『開墾地』

『開墾地』(グレゴリー・ケズナジャット 講談社 2023)

芥川賞候補作品。
よく分からないけど、おもしろかった。分からないのは難解という意味ではない。
■作者はアメリカ育ち。
■義父はイランからの移民で、作者はペルシャ語を耳にする機会はあるが、理解はできない。
■作者は日本に留学し、教科書に載せてもいいほど正確な日本語で小説を書く。
そういう3つの言語の狭間にいると、世界は彼にどう現れてくるのか、想像できないという意味で、分からない。

「単語と単語の間に聞き取れない何かが、ラッセルの感覚に強く訴えた。 大した話でもないのに、自分に向けられた話でもないのに、否応なしに 自分の中へと 無理やり突っ込んできて、共感を要求してきて、長らく感じなかった 共振を呼び起こした」

う~ん。言葉には、伝達という本来の機能の他に、何かの力があるらしい。それは、振り払おうにも振り払えないやっかいな何か。

主人公ラッセルのサウスカロライナの実家の周囲は、日本からやってきた外来植物の葛に覆われている。父親は“kudzu”から我が家の庭を守ろうと奮闘している。
これは何を象徴しているのか。私は「庭」は父親のアイデンティティであり、「kudzu」は英語のように思う。言葉はそれが用いられている国の歴史や文化だけではなく、イデオロギー的なものも背負っている。父親はアメリカ的イデオロギーに抵抗しながら、一時はアメリカと敵対していたイラン人としての自分を必死で守っているように思う。
言葉が背後に背負っていて、否応なしにこちらを規定しにかかってくるものが、「やっかいな何か」だと思った。

でも読者の感想を読んでみると、その解釈は一様ではない。
「葛は土地と向き合うこと、事実に向き合うことの象徴として描かれている」
「『葛藤』という言葉を想起させる。作者は、主人公の心のモヤモヤを象徴するために葛の繁茂に目をつけた」
「国境を越えて根付いた移民」
など。

テーマは「言葉とアイデンティティー」。歴史、伝統、習俗、イデオロギーを押しつけてくる母語は「檻」、母語以外の言語は「隙間」で、そこからいくらかの自由を得られるという考え方は興味深い。

選評で山田詠美が「大長編の導入部」と評していたが、たしかに、このテーマは100ページに満たない作品には収まりきれない。。今後、同じテーマの作品が数作続くことを期待。


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