「異化作用」を小学生に体験してもらった話・異化(1)

滝沢カレンの創作『馴染み知らずの物語』を読むのが楽しいので、毎日一話ずつ読んでいます。なぜこの人の表現はこんなにおもしろいのだろう。これは「異化作用」だなと思いました。

私は小学校で読み聞かせのボランティアをしていました。ときどき番外編で、こんな文学理論があるんだよ~、ということも話しました。「異化」についても取り上げたことがあります。

私たちは「見ること」を積み重ねることによって、対象を「認識」するようになります。こういう認識からは新たな創造は生まれません。逆に対象の「認識」を「見ること」へと戻すことで、世界が全くちがって見えてきたりします。

子どもがひらがなを覚えるとき、最初はエンピツの線が描く意味のないヘンな形に見えますが、何度も読んだり書いたりしていくうちに、これは特定の発音を表す記号であるという認識ができていきます。

もちろん、こんなことを子どもに話すわけではなく、「異化作用」を教室で体験してもらうのです。

「ゆ」は<yu>と発音する認識ができれば、その形に意識は向きません。そこでもう一度、「見ること」を促します。

「<ゆ>って、おもしろい形してるよね」
「これを赤くしてみると、どうなる?」

最近の子は「おんせ~ん」と答えます。(「お風呂屋さん」「銭湯」なんて言葉はもはや死語らしい)。つまり、赤い<ゆ>は入浴施設であることを示す記号となります。
次に、この絵を見せて「何に見える?」と質問すると、児童たちは「きんぎょ!」と答えます。

きんぎょ

「じゃあ次に、<へ>を集めてみましょう」というと、なかには「くさい!」などとふざける子がいますが、こっちは「お、乗ってきたな」とほくそ笑みます。そこで、この内田麟太郞さんの詩『なみ』を見せます。児童たちはおおよろこびします。

『うみがわらっている』(内田麟太郎/著 銀の鈴社)

こういうのが、「異化作用」です。
さらに、山村暮鳥の詩を紹介していきます。

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