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【誰ソ彼ホテル考察】阿鳥遥斗の幸福

外部ブログからセルフ移植してきた、阿鳥遥斗の考察です。
http://comicanalyze.hatenablog.com/archive/category/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0ツイートはコチラ

当然ながら、【特スト・追加特ストバレ注意】です!

筆者なりに「真面目」に、原作の情報を元に考えたことですし、筆者的には阿鳥の同一性を確保できたと思いますが、解釈違いをワイルドに「へえ!そういうのもあるんだなあ!ムシャムシャ」と受け入れられるメンタルマッチョ向きの考察となっております。
以下、多少読んでみて、合わないな〜と思ったら逃げてください。

「不誠実」ってなんなの。
 

 阿鳥遥斗は、誰ソ彼本編・特スト上では「常識人」という扱いをしてもよい描かれ方をされていました。

 『理想的な恋愛』について語った4章「ラブアンドピース」においても、

「1人の女性と長く付き合いたい……」

との台詞があり、ラブアンドピースNEKOや5股外聖生と比べると、余程”普通”に思える恋愛観です。

  しかしこの常識人、追加特スト『顧みない青年』では、支配人を狼狽えさせるほどの、強烈なネジの外れ方を見せつけてきます。

目隠し青年
「はい。どんな女性からも形に残るプレゼントは貰わないようにしているんです」
(中略)
目隠し青年
「次に付き合う女性に対して不誠実だからです」
—————『顧みない青年』

  これです。何が悪いのか分かっていないところがまた、薄ら寒さを加速させますね。

 阿鳥遥斗は、そもそも自分の恋愛が長く続くという前提がない。さらによくよく考えてみると、フラれた後にすぐ別の女性と付き合えるという行動そのものも、「長く付き合いたい」と言う人間の感覚としては不適です。もう少し元カノへの想い引きずってくれないと説得力ないですよね。

 でも、引きずらないんです。貰ったものだって、きっぱり捨てる。

 阿鳥は「前のカノジョから貰ったものを捨てないと」と言っているので、実際「貰わない」ポリシーを掲げる前は、貰ったものを捨てていたと思われます。回転率が牛丼屋なので、昨日フラれて今日付き合う、というのも有りますから……。最短一晩で、「貰ったものを全部捨てる」をこなす訳です。

 その経験の中で、「貰ったものを捨てるのは、申し訳ないな」という想いが生まれるのはまあいいとして。相手への申し訳なさは置いといて。じゃあ阿鳥自身はどういう気持ちなんだろう、って疑問が湧き上がります。

 「捨てなきゃ」の義務だけで済む問題じゃないんですよ、本来は。「捨てたい」とか「捨てたくない」とかの感情の存在に触れてない。フラれてヤケになって捨てたくなったり、思い出が大事で捨てたくないと思ったり、そういう自分の感情……要は未練ですよね。それを無視しているというか……むしろ、存在しないんじゃないかと思います。「未練」がない。未練が存在しない。
 此処で、「物を捨てられるってことは、そもそも相手のことを好きじゃなかったんじゃないの?」「恋愛をしてなかったんじゃないの?」という議論展開に出来たら大変楽チンなんですが、そうもいきません。

 ベノマ先生は仰っています。

『誰ソ彼ホテル』のレギュラーメンバーの性的指向(+嗜好)と恋愛的指向は、けっこう散らかっています。
いわゆる「マジョリティ」なのは、ルリと支配人というキャラクターだけです。
—————紡ロジック-制作秘話(四辻優)

  マジョリティじゃないんですよ、阿鳥は。マジョリティの価値観で見ていくと、恋愛してなかったんじゃないの、てことになっちゃうんですけど、でもそうじゃない。阿鳥なりの恋愛はしてたんです、多分。阿鳥をマジョリティに当てはめようとするから、訳が分からなくなる。ここは、一度価値観をリフレッシュして、阿鳥の言動から議論を組み立てた方が賢明です。


 「真面目」人間阿鳥
 

 まず第一に、阿鳥遥斗は真面目です。音子ちゃんや支配人のサボり癖に対して、毎回きっちり怒る。先輩は「さん」付け、後輩は「ちゃん」付け。子供が害されようものならお客様でも殴りつけるけれど、それでも「すみません」と言いながらで、「客」と「従業員」と立場は守ろうとしている。犯罪者と知った後でさえ、仕事としてキチンと接客し、カネコノのような有名人が来ても態度を崩さず、プライベートを守る。

 立場には、立場に相応な態度を、誠実に、真剣にこなす。これが阿鳥遥斗の真面目さです。別の誰かから見れば全くそうは見えないかもしれませんが、少なくとも本人はそのつもりですし、この考察ではその本人の感慨を一旦『真』として議論を続けていきましょう。

 ですから、カノジョに対しても、カレシとしての感情、つまり「好き」という気持ちを持って接していた筈。特ストでのセリフにも「美人のマネージャーあたりは惜しい」というのが有りますし、諸条件にマッチする人のアタックに選んで応えてきたらしい、というのが伺えます。また、『ホテルに行こう』というメッセージを無視していることから、自分なりに「相手にする人」と「相手にしない人」を選別し、決定しています。

 となると、外見的にも人格的にも、付き合う時点でふるいに掛けられた、(阿鳥基準で好みか、という意味での)いい女なんです、おそらく。

だから、頑張って気持ちを作らなくても好きになれる。「この人なら」と思うから、当然カレシとして大切にしようって気持ちもあるし、キスしたいとか、それ以上もしたいとか、そういう欲求だって湧くのでしょう。自分を想ってくれる気持ちに応えたいって想いがあるわけです。
まあ、3時間でフラれたときは、気持ちが盛り上がる隙がなかったかもしれませんが。

 コスパ最強の恋愛


 そんな好意を持った相手から貰ったものであっても、阿鳥遥斗は捨ててしまえる。捨てたいのでなく、断腸の思いで捨てるのでなく、ただただ、捨てられる。捨てることが可能で、捨てた方がよいので、捨てる。

 ここが物凄く妙なところなんですけど、追加特ストのセリフに、これの裏付けになりそうな部分が有ります。

阿鳥遥斗
「俺、今の部屋の雰囲気が好きです。物が少なくて、静かで……」
—————『顧みない青年』

  彼、物が少ないのが好きなんです。『時計や靴などの小物は良いものをつけるタイプ』なんて情報もあります(制作秘話-阿鳥遥斗)。量より質。つまり、ミニマリスト。
 紙の本は電子書籍に、洋服は最低限、出かける時はほぼ手ぶら、断捨離ハイでお部屋スッキリでお馴染みの、あのミニマリストです。

 故に、恋愛に対してもミニマリストなんですよ。そう考えると辻褄が合う。

 ミニマリストが書籍を電子書籍で済ませられるのは、本が嫌いだからじゃありません。本という形でなく、情報や物語といった『内容』に価値を置いているからです。どちらも内容が変わらないのなら、空間的コスパの良さを取るというか。

 つまり、好きという気持ちや、相手を想い、喜ばせ、守り、愛し合う。この点に関しては、本当に阿鳥は真面目に恋愛していたんです。内容は充実していたんです。ただ、「愛」を手に取れる、目に見える物体として残すという欲求が、極端に薄い。

  天然で「気持ちがあるなら物なんていらないんじゃない?」と思っていて、当然のように相手にもその感覚を求めている。

  もしかしたら阿鳥にとっての究極のカップル像は、手に取れる物、目に見える物体は存在しない、2人と「愛」しかないような、そんな世界観なのかもしれません。空間的コスパ最強の、ミニマリズム・ラブ。正直意味わかんねえですね。

 本人は「真面目」で「つまらない」からフラれると主張してますが、どうもこれ、主観が過ぎて、信用できません。

目隠し青年
「なんでフラれちゃうんだろう……」
支配人
「(なんでも何も)」
—————『顧みない青年』

  本人もわかっていなくて、悩みながら捻り出した理由が「真面目」「つまらない」だったっぽいですし。支配人の恋愛観はマジョリティらしいので、ここは支配人の感覚の方が、交際相手の気持ちに近いと考えた方が無難ですね。
 阿鳥的には、きちんと君のことは好きだし、俺のことが好きなのもわかってるから、形のあるものはいらないよ、みたいな爽やかな気持ちから出た言動が、悉く相手を傷つけていたんでしょう。


 阿鳥遥斗の恋愛履歴

 阿鳥遥斗が最初に「お付き合い」したのが何歳なのかは、よくわかりません(下手したら幼稚園とかかもしれん)。まあ仮に「子供時代」ってことにしますが、その年齢であっても、やっぱり好きな人とお揃いの物持ちたい!好きだから喜んでもらえるものをあげたい!っていう感覚はマジョリティとしては自然です。ですので、付き合った子からプレゼントなりは絶対される。

 で、最初のうち阿鳥はそれを受け取るんです。相手が良かれと思ってやったことなので。でも、彼が天性のミニマリストということを鑑みると、「気持ちは嬉しいけど貰ったものへの価値を感じられない」ってことになります。

 価値を感じない、っていうとちょっと語弊がありますかね。多分本人も、「物」に空間・時間・手間暇という、コストが掛かっていること自体は理解している。そこに、想いが乗っているのはわかっている。でも、そこまで相手にコストを負わせなくても、自分は「気持ち」の方に価値を置いているので、必要ないんじゃないかと感じるんです。

 故に、素で「そんなに沢山くれなくても大丈夫だよ」みたいなことを言ってしまう。好きになればなるほど、「物をくれなくても僕は君のこと好きだよ」みたいな気持ちが高まってしまう。

  究極のミニマリズム・ラブに近づこうとしてしまう。

  それが原因で、好意を無下にされたように感じて傷ついた相手(しかも子供)は「はるとくんなんか、だいっきらい!」となります。阿鳥遥斗、フラれました。阿鳥遥斗の癖に。

  原因が分からず、置いてけぼりの阿鳥の手元には、好きな子から貰ったものだけが残ります。しかも阿鳥、フラれたとの情報が広まると、また違う子がアタックしてくる。「なんでフラれてしまったのか」を深く考察する時間がない。

 それで次に付き合うとなると、真面目な阿鳥は、前に付き合っていた子から貰ったものを捨てることになる。新しく付き合う子を、傷つけてしまうかもしれないから。もしくは、なんとなく持ち続けていたところ、付き合い始めた子に「そんなもの捨てて!」と言われた経験が有り、それを律儀にずっと守っているのかもしれません。

 その際、阿鳥自身は「物」自体には頓着がないので、「わざわざプレゼントしてくれたのに、捨てるのは申し訳ないな」としか思わなくて、簡単に捨てられる訳です。阿鳥遥斗にとって、物を捨てることは、想い、内容を捨てることではない。簡単に捨てられるからといって、好きじゃなかった、ということにはなりません。

 けど、周りからはそう見えない。

  プレゼントされたものを、すぐに捨てられる。昨日別れたと思ったら、明日にはもう違う誰かと付き合っている。しかも、見た目が派手。軽薄そうな印象を持たれます。

 阿鳥はこれに、非常に強い不満を持っています。

塚原音子
「阿鳥先輩は両手にお姉さんを抱えてる様なイメージだったので」
阿鳥遥斗
「…………」
塚原音子
「アレ? 阿鳥先輩?」
何やら阿鳥先輩の顔が曇った。
阿鳥遥斗
「……俺って、そんなイメージ?」
—————-4章『三段活用』

  阿鳥は真面目です。仕事も人間関係も、いちいち真剣にこなしています。立場をわきまえ、姿勢を正し、その度その役割に、真面目に没入して全うしている。本人の認識としては、その場その場で余念なく「想い」を込めている。だから、接客業が性に合うんです。物質のやりとりではなく、「態度・サービス・誠意」にこそ価値を見出す接客業は、阿鳥のミニマルな世界観とマッチしています。

 だから、人の想いに不真面目で軽薄な人間だと思われると、苛立つのです。自分は、それこそに重きを置いているのに!と。

 まあ実際カノジョたちの「想い」を傷つけてしまってるんですが、それは「阿鳥遥斗」と「マジョリティ」の文化が絶妙にズレていて、衝突してしまっているってことなんですよね。阿鳥遥斗は、「カノジョたちの考える誠実さ」は全く守れていなかったのでしょうが、「阿鳥遥斗の考える誠実さ」はとても忠実に守っている。

 このズレ方が実に奇跡的で、阿鳥との関係が「同僚」や「友人」くらいまでなら、彼は極めて常識人で、いい人で、完璧にしか見えないんです。だって、交際相手でさえなければ、プレゼントを貰っても、後で捨てるべき機会は訪れない。新しい友達から何か貰っても、別の友達に失礼、ってことにはなりませんから。まあ、そもそもそんなに欲しいとは思っていないでしょうけど。この「欲しいと思っていない」というのが余計に謙虚に見えたりもする。

 ですから周りも阿鳥のズレに気づきません。それで、完璧だ真面目だと常々言われるものだから、阿鳥は自分を「普通」で「まじめ」で「つまらない」人間だと思い込んでいます。マジョリティだと信じている。自分の価値観は、受け入れられて当たり前のものと考えている。皆、自分と同じ感覚を持っていると信じている。

 その為に、自分のミニマルな世界観を全く疑わないまま、「すぐ捨てる」が軽薄だとされるなら、貰わなければいいじゃない! となってしまった。

 何しろ、物体がなくたって「想い」があれば自分は良いのですから。想いを物体にしたい、目に見えるものにしたい、という欲求が自分に無い為に、『愛があるからそ、形に残るものを渡したい』という感情を、理解できない。

 そんなこんなで、あの矛盾ホラー思考回路が爆誕しました。

目隠し青年
「はい。どんな女性からも形に残るプレゼントは貰わないようにしているんです」
支配人
「どんな女性からもと言いますと、例えば交際相手からもですか?」
目隠し青年
「はい」
支配人
「それは何故でしょう?」
目隠し青年
「次に付き合う女性に対して不誠実だからです」
支配人
「???」
支配人
「(今、付き合っている女性に対しては?)」
—————『顧みない青年』

  はあ。何回見てもヤバイっすね。

 阿鳥は、誠意と愛を極めると「形に残る物」を介さない関係になると信じているので、「今、付き合っている女性」に対しては、それらを貰わないことこそ関係を進める方法なんですよ。態度、体験、時間、言葉の交換の方がいいと。それが余りにも当然のことだと思っているんで、聞かれても省略してしまう。だから理由としては、「交際相手が変わって、物を捨てた時に感じた申し訳なさ」を挙げるしかない。

 今までの考察で解釈しなおすと、以上のような感じでしょうか。

「形に残る物」を貰わなければいいんだ!と決めた後、阿鳥の行動はというと、もう、ミニマリズム一直線です。

 デートでお揃いのものを買おう、と言ったら「そういうのはいいよ」。写真も相手が撮る分にはいいけど、自分から残そうという気はない。「形あるものをもらう」という嬉しさがうまく理解できないので、自分からあげるプレゼントも消え物ばかり。欲しいと言われればアクセサリーも買ってあげるんでしょうけど、そういうのって、慎ましい女性ほど、いい女ほど、言いづらいですよね。

 ここなんですよ。実を言うとマジョリティの価値観の端っこにも、「物を強請るのは下品!」みたいな項目が無くもない。

 故に、阿鳥の「気持ちがあるなら物なんていらないんじゃない?」の理論は、深く考えれば考えるほど、完全否定できないんです。阿鳥が余りにも「形」に対して無欲で、なまじ態度が本気で誠実なもんだから、阿鳥が好きで一緒にいたいという女の子はいっそ、自分の方が悪いのかな、という気さえしてくる。

 たぶん、最長3ヶ月の女性は、阿鳥に頑張って合わせようと、理解しようとして、無理だと思ったんじゃないでしょうか。

「貴方の”誠実さ”についていけない」とか言って、じわりと涙を浮かばせながら、去っていったのかな……。

 最短の3時間の女性は……例えば内緒でプレゼントを買って渡そうとしたら断られて、その理由を支配人に説明した通りに言われてぶちぎれたとか。「そうね、不誠実よね!じゃあ、捨てれば?もう別れるから!」的な。

 わー。これ妄想ですからね。鮮明に浮かんでしまったけど、仮定から生まれた妄想ですからね!

 阿鳥遥斗は、「想いを形にして渡す」ということの重大さ、欲求を理解できない。バカにしているんじゃなくて、本気でわからない。想像がつかない。だから結果的に、軽んじてしまう。

 で、自分が「誠実さ」を守ろうとしたことで相手が怒るんで、「真面目=ウケない」みたいな解釈になったんじゃないでしょうか。


「未練」ってなんなの。

 阿鳥遥斗にとって、「手に取れる、残る形」は想いと直結していません。だから、物を捨てるとか捨てないとかで、想いのあるなしを測れない。阿鳥は冷たい人間でも、軽薄な人間でもないし、愛も感情も、感性もちゃんとあります。
 ミニマリストで真面目な阿鳥は、その場その場に必要な想い・感情・誠意はきちんと備えている。だからというか、立場や状況が変わると、阿鳥は「その場に相応しい自分」にガラっと切り替えて、真面目に演じ、没入しようとするんですよね。そして、できてしまう。

 例えば音子ちゃんが「お客様」から「後輩」にジョブチェンジした際、急激に砕けた口調になっていました。

塚原音子
「阿鳥さん、急にフランクになりましたね」
阿鳥遥斗
「そりゃあ、お客様から後輩になったワケだから」
塚原音子
「それもそうですね」
—————1章『自己紹介』

 前置きも無しに態度をガラッと変えた、この阿鳥の言動。正論ではあるんですけど、音子ちゃんのような動じない性格じゃない限りは、「それはそうだけど、急だな!?」という気分になるものです。変える前に「じゃあこれからは…」みたいな前置きをしてくれてもよかったんじゃない? 思い返すと違和感です。音子ちゃんが動じないんで、こっちも流されて気にしてなかったんですけれども。

 たぶん、女性関係でもそうなんですよね。フラれて、別れるのはショックなんです。だって、本当に好きだから。でも、新しい交際相手ができると、阿鳥はそっちのカノジョに対する好意にガラッと切り替えて没入しようとします。元カノを好きなまま別の女性と付き合うなんて不誠実だ、と阿鳥なら考えるはずなので。

 内心に何か燻りがあろうと、まずは態度から入ります。それがプレゼントを捨てることだったり、デートをすることだったり、浮気をしないことだったりする。そして、相手に人としての誠実さや可愛らしさ、自分に対する好意さえあれば、おそらくそんなに時間が経たない内に、「応えよう」「大事にしよう」という気が起きて、恋愛関係になれる。阿鳥の中では。

 この時点でもう、マジョリティが「未練」と呼んでいるようなものは、捨て去っていますよね?

 想い、内容こそを大事にする、ミニマリズム・ラブ。だからこそ、目の前の恋愛に向き合うために、捨ててしまえるんです。絶対に、確実に今まで持っていたのに、捨ててしまえる。だって、今自分が置かれている関係に、必要ないものだから。

 ここまでミニマリズム極まれり、捨て去り上等と来ると、サックスに対する「未練」の存在すら危ぶまれてきます。

 まずですね、阿鳥と音楽の出会いって、必然なんですよ。だって、形がなくて、音だけ、体験だけ、時間だけ、想いだけを生む芸術だから。究極にミニマルな芸術です。ぶっちゃけ性癖です。だから、好きなのは確実だし、やめられるわけもないんですけど……それが「プロ活動への未練」かと言われると……どうも、微妙なんです。

 阿鳥は、「音を楽しみ、味わう感性」は確実に持っていて、むしろ天性のものなんですが、それによって何かを獲得したい、という欲求が薄い。例えば、コンテストで優勝して、トロフィーや実績を得るとか。CDにパッケージングして、売り出すとか。

 それって、「想いを見える形に、手に取れる形にしたい」という欲求がないと、魅力的に思えないものじゃないですか。全部、プロになるには必要なことなので、一応目標には掲げていたと思うんですが、本来自分が音楽に惹かれている要因と違うものなので、精一杯努力しているつもりでも、上手くできなかったんじゃないかと。

 阿鳥は、それらの「プロとしての目標」に邁進できる人を天才と呼んでいて、自分は才能がない凡人だと考えたんでしょう。で、諦めようと決めたんですが……

 ここで、阿鳥遥斗人生初の、「捨てられない」が発生する。

 サックスです。

 阿鳥は、プロの道は諦めると決めたのに、サックスを売ったり捨てたりせず、「触らない」という選択をとりました。

 元々、「人からもらったものを捨てるのは申し訳ない」と言っているんで、女性から貰ったもの以外であれば、そういう理由で捨てない、ということは有ったと思うんですが……サックスは、完全に自分しか関係ないものです。自分の感情のみで「捨てられない」なんて、このミニマリスト、初体験です。
 この自分の行動原理を、阿鳥は「未練」と判断しました。プロの道を、自分は諦めきれないでいるのだと。

 けれど、違います。そもそも、阿鳥は「プロの道」が感性に有っていなかった。魅力的じゃなかった。だから苦しかったんですよ。

阿鳥遥斗
「現役時代の終盤は、もう苦しかったんだよ」 
阿鳥遥斗
「サックス1本じゃ全然食べていけないし、バイトに時間を割くと如実に腕がなまっていくし……怖かったんだろうね」
塚原音子
「でも今回は、楽しめたんですね?」 
阿鳥遥斗
「プロを目指していた頃にあった力みが、無くなったからかも」 —————5章『お礼』

  楽しいはずの音楽が、楽しくなくなる。それはきっと、死ぬほど辛いことだったでしょう。何故楽しく無いかといえば、「食べていかなくては」という「プロの道」への強制感が有ったからです。
 食べていけないのが苦しかったのではなく「食べていこう」という目標そのものが不快だったんです。

 そして、サックスを捨てたくなかったのは単純に、また演奏したいから。楽しみたいから。それだけ。プロへの未練ではない。性癖だからです。性癖は変えられません。その変えられないミニマルな性癖のせいで、今まで周囲とすれ違ってきたんです。今更変えられるなんて、都合のよいことがあるわけがない。音楽ほど、阿鳥の世界観にマッチするものはないのですから。

 だから阿鳥の客室には、レコードだけがあったんです。レコードというのはアナログデータで、デジタル処理を通したMP3等とは根本的に情報の密度が違います。耳の肥えた人ほど、それがわかっている。レコードが嫌なら、生演奏を聴くしかありません。でも、生演奏は頻繁に自由に聞けるものじゃない。

 レコードは、最上質な音楽を味わう上で、最もミニマルな媒体なんです。もちろん、外出先でも音楽を楽しみたい阿鳥はヘッドフォンで聞いちゃってるわけですが。よく考えなくても、音楽大好きすぎですね、阿鳥遥斗。

 それ故に、「未練」だと思いたかったんでしょうね。

 大好きな音楽だから、大好きなサックスだから、プロへの道を捨てきれないんだと、思いたかった。

阿鳥遥斗
「そうだね。触りたくなかった。3年間くらい触ってなかったし」
塚原音子
「でも、見た感じ……あんまりダメージを受けてる様には見えないんですけど」
阿鳥遥斗
「そうなんだよな……」
阿鳥遥斗
「少しでも触ったら、夢を諦めた時とか、壁にぶつかった時とか、壁にぶつかった時とかを思い出すかと思ったけれど」
—————5章-『お礼』

 この、「そうなんだよな……」という台詞。塚原から『両手にお姉さんを抱えてる様なイメージ』と言われた時にも発しています。

塚原音子
「はい。見た目のイメージの話ですよ」
阿鳥遥斗
「そっか……そうだよね……そうなんだよなぁ……」
塚原音子
「大丈夫ですか?『そう』の三段活用みたいになってますけど」
—————4章-『三段活用』

  不満なんですよ。あれは、不満なときに発する言葉。自分がサックスを触って、演奏して、ただただ楽しんだだけで、夢への悔しさとか苦しさを微塵も覚えなかったことが、不満なんです。おかしいな、俺、あんなに真剣だったのに。音楽もサックスも、大好きなはずなのにって。

 阿鳥は、今までの経験から、自分が真面目であるということで、「つまらない」と思われたり、フラれたり、不利益を被ってきたと考えています。だから、真面目なんて、と卑下するんですが、その一方で、軽薄そうなイメージを持たれることを嫌っています。「内容」こそを大事にする阿鳥は、軽薄な人間にはなりたくない。

 そして、一途な恋愛を求めている。1人の人を想い続けたい。そういう恋愛に、憧れている。

 1つの「何か」への執着を、ずっと持ち続けてみたいんです。「想い」にこそ重きを置く阿鳥だから、「執着すること」に、憧れが有る。その執着から生まれる「未練」にも、同様に憧れが有ります。

 以前の彼女を好きでいながら違う女性と付き合うなんて不誠実だと毛嫌いし、おそらく軽蔑すらするのに、それ程に「捨てられない」という強い想いには……惹かれている。

  立場に合わせ、確実に有ったはずの想いすら、真面目に奥に押しやる。捨て去れてしまう阿鳥、切り替えができてしまう阿鳥は、どうしても捨てられない、捨てたくないという一途な感情、「未練」という未知の概念に出会いたくて仕方がなかった。

 ですから、サックスを捨てたくない自分を認識した時に、「これが、未練……!」と、幻獣に出会ったかような感覚に陥ったかもしれません。

 ずっと、出会いたかった。でも、いざ出会うと、恐ろしい。

 聞くところによると、未練とは、苦しいものらしい。失恋した知り合いの、どうしようもない愚痴に付き合ったことがあれば、それくらいのイメージは湧きます。漫画や映画、本にだって、「忘れたい、でも忘れられない」、そういう未練の概念は出てきます。未練をもつものは、皆同様に苦しんでいます。
 自分にも苦しみがあった。プロを目指していた時の、音楽を素直に楽しめない恐怖、苦痛。それが蘇るのだと思うと、阿鳥は恐ろしくて仕方なかった。

 未練という一途な想いの結晶に出会いたかったのに、目の前に現れたと思うと、向き合うのが怖かったのです。だから逃げました。

 サックスは捨てられない。でも、触らないことならできる。触りたい気持ちはあるけど、それはダメなんだ、だって、これは『未練』なんだから。

 ここでおかしいのが、サックスは触らない癖に、音楽を聴くのはやめていないところです。帰り道に、ヘッドフォンをして。やはり、性癖なので、やめられないんですよ。音楽というものが好きすぎて、触れていないと気が済まない。未練があって思い出したくないなら、聴くのも嫌になるような気がするんですが……まあ、未練のなんたるかも、知らないわけですしね。

 で、とにかく『サックスを触る』という直接的なことから逃げて、逃げて、逃げて……。ホテルマンという新たな道を見つけました。自分に向いているという認識も多分あって、その立場に没入し、時間をおくことで……『未練』という幻獣を檻に押し込め、閉じ込めたつもりになったのです。

 そして、音子ちゃんにハッパをかけられ、ヤケクソで覚悟を決め、その檻を勢いよく開けてみたら。

なんということでしょう。何も、いなかった。

 だから、「あれ?」となったわけです。伝説でしか知らないような幻獣に出会って、迫り来るのが恐ろしくて檻を作って閉じ込めた筈なのに、実際は、”もぬけのから”。

 おかしいな。俺、サックスが好きすぎて、人生捧げすぎて、未練タラタラだったんじゃないのか? いつも切り替えられる俺が、サックスにだけは、未練があったんじゃ、なかったのか……?

 可哀想な、阿鳥遥斗だな。。。残念ながら、君は未練になど出会っていなかったのだ。阿鳥遥斗よ、それはな、……ただの、性癖だ。元気出せよ……あ、アップルパイ食べる??そう、食べない。うん、ごめんね……。


顧みない青年

 阿鳥遥斗は、天性のミニマリストです。だから、形あるものに頓着しません。目に見えるものに頓着しません。だから、『目隠し青年』だったんです。

 これは完全に憶測でしかないんですが、あの「手で目を塞ぐ」というアイコン。日光東照宮の「見ざる・言わざる・聞かざる」が元ネタなんじゃないかな、と……。良いものも悪いものも、見えるものをとにかく見ていない。
 ですから、誰の手かと言われると、阿鳥自身なんじゃないでしょうか。支配人の謎の相談相手も「目を瞑っている」と言っていて、「塞がれている」とは言っていませんから。自主的なものでしょうね。
 そういえば猿、というと、誰ソ彼ホテルでは地獄を連想しますが……考えすぎですかね?いや、でも骨だしな、地獄感ある……?考えすぎとか、今更だしな……?
 ヴヴン、……ゲホゲホ!

 とにかく、阿鳥は実世界を見ているようで、見ていない人間なんですよね。いい意味でも、悪い意味でも。物を持つなら、良いものを少しだけ、必要なだけ。態度・気持ち・体験・時間を良いものにできれば、それが一番良い。それが行き着く先。目に見えないもの、手に取れないもの、音のような、すぐ消えてしまう、その場限りのもの。それに価値を感じ、夢中になれる人間なんです。

 だから、捨て去るのが得意です。「時間・場所・場合」に相応しい「態度・気持ち」を優先し、切り替え、真面目に演じ、没入し、公私を混同しない。完全にいらないのならば、捨て去る。誰かを好いていた、という想いですらです。無理矢理やっているんじゃありません。そうできるし、そうするし、そうしたいんです。

 自分の持っていたもの……更には自分にも、頓着がありません。

 目に見えるものに重きを置かない阿鳥は、自分の姿形も身だしなみやマナー、アイコンでしかなくて、どうでもいいんです。大した意味がない。本質でない。あるとしたら、「客寄せパンダ」くらいの意味です。周囲が群がるだけのもの。周囲が群がるのを知っているので、自分がそういう類の……「見目が良い」という事は知っていますが、それ自体をどうでもいいこと、本質的ではないと考えています。だから客室も、阿鳥の姿を見せず、代わりにパンダを用意した。阿鳥の本質が、目に見えない部分に傾倒しているからです。

支配人
「当ホテルの客室は、宿泊するお客様によって内装が変化いたします。お客様にまつわるお部屋になるのです」
————『顧みない青年』

  目に見えないもの、手に取れないもの、音のような、すぐ消えてしまう、その場限りのもの。後から振り返る”よすが”のないもの。それらを好む、顧みない青年。顧みないので、自分の姿を、自分の行動を、正確に把握できていません。

 阿鳥は自分をマジョリティだと信じており、自分の世界観が特別ミニマリズムに傾倒しているんだということに、気が付いていない。
 だから無闇に「執着」や「未練」の存在を意識し、自分にもそれがあると思って怖がってみたりしたのです。

 実際、サックスをただ素直に楽しんでしまった阿鳥ですが、それでも自分自身に未練が存在しなかったとは思えず、時が経って、大人になったからだと理由づけをしました。

阿鳥遥斗
「うーん。俺も少しは大人になったのかな?」
—————5章-『お礼』

  少々、遠回りはしています。ですが阿鳥は、「未練を捨て去った自分」を認識したことで、何処か晴れ晴れしい気分になります。

阿鳥遥斗
「君のおかげで、目が覚めた」
阿鳥遥斗
「ありがとう」
子供っぽい笑みだ。
—————5章-『生意気なガキ』

 人生を捧げた「サックス奏者の道」ですら捨て去り、ただ音楽を楽しめた自分。自分が子供の頃から持っていた、天性のミニマリズム。それを受け入れることで、彼は幸福になったのです。

 阿鳥遥斗は、その場で考えられる限りの、最良の選択をします。それによって、自分がその直前まで抱えていた何かが有ろうと押しやり、捨て去り、最良を選択します。

阿鳥遥斗
「でも、好都合だったのかも」
塚原音子
「……は?」
阿鳥先輩は、努めて明るい声を出した。
しかし、青ざめた顔色は、一向に良くならない。
阿鳥遥斗
「音子ちゃんは生きてて、俺はもう死んでるんだろ?」
阿鳥遥斗
「なら、君が彼を殺すよりも……そう、効率的だ」
—————7章-『アンタのせい』

  阿鳥遥斗は、生きたいと言いました。生きていたら、サックスをまたやろうかと思いました。生意気な後輩と、希望を語り合ったりしました。

 人を殺したくなんてないし、死にたくもない。地獄になんて、行きたくない。けれど、起きてしまった。だから、「これが最良だったのだ」と言い聞かせることで、他の選択肢を捨て去ろうと考え始めます。

 塚原は、この言動を虚勢、本音を隠す行為と解釈していますが、これは半分正解で、半分不正解です。あれは阿鳥なりの防衛本能。あの時の阿鳥遥斗は、他の可能性を見切り、捨て去り、「その場」に没入することでしか、平静を保てなかった。あれは阿鳥遥斗の、本質的な振る舞いだったのです。

阿鳥遥斗
「俺がやりました。俺が大外様を殺したんです」
阿鳥先輩は穏やかな口調でそう言った。
—————7章-『アンタのせい』

 ここに至って「大外様」と言うところが、また。女の子を痛めつける様を目撃していたはずなのに、あくまでもお客様と従業員であり、支配人に対しては部下でホテルのスタッフなんですよね。そして、「そっとルリさんの肩に手を置いた」りもする。大人として、職業人としての振る舞いしか、ない。

捨て去ります。

阿鳥遥斗は捨て去ります。

 塚原音子が、自分自身の顔でやってきたこと。子供が死んではいけないということ。「ライブをしましょう」と言われたけれど、「考えとく」と応えただけで、約束はしていないこと。自分が既に死んでいること。

 自身を捨て去っても良いという理由を並べ、没入し、ああ、これでいいのだと。その場限りの幸福を得ました。

阿鳥遥斗
「音子ちゃん、早く現世に帰るんだ!」
—————7章- 『開門』

 あの阿鳥は血色よく笑っていて、決して、「青ざめた顔」ではありませんでした。それを、泣きじゃくった塚原はちゃんと見ることが出来ていなかったと思います。

 捨て去る自分を受け入れる。それが最良と思うものを掴む。阿鳥遥斗は、そうやって幸福になります。アレは、心からの笑顔だったと断言できます。ただ、その場限りではありますけれども。

 阿鳥は死にたがりではありません。痛いのも、殺すのも、殺されるのも嫌です。地獄なんて怖すぎます。音楽を聴いて、音楽を生んで、お客様に最良の時を提供し、プライベートになれば自分だって、最良の時を過ごし続けたいはずです。温厚に、平穏に。

 けれど一時それを忘れ、心から幸福になれるのも、阿鳥遥斗なのです。
 彼は、その気にさえなれば、己が命にさえ無頓着になれる。

 黄昏ホテルで名前と顔を取り戻した途端に、自分の記憶を探ろうという必死さが失われた阿鳥。何者かわかった、立場がわかった。ならば、”生死”に関しては置いておこう。
彼は”記憶”こそ取り戻したがっていましたが、それは「自分がどうすればいいのか」がわからなかったからで、過去の何かに捉われていたからではないんです。自分の「中身」は手に入れた。それで、なんとなく満足したんです。没入すべき「現在の自分」を見つけたから。
 だって、きっと、大したことじゃない。今は置いておこう。きっと、まあ、そのうちにわかればいい。本気でそう感じていた。

阿鳥遥斗
「ほら、電車が来ましたよ」
支配人
「え? ああ、本当ですね」
再び阿鳥様が窓から身を乗り出す。
だから、危ないってば。
阿鳥遥斗
「どこに行くんだろう……何もないのに」
ぼんやりと呟く。
自嘲気味にも見える。
部屋の外には何もない。
そして、部屋の中にも。
あるのは電車とレコードだけ。
支配人
「(ああ、なんて……)」
—————『顧みない青年』

  支配人は、部屋の外と中、どちらにも何もないということを、哀れなことだと考えています。生死がわからなくても構わないとか、部屋が変化しなくても構わないとか、それらを「大した問題じゃない」と捉えていることとかを、悲しいことだと思っています。

現世に帰りたくないルリさんとは違う。
けれど、彼もまた……。
—————追加特別ストーリー『顧みない青年』

 でも、阿鳥は、悲しくはないんです。不幸ではないんです。だって、「今の部屋の雰囲気が好き」だなんて言うんですから。「自嘲気味にも見える」という支配人の主観も、阿鳥が浮かべた「笑み」を、負の観点から捉えただけかもしれません。

 行く場所のない電車。運ぶという機能。移動という概念。目的地を目指すのでなく、ただ走るという行動のみを繰り返す電車。プロに行きつくのでなく、ただ音楽を楽しみたかった阿鳥。彼の世界観にマッチしています。それが、単純に快かったんじゃないでしょうか。

 阿鳥遥斗は今までの人生において、沢山の人間を幸福にしてきたはずです。助けてきたはずです。
 彼は自分のマイノリティな世界観に従って行動しますが、今の今まで自分をマジョリティと信じています。そうである以上、阿鳥が選ぶ「最良」は、マジョリティ……周囲と一致してきたはず。他者から称賛されてきたのでしょう。
 しかし一方で、自分の価値観では理解しがたい概念を蔑ろにし、傷つけ、捨て去ってきました。それは過去のカノジョたちの想いであったり、過去の自分自身であったりした。もしくは阿鳥を「正義」とした時に、「悪」としてコミュニティから追い出され石投げに遭い、泣き寝入りした人たちとかもいたかもしれませんね。

塚原音子
「こんなにも防犯に無頓着な人間がいるとは……やれやれですよ」
—————特別ストーリー第七話『塚原と阿鳥』

 違うんですよ音子さん。彼は、防犯に無頓着なんじゃない。大体のものに無頓着なんですよ。「中身」は大切にしてるし、その時々は自分なりに極力真剣なんですけど。

阿鳥遥斗
「別に女の子じゃないんだから盗聴されて困る様な事もないし、女のコは部屋に連れ込まないし……」
—————特別ストーリー第七話『塚原と阿鳥』

 阿鳥遥斗、27歳(特スト時点)……。自分が同棲する未来、結婚する未来を素で想像していない。まあ、交際相手に婚姻届を突きつけられてなお独身という時点で察せることではありましたが……(4章で婚姻届を突きつけると聞けるエピソード)。たぶん、家に招き入れて留めるとなると嫌が応にも「自分以外の誰かの痕跡」としての物体が自分のスペースに残ってしまうから、「プレゼント」と同様にシャットアウトしてるんでしょうね。はあ、阿鳥、阿鳥……。一体全体ミニマリズム・ラブ、何処へ行き着くの~~???

(サックスで「プロという目標」が不快だったことを鑑みると、恋愛に「結婚という目標」を持ち込むのが、性癖不一致て事なんでしょう……。ここでマジョリティにおける「恋愛のゴール」を彼に押し付けるのは、同性愛の方に異性愛を押し付けるのと同様の事なのかもしれません。まあ、阿鳥自身に自覚すら無いので本当に誰にも「何処に向かってるのか」わからないんですけど……)


 頓着しない、したくない。顧みない青年。

 そんな阿鳥なので、例え大外に殺されなくても何かの拍子に「生」から離脱した可能性は大いにあるんですよね。だって、女性から恨まれる理由だったら確実に存在するわけですし。死にそうな子供を自分が死ぬことで助けられるんだったら、迷いなく死ぬ気がしますし。
 別に、死にたくはないんですけど。死には執着していないけど、相応の理由さえあるなら生から離脱も可能というか。きっと彼には来世があるんでしょう。地獄にさえ、落ちなければ。


阿鳥遥斗の「中身」

 阿鳥遥斗が夢の地獄から脱出した時、登りきった先は駅のホームでした。大外聖生に殺された場所であり、黄昏ホテルが彼の潜在意識から汲み取った場所であり、塚原音子とであった場所です。

 そこから発車した電車は、悪夢から脱出し……現世へとたどり着きました。塚原が現世へ連れ戻そうと思ったからでしょう。

「どこに行くんだろう……何もないのに」。そう言っていた阿鳥遥斗の電車は、確かに何処にもたどり着かない、ただただ移動するだけのものだったのでしょう。彼は別にそれで良いと思っていた。それがいいとすら思っていた。でも、塚原音子の強烈な意志は、青年を現世へと導きました。

 そして、阿鳥は仮病をつかって仕事をサボり、塚原を呼び出します。あの、真面目で無頓着な阿鳥遥斗が。

 ここがインポータント。阿鳥のミニマリズムは、性癖なので治りません。気持ちの切り替えは得意だし、それを否定したら阿鳥の全否定になっちゃいます。じゃあなぜ、仕事をさぼってまで『知りたい』と考えたのか、取り戻したがったのか。気持ちの切り替えができないことを自覚し、塚原を呼び出し、聞き出すことを優先したのか。

 阿鳥遥斗がこだわっているもの。それは、「中身」です。それも、「今現在」に関係があり、必要な「中身」ならば、所持しておきたい、獲得したいと考えているんです。サックスを捨てられなかったのも、自分と音楽というものを切り離せないという認識があったからです。演奏したいという気持ちが自分の中にあったからです。サックスが、今の自分に必要だと……深層心理が判断したから。

 黄昏ホテルでも、支配人にお願いしてまで、取り戻したがっていたものが、ありましたよね。それは”記憶”です。自分の中身です。自分の顔に関してはそこまで思い入れはなかったと思います。でも、自分を形成する”記憶”に関しては、無くしているということを不安がっていたんです。

そして、死因……性格に言うとホテルに来る事になった要因ですが、それに関しては、「大したことじゃない」と断言している。つまり、「自分を形成する中身」に関係ないと直感的に判断しているんですよ。あれは阿鳥の意志や気持ち、経験に関係ない、事件性のある事故だったと、知らないのに、知っている。

 そして、塚原音子および黄昏ホテルでの出来事は、今の自分を形成する上で、絶対になくてはならない記憶なんです。黄昏ホテルに行った事によって、「阿鳥遥斗の中身」に影響があった。そういう重大な出来事があった。

 たぶんそれは、自分のミニマリズムを受け入れ、「未練を捨て去る自分」を受け入れ、サックスを心から楽しんだ経験のことでしょう。あの時阿鳥は、本当に幸福になった。目が覚め、清々しくなった。今後を左右する、大切な記憶。

 だから、取り戻したいのです。自分の中身に関係がある強烈な記憶がそこに眠っている、それを阿鳥は察してしまって、どうしても気になるんです。阿鳥は「外身」に関しては死ぬほど、文字通り死ぬほど鈍感なんですが、「自分の中身」に関しての直感力はものすごいものがあるんだと思います。「自分の中身」には、執着している。それで、取り戻そうと必死になったわけです。

 阿鳥は死ぬことができる。捨て去ることができる。切り替えることができる。

 でもやっぱり、幸福になりたいのです。だからその記憶に関わりを持つ塚原音子を、無視できない。その塚原が言うことも、無視してはいけないと判断した。

 故に、ライブに出ようと決意して、呼び方も塚原が言っていた「音子ちゃん」に変えた。只の職場の知り合いではない、なにがしかであることを認めた。塚原音子との関係では其れが最良なのだと、切り替えました。

 阿鳥遥斗は、彼がその場で考えられる限りの、最良の選択をします。それは彼が思うだけの「最良」でしかありませんし、正解だと断じることもできないでしょう。しかし彼は、それによって、自分がその直前まで抱えていた何かが有ろうと押しやり、捨て去り、掴んだものこそ最良と信じます。

 それが阿鳥のミニマリズムであり、幸福なのですから。


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酩酊』佐々木 李子
(↑最高挿入歌。カネコノが歌ったやつ)


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