわからない。人間はもっといろいろ考えたり・違うアプローチで知能的な振る舞いをしているかもしれないし、さらに学習データやモデルを大規模化していったら、生成系aiは、本当に人間と同じように考えるようになるかしれない。もし、生成系aiの先に人間の脳と同じ仕組みがあるのであれば、その先にシビュラシステム的な何かが生まれる可能性も否定はできない。さらに言えば、人間と同じ知能を目指す必要があるのかどうか?という疑問も当然ある。

憑依とシビュラと神
 PROVINCEの敵である砺波はdividerという装置で隊員に憑依をしている。作中の唐之杜志恩と狡噛慎也の会話の中で、人間と動物の違いは自身を客観視できるかどうかであり、それを人は自らの中に神がいるといえると話している(正確じゃないので、もう一回みたい)。そしてdividerを用いてその部分を切り離し乗っ取ることで、砺波はその人物に憑依をして操っている。そして、それは、神の指示に従うがままに行動をする宗教的な興奮の科学的再現であるとも語られている。
 この神(砺波)の指示に従って何も考えずに行動するというのは、ドミネーター(シビュラ)の判断のままに潜在犯を執行する監視官や執行官と非常に良く似ている。作中の常守朱や慎導灼は、そこに疑問を持ち、シビュラシステムと対立しながらも協力して犯人を追い詰めているわけで、作中の神(=シビュラ)に疑問を示す、味方側の数少ない人物である。その常守朱の敵キャラとして、シビュラと似たシステムを用いて犯罪を行う砺波とピースブレイカーという敵は、1のテーマをスケールアップした10周年の映画作品としては、すごく良く出てきているんじゃないかなと思った。

移民問題
 3のメインのテーマの一つだった移民問題がPROVINCEでも取り上げられている。難民・移民問題については、「攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG」の頃から、取り上げられている(知らないだけで、もっと昔のSFから取り上げられているのかもしれない)。その頃から何も変わっていないというかむしろ退化しているのではないかというような状況が現実の日本では続いている。現在の日本はそもそも難民を受けれすらしていないという状況なのだが、難民受け入れや移民排斥を訴えている人はこういう作品を見たときに、どう思うのか、というのは単純に気になる。
 法律を遵守しようとする常守朱の態度や難民・移民問題などを見ていると、時事問題・現代の社会に対する問題提起みたいなものも作品の中には含まれているのかなと思った(批判と言うほど強く直接的ではないし、作品のノイズにはならない程度だとは思う)。

その他
 そのほかの感想として、3の雑賀先生の不在、公安局の局長の交代、人殺しの監視官、などなど時系列が逆にも関わらず、ちゃんといろんな疑問に答えを出していたのがすごかった。最後、常守朱が、禾生局長を撃ち殺すことによって、法務省の解体を防いで法律の存続させることのきっかけを作ったのは、テロであり、法を遵守することにこだわっていた常守朱がそれを行ったということの重みが違う。1の時から狡噛が犯罪を犯すのを身を挺して止めようとしていた常守朱が自ら法律を犯すことで、法律というシステムを守るという結末は、大き意味・作品の転換点になるのではないかと思う。ただ、禾生局長はシビュラの端末でしかなく、殺人にはならないので、重い法律違反にはならないかもしれない(器物損壊罪?)。そして、だからこそ朱の色相がクリアなままなのかもしれない(世間は、それを知らないので殺人だと認識している。端末とはいえ、脳が入っているので、その部分が破壊されていれば、ある種殺人と言えるかもしれない)。
 犯罪に手を染めて、テロを起こしてまで目的を達成しようとする姿勢は、私には少しだけ元首相の暗殺事件を彷彿とさせた。移民問題も含めて、創作は完全には現実から自由にはなれず、現実の問題を連想させる(もちろん、私のただの考えすぎかもしれない)。そういう意味では、現実を生きる我々も当事者である。

ダラダラと書きましたが、PROVINCEがすごく面白かったので、また見たいっていう話でした。

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