ルックバック、短編と長編、20年代の創作、九龍城砦と中野ブロードウェイ



  藤本タツキの新作読み切り"ルックバック"、久々に"面白の多層構造体"を完全に成している作品だった。世の中にはこういった"面白の多層構造体"を持つ作品が時折現れる。例を挙げるなら火の鳥、BILLY BAT、胎界主、千と千尋の神隠し、攻殻機動隊、フリクリ、メタルギアソリッド、ニーアオートマタ、十三機兵防衛圏、ソナチネ、インセプション、ミッドサマーなどなど……(ここにエヴァンゲリオンが入らない理由は長くなるので割愛)。要は視聴者のレベル(予備知識の有無・何を重視して観賞しているか)に関わらず、誰が・どこから観ても面白く出来ている物のことである。今並べてみて思ったけど正直この中でも千と千尋の神隠しはズバ抜けている気がするな。個人的な好き嫌いだとこの中では割と下の方になるけど、多層のレベルがもうメガストラクチャーの域に達している。かといってハウルみたいに行き過ぎてないし。あそこまで行くと哲学的過ぎて最早よく分からん。あれは魔法という概念の捉え方が怖すぎる。アホが。


  まぁとにかく"ルックバック"はそういう作品だった。「ここは〇〇のオマージュ、ここは〇〇の引用だな」等とまるでクイズかなにかやっとるんですか?と言いたくなるキッショいオタク共から、そもそも京アニの事件を知らない人まで多分誰が読んでも面白いと思うんじゃないか。俺は前者なので1ページ1ページ「oasis……、タランティーノ……、ゴダール……」とブツブツ言いながら読みました。まぁ正直この手のオマージュネタって1つ見つかれば全部オマージュに見えてくるので(それだけ表現方法は既に飽和している)どこまでが意図通りなのかは分からんけど、少なくともストーリーのベースはワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドだろうし、タイトルはDon't Look Back in Angerから来ているはず。そこに京都アニメーションの事件への追悼というメッセージも添えられている。


  今更ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドのストーリーを説明するのは難儀なので各自YouTubeのファスト映画を観て逮捕されてほしいが、要は現実にあった痛ましい事件を映画の中でハッピーエンドに変えてしまうという物だ。そこから"ルックバック"では更に一歩踏み込んで「実際無かった事には出来ないけど虚構による救済は成し得るし、藤本タツキはそういうものを描きたいのです」というとこまでしっかり説明した終わり方だった。途中破れた四コマ漫画を通して平行世界と繋がる描写はゴダールのジャンプカット(時間や空間を無視してカットを繋ぐ)を思い起こさせる。原稿をフィルムみたいに吊るしている描写もここに掛かってくる。タイトルの"ルックバック"も文字通りの意味(振り返る、追憶する、しりごみする、うまくいかなくなる、背中を見る、背景を見る)を全て演出に落とし込んでいたし、ラストシーンでテロの追悼集会で歌われたDon't Look Back in Angerに繋がる事で京アニの事件への追悼にもなっている。


  現実に起きた痛ましい事件というキーワードで京都アニメーション放火殺人事件とテート・ラビアンカ殺人事件を繋ぎ、テート・ラビアンカ殺人事件を描いたワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドを下敷きにし、マンチェスターアリーナ自爆テロの追悼集会で歌われたDon't Look Back in Angerをタイトルに持ってくる。そうして出来た物語は何も知らなくても面白い(と言えばなんか語弊があるが)漫画家漫画(しかもそれはタイトルに掛かる背景美術を主題とした漫画家漫画)であり、漫画家漫画である故にある種自伝的な視点を持つ作品になることで自身のスタンスと言いたいことを全て作中で完結させる事に成功している。天才の御業。浅野いにおが手放しで賞賛するのも分かる。浅野いにおだって短編描かせれば稀代の才能の持ち主なのに。


  でここからが本題なわけだが、じゃあなんでこんなズバ抜けた物を描ける作家が連載となると途端に訳の分からない漫画を描いてしまうのか。ファイアパンチもチェンソーマンも終わった途端に記憶が消された。終了して1年経ってないチェンソーマンはともかく、誰かファイアパンチの終盤のストーリーを説明出来ますか?俺はなんか映画館が出来たことしか覚えてません。正直チェンソーマンだってマキマが生姜焼きになったことくらいしか覚えてない。ファイアパンチが始まった時、マジでヤバい漫画が始まったと思ったけれど結局享年1話だった。漫画第1話ランキングがあったら相当上位に入るけど、漫画ランキングでは下から数えた方が早い。マジで5巻くらいから「頼むからもう単行本出ないでくれ…。買いたくない…」と思いながら買っていた。チェンソーマンは享年69話、本誌編集の力なのか何なのかファイアパンチよりは大幅に寿命が伸びたけれど闇の悪魔のカッコよすぎる演出と共にこの世を去った(ちなみに作中では語られてないがあの世界は太陽という概念をチェンソーマンが食ってしまったので日曜日が無い。アキの弟がタイヨウという名前で死んでしまうところが示唆的。もっと言えば火星も水星も木星も金星も土星も多分ないし、月面着陸もしていない(インターネットが無いということは冷戦が起こってない、つまり宇宙開発競走も起こっていない)ので人類は宇宙の事を何も知らない。だから闇の悪魔は強い)。


  とにもかくにも同じ時期に始まり似たような雰囲気を持つ作品である呪術廻戦とは雲泥の差がある。それは何故だろうか。芥見下々も藤本タツキもオマージュした作品を特に気にせず公言するし、公言していない物も参照元がほぼほぼ分かるように描いている。チェンソーマンに関しては邪悪なフリクリ/ポップなABARA(フリクリは悪いお姉さんに振り回される話だし、ABARAの主人公はデンジという名前だ。そもそも完全体チェンソーマンの見た目がほぼ黒奇居子)を目指しているとハッキリ言っていたし、呪術廻戦がHUNTER × HUNTERの影響を受けていないというのはあまりにも無理がある。個人的に2020年代は(聞こえは悪いが)"パクリの技術"をどれだけ洗練させたかどうかが面白い創作の基準となると思っている。その点において芥見下々と藤本タツキは時代を牽引する漫画家として相応しいと思うのだけれど、どうにも週刊連載という土壌は藤本タツキに合っていない。これは結局「藤本タツキは"面白の多層構造体"を作れてしまう作家だから」ということになるのかもしれない。なんだか逆説的にはなるが"面白の多層構造体"はその面白さ故に形式をかなり選ぶ。一歩間違えれば、それこそファイアパンチやチェンソーマンのように脆くも崩れ去ってしまうものだ。ファイアパンチやチェンソーマンは云わば"構造体の平屋化"なのである。本来は積み上げて積み上げて、レイヤーを分けることで生み出されるものが、連載の長期化によって平べったく伸ばされて結果一元化されてしまう。九龍城砦を作ろうとしたのに、中野ブロードウェイが出来てしまったようなものである。もし九龍城砦の敷地がディズニーランドくらいあったら、あんな混沌は生まれていない。まばらにバラックがあるただのスラム街だった筈だ。ファイアパンチやチェンソーマンはまさにそれなのである。積み上げる才能と伸ばし続ける才能は全く別物で、貴重なのは積み上げる才能の方なのだ(まぁ世の中には手塚治虫や尾籠憲一のような積み上げながら伸ばし続けるとんでもないバカもいるので、それらは除外しての話だが)。


  浅野いにおも本質は積み上げタイプの短編作家だと思っていたが、ここに来てデデデデという最高傑作をしっかり積み上げながら伸ばしているので底知れない。他にも積み上げ型の天才と言えば、阿部共実や道満晴明も捨て難い。漫画家先生に限らずならもっといるが、そこまで手を広げると話が逸れまくるので割愛。


  それに藤本タツキはあまりにも映画を観すぎているのかもしれない。映画というコンテンツは積み上げる事しか出来ないコンテンツだ。横に伸ばすにはシリーズ物にするしかないし、大体は駄作になっていく。"ルックバック"でも藤野が雨の中を踊るようにスキップするカットはまさに映画的だった。瞬間の情景、瞬間の感情を描写するという事は映画の最も得意とするところだし、藤本タツキはそれを上手く漫画に落とし込んでいる。が故に、長編は描けない。藤本タツキが敬愛してると思われる弐瓶勉も同じく映画的な漫画を描く。まぁ弐瓶の方は全く説明をしない事でBLAME!を長編にする事に成功したし(そう言えばBLAME!にも星が丸ごと消え失せた描写があった)、シドニアの騎士ではちゃんと積み上げながら伸ばしていたけど。あと背景に関しては弐瓶の右に並ぶ漫画家はいない。それは正確だとか書き込みが凄いという事だけではけして太刀打ち出来ないもので、藤本タツキも全く追いつけてはいない。


  なんか話がとっちらかってきたが、とにかくまず言いたいことはこれから先の創作は"パクリの技術"を上手く磨いた者が勝ちだということ。というか最早オリジナルなんてものは生まれないからそうするしかない。とっくの昔にカルチャーは飽和し、随分前から過渡期を迎えている。どれだけ斬新な焼き増しが出来るか、どれだけ洒落たオマージュネタを持ってこられるか。そして、そうした新時代の創作では短編作品が主流になる。神話を翻訳して作られた童話は短編のオムニバス集ばかりだ。つまるところ歴史は繰り返し、一昔前の表現方法やネタが飽和していなかった頃のアニメや漫画(翻訳儀典、擬似神話)を翻訳するこれからの作品も例に漏れず、そうなる。


  そういう意味で、やはり藤本タツキは次の時代を担う作家だと思うし、ジャンプ編集部においてはどうやったって訳の分からない物になるチェンソーマン2部を描かせるくらいなら、ぜひとも短編作家としてプロデュースしてほしい。マジで。頼むから。頼む~~~~~~~!!!!!!!

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