滝沢文学・異化(2)

滝沢馬琴ではありません。滝沢カレンという名文家についてです。

まず、名文とは何か。
「文章がひとつの確かな空気に包まれ、そして、その空気が人を惹きつけ 、人を動かす、それが名文というものの真骨頂だと考えたい」(『名文』中村明/著 筑摩書房)
とすれば、滝沢カレンの文章は、まさに名文です。
たとえば、こんな表現。(『馴染み知らずの物語』 ハヤカワ新書)。

「顔色が雲色の日も、太陽色の日も、雨色の日も。妻の容体を一番知っていたはずだし、一番理解していたはずだが、体は理解を最後まで拒んでいたようだ。」(『馴染みのない妻が椎茸だったころ』)

私は、彼女の文章が「確かな空気に包まれ、そして、その空気が人を惹きつけ」る理由は、異化作用が効いているからだと思います。
「異化」は、日常的言語ではなく詩的言語を用いて、見慣れた日常を見たこともない風景に変える作用を持ちます。日常的言語は、対象と認識の間に直線的なバイパスを作りますが、詩的言語は逆に「急がないで景色を眺めろ」と、足を止めさせる作用を持ちます。サクサク理解ができる文章ではなく、立ち止まって反芻したくなるのです。

「晴れ晴れとした顔」「顔が曇った」など、表情を天気に喩える表現はよく見るので、なんの引っかかりもなくすんなり伝わってきます。ところが「雲色」「太陽色」「雨色」という、見慣れぬ表現となると、こちらの認識の過程を長引かせるのです。
これが異化作用。

「スーパーに入ると、ご丁寧なほど食材で溢れていた。」(同)

これも、「ん?」な文です。「ご丁寧な」や「ご丁寧にも」は見たことがあるけど、「ご丁寧なほど」って使い方あったっけ、と立ち止まってみると、スーパーの商品棚に整然と並んだ大量の食材が浮かんできます。

こちらは『カレンの台所』 (サンクチュアリ出版)より。ロールキャベツのレシピです。

「両手をバサっと大袈裟に開いたキャベツ男の胸元に、豚ひき肉乙女は飛び込みます。そして両手をそぉっと右、左と包んだら、下から上にと巻き込んでロールします。豚ひき肉乙女が完全に私たちの目からいなくなったら両想い確定ですので、結婚指輪がてらに爪楊枝などの棒をぶっさして、離れないように誓ってもらいます」

恐れ入るほど楽しい文章でしょ。少々の手間を乗り越えて、ロールキャベツ作りたくなるでしょ。「確かな空気に包まれ、そして、その空気が人を惹きつけ」るだけじゃなく、「人を動かす」じゃないですか。

これぞ滝川文学です。

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