岩井俊二監督作品『スワロウテイル』観た感想
・純粋な映画評のようなものを望んでいる方はここから読むのをやめてください。
今日は仕事が休みだったので、久しぶりに昼まで寝て、家事を済ませたあと映画でも観るかと軽い気持ちでタイトルだけは知っていた岩井俊二監督のスワロウテイルを観た。
観終わったあと、『しまった』とすぐに思った。軽い気持ちで観るような映画ではなかった。
音楽、映像、展開、どれをとっても私には好みのものばかりで架空の世界で起こっている出来事なのにいつしかその世界に魅了され、魅入ってしまった。
誰でも言えるような感想だが、しかしこの作品には映画マニアでもない人間がふらっと観て、引き摺り込まれるだけよ力があったのだ。
私は今作を観ながら二週間ほど前に観たウォン・カーウァイ監督の『恋する惑星』と『天使の涙』を思い出していた。
ヤクに銃、金に女、場末に見える空気感。映画を観て漂う匂いに似通ったものを終始感じながらスワロウテイルを観ていた。しかし、今作に関しては舞台は今自分が住んでいる日本であるし、90年代の作品ということもあり、自分が数年間だけ生きていた90年代の日本の匂いも観たように感じる。世界観の設定も非常に風刺的で、今の時代に通じ得るものも確実に今作にはあった。
何より、この作品は美しかった。また甘美でもあった。胸のアゲハ蝶は彼女たちの存在の証であるとともに誇りであり、誓いであった。
人間はどのような状況でも想いを持ち生きている存在だ。剥き出しの感情を心の奥底に持っている。岩井俊二監督の作品はその心を淡い映像と音楽に乗せてうまくぼやして僕たちに届けてくれる。
否定も肯定もせず、ただそこに生きる人間を、その魅力を引き出してくれる。
だから、ずっと画面から目を離すことができないのだ。今回は自宅のテレビで観たが、あれは映画館で観るべき映画だった。どこかの映画館でかかることがあれば足を運ぼう。
誰もが表現でき、尚且つ発信できる時代になった現代だからこそこういう映画が必要なんじゃないかって95年生まれの私は思う。
僕は映画関係者でもないし、表現者でもないただのフリーターだからこんな文章を機にする必要はないのだが、これを読んで誰かがこの映画に関心を持ってくれたら嬉しく思う。
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