すずめの戸締まり 311の映画です

作品としては面白かったが、
エンタメとして提供・消費してはいけないと思った。
観客が新海作品に期待する「映像美」と「ボーイミーツガール」はいつも通りの感じであるが、
本作はとにかく災害映画である。
これを先に言うべきだと思う。

君の名は。以降の新海誠さん映画の特徴は3つ
①圧倒的な映像美
②楽しく切ないボーイミーツガール
③美しくも恐ろしい災害

PRの感じからも観客は①②を期待して行くだろうが
本作で新海監督は③災害を深掘りしている。
東日本大震災そのものを扱う作品だ。
人が沢山死ぬことを予言したり、沢山の人の死を直接扱う。

作品としてのクオリティはとても高い。間違いなく日本最高峰だと思う。
脚本も美しくはじまり、盛り上がり、美しく終わる。綺麗で精密な脚本だ。
ただ見終わってから、監督が観客に期待するような「生が高揚する」ような状態には
とてもではないが、ならなかった。
言ってしまえば、生き残ったことの罪悪感を感じた。

永遠に「おかえり」を言えずにいる人たちはどうすれば良いのか?
救われなかった人たちは、この映画を前に、何を思えば良いのか?
生き死には運、とまで割り切ることのできない人生を歩んでいる人は、どうすれば良いのか?
あの怪物をうまく止められなかったから、実際に災害は起きてしまったのか?

実際に起きた東日本大震災や死者にあそこまで肉薄するのなら、
自分としてはエンタメとして消化すべきでないと思うし、
PRも東日本大震災の作品だともっと打ち出すべきだろうと思う。
もちろんこのような批判が生まれるのは承知の上、あのような、明るく美しいPRになったにしても。

ただの死生観の違いなのかもしれない。
ただ、大衆用のエンタメ作品として出すには、私は早いと思った。


映画レビューでよくある指摘とそれについての所感。あと思ったことなど。地震関係なく脚本周りについて。
○すずめが男を好きになる理由がわからん
→これはなんとなく理解できた。が分かりにくいと思う。
まず恋心だけでないのかなと。役目を背負いひとしれず人助けを続ける人間に対する憧れ、共感。その人が自分のせいで、ああなってしまったことに対する正義感や罪悪感なのかなと。
しかし、もし閉じ師というファンタジーをすずめが受け入れたのであれば、あの震災を起こしたのは彼あるいはその一族の失敗によるものとなる。好意や尊敬だけではなく、怒りや疑問、やるせなさが生まれるはず。その感情表現が一切なかったなと後から気づく。
神戸地震エピソードの前に、すずめのやるせなさ起因で喧嘩→彼の多少の自己犠牲で地震解消
というエピソードがあれば、2人の恋心の加速は分かりやすくなったかもしれない。

○石にされたダイジンが可哀想
これはまさに。
新海誠映画は主人公に『世界に背負わされた役目vs僕達2人の願い』の究極の選択をさせたがるし、
たぶん彼の描きたいテーマもこれだろうと思うのですが、
毎回少数の犠牲を描くのは躊躇ない感じがある。
君の名は。では、やり直した世界線でも、少数の町民が犠牲者になっている。でもそれは新聞記事にサラッと描かれるくらいなもんで、主人公たちが気にする描写は一切ない。
すずめの戸締まりでも、役目から解放された猫が、世界平和のために再び犠牲になっている。
閉じ師や育ての母親とのエピソードで、『お役目』と『そこからの解放』の話をしておきながら、
言葉を話す猫のお役目については、興味の外にある感じ。
細部まで詰められている映画だからこそ、
ここの扱いの薄さは、残酷な気がした。
要石や閉じ師が不要な世界を作る方向で脚本を練れたら良かったのかな。でも話が根本から変わりそう。
でも次回作のテーマも恐らく世界vs僕達の話のはずなので、そういう方向性でやるのはありかも。

○私の人生、返してよ!
これを育ての親に言われたら
個人的には一生忘れないと思う。
すぐに謝られて、仲直りできるような言葉だろうか。
左大臣が悪意を引き出す存在なんだと、すずめが認識出来るくらいハッキリ描ければ良かったのかな。でもそこらへんの辻褄合わせ、震災に絡めると難しそう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?