久遠について

読む人あんまりいないだろうから大丈夫だと思うけど、この記事では久遠千歳の中の人が前に活動していた事(いわゆる前世について)や、久遠を引退した後に別の形で活動している事というVtuber界隈では微妙にタブーな所に触れている事に注意。また、Vtuberに関してメタな話もあるのでそれも注意。

・久遠千歳について

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まず久遠の説明からする必要があると思うので、それから始めます。彼女はすでに引退済みのVtuberで「にじさんじ」というグループで不老不死の少女として活動していた。不老不死になったのは魔女に呪いを掛けられたため。その恨みから、彼女が投稿した曲の中のセリフで「あの時僕も殺してくれれば良かったのに」などがある。そもそも配信がそこまで多いほうでは無かったが、8月31日に引退してしまった。(引退したものの、YouTubeチャンネルは残っていて、投稿された歌動画だけ残されている。最高。)

Vtuberとしてのスタイル的には、いわゆるロールプレイが強い方だったと僕は感じている。つまり、ガワだけ二次元の女の子になって裏にいる人間の素のまま話しているというよりも、キャラクターを演じた状態で配信(フリートークやゲーム実況)をしている方だったと思う。

Vtuberの活動の中で「歌ってみた」がたくさん投稿されているのは、Vtuberを見ている人なら知っていると思うが、大体のVtuberが投稿する曲は「なんとなく」そのキャラのイメージに合った曲が多かった。その中で、久遠の投稿する曲はあまり明るい曲は多くなく、彼女が不老不死であるが故に「死」に関わる曲が多かった。まず、最初に投稿された二つがそれにあたる。

「昏迷の味」、と「幸福な死を」である。とっても久遠千歳という不老不死キャラクターに合った曲だったと思う。これはもともとボーカロイドの曲なのだが、間奏などに久遠としてのセリフが追加されていたり、聞いている人の久遠千歳のイメージあるいはキャラクターをさらに強くするものだったと思う。

昔から、ボカロ曲の歌ってみたというものは存在していたが、それはあくまで「歌い手」という現実に存在する人間が歌っていたもので、いくらその歌い手がキャラクター性を作っていたとしても、どこが現実の人間がそういう曲を歌っているだけだと(僕は)感じてしまう。しかし、Vtuberとして、久遠千歳として、不老不死として活動してきた彼女がこういった曲を歌うと、やっぱりその歌詞の説得力が段違いだったと思う。

ちなみに映像制作は同じく「にじさんじ」所属の雨森小夜である。これ以降も映像は雨森が担当している事がいくつかあり、仲も良いらしい。

とにかく、始めのこの二曲が僕の中の久遠のイメージを確立し始めた。

次の曲は「Zero In Zero」。

これは上の二曲がボーカロイドのカバー曲であったのに対し、作曲がsamayuzame氏のオリジナル曲である。この曲で、既にある程度確立された久遠千歳の不老不死のキャラクターがさらに強固なものになった。「千まで生きる自分の名が憎い」など、彼女は己が不老不死にされた事の憎んでおり、死を望んでいる事がわかる。

かなり売れているVtuber以外はオリジナル曲を投稿することはあまり見られず、この曲がオリジナルであることにかなり驚いた記憶がある。他のVtuberでもそうだがそのキャラクターオリジナルの曲はやっぱり最高。

この後に投稿される三曲は不老不死としての曲というよりは、なんとなーく彼女のイメージに合うような曲であった。

一つ目はRTRT。

もとはMiliという人?グループ?が投稿しているかなり曲ごとの世界観が強い音楽で、Miliの動画には日・中・英の字幕がつけられており、日本語の歌詞や英語の歌詞の曲がある。おすすめ。

二つ目はCHO-DARI-。

これはボーカロイドのカバー。聞いたらわかるが、ダルい事より自分が気持ちいいことをやっていこう、っていう、生きる意志が薄い彼女になんとなく合う曲だった。

三つ目はコールボーイ。

これもボーカロイドのカバー。

酒飲みがよなよなバーで飲みまくって潰れる曲。これが投稿されたころ、二日酔いで実験をぶっちした自分にはとても親近感が沸いて聞きまくってた。

自分から破滅していくような曲なので、やはり、不老不死を憎んでいる彼女らしい選曲のように感じる。

この他に、彼女のチャンネル以外に投稿されている曲もあるが割愛。


この三曲が投稿された後に、久遠千歳は引退を発表。発表されてから、引退するまでに、2曲投稿された。ここまでとてもいい曲が投稿され続けていて、これからも色んな曲が増えていくと思っていた自分は非常に悲しかった。

一つは「ホワイトリリー」。

これは以前から共に動画を作ってきた雨森小夜とのコラボ。この曲も直接生死に関する言葉は出てこないが、黒百合の花言葉は「呪い」、白百合の花言葉は「純潔」らしい(コメント欄曰く)。

二つ目は「ニルギリ」。

この曲もただED曲っぽいな、という印象があったが、映像の中では今まで歌ってきた動画のサムネや、今までの曲をモチーフにした衣装を着た久遠の姿が流れていく。久遠千歳の集大成のような、走馬灯のような曲だった。

ニルギリを引退する8/31に投稿して、彼女のTwitterは停止し、YouTubeの動画は歌以外削除された。

最後の雑談配信にて、魔女に不老不死の呪いを掛けられたとき、彼女の背中には刻印が付けられたのだが、配信のエンディングにてその刻印が消える様子が流された。


ここまでが、「久遠千歳」としての活動。

ここから先は今の彼女が行っている活動の話。

自分はあまり詳しくないが、バーチャルシンガーとして、歌メインで動画を投稿してきたVtuberの「花譜」が所属する「KAMITSUBAKI STUDIO」が新たに所属するメンバーとして、歌を歌う「EMA」と、作曲をする「Misumi」のユニット「Dustcell」を発表した。

発表時に流れたDustcellの一曲目、「Cult」を歌っているEMAの歌声は今まで久遠を聞いてきた人間にはすぐ分かる、久遠の歌声だった。久遠はにじさんじ所属のVtuberとしてゲーム実況や雑談配信をした方が良いのか、というプレッシャーを感じていた節があり、歌に専念できる立場になる事を望んでいたのかな、と思う。

(KAMITSUBAKI STUDIOに引き抜きされたのか、という話がTwitterなどで話題になっていたが、後に彼女は自ら志願したような旨の文章が出される。久遠千歳のころからMisumiさんの曲を歌ってTwitterに投稿したりしていたので、交流はあったと思われる。更に、にじさんじ運営はVtuberの活動を中の人のキャリアアップとして推奨している、という話も聞いたことがあるので、この件はそこまでおかしな話ではなかった。)

さて、Dustcell、EMAとしての最初の曲は「Cult」である。

この曲については...何を語ればいいんだろうか。

やはり、社会に上手く適応できない事、自分が何をやりたいのか、悩み、葛藤しているような歌詞だと思う。

「ぎりぎりの命は唄を吐く
脳内を流るるは後悔
息をしてるのはなぁ何のため
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる回る」

など。


次の曲は「STIGMA」。

この曲、ここまでの文脈を踏まえた上で聞ける事が最高に幸せな事だと思っている。自分が今一番語りたい曲がコレ。この曲を聞いたからこの記事を書いたまである。

先ほどのCultは作詞がMisumiで、久遠唯一のオリジナル曲であるZero In Zeroは作詞が誰なのか書かれていないので不明。その一方このSTIGMAは作詞がEMA(久遠)である。勝手な解釈だが、この曲には久遠の思いというか、意志の表明を感じる。この曲だけは、歌詞をいくつか引っ張ってきて、それについて語りたい。

まずは一つ目のサビ。

「書く 目を逸らさずに
嘘しかつけない身体に用はなくて
難儀な言葉は捨て
ただ書くんだ
僕の生きた証を、今」

彼女は、久遠としての活動から「逃げた」、とかリスナーを「裏切った」、などと思っていそうだな、と僕は思っていて、もはや言葉を語るには歌しか無くて。世界に自分の存在を、生きた証を示すには歌しか無いから、その現実から目を背けずに、気持ちを伝えるために歌詞を書くのだと思う。

次のサビ。

「吐く 思いのままに
堅苦しい脳溶かしてしまえばいい
難儀な言葉は捨て
吐き出すんだ
僕の苦しみを今此処に」

苦しみを素直に、変に気取った歌詞を書くのではなく、ありのままの気持ちを聞いてる人に伝えたいのかなぁと。逆に(?)、何が苦しいのかを聞いてる人に具体的に言いたい訳でもないのだと思う。

ラスト。

「あの日全て壊した0に戻る
死ぬまで唄を紡いでいく
今生きている
過去を抱きしめ 0は1に声を枯らす」

ここには、久遠千歳より前の文脈も含まれている。自分が彼女を知ったのは久遠千歳からだったので、いわゆる前世を知ったのは彼女が引退してからだった。彼女はその特徴的な歌声から久遠以前から活動していた姿がある程度知られており、それは歌い手の「rei shirose」であった。rei shirose としての選曲も久遠に似通ったものを感じるものが多い。

なぜこの前世の話をしたかというと、「rei shirose」という名の中にはrei=0が含まれており、今思うと、Zero In Zeroもこの名前を意識していたのかな、と思わせられる。

「あの日全て壊した0に戻る」バーチャルライバーとしての久遠千歳を壊し、ただの歌い手であったreiに戻る。っていう文脈だったのかな、と思うわけです。

「死ぬまで唄を紡いでいく 今生きている 過去を抱きしめ 0は1に声をからす」

自分のこれまでの活動、前世がバレているのは仕方のない事なので、過去を受け入れながらここから新しく音楽を作っていくという意志を表明しているのだと思う。この曲を、もし何も知らずに聞いても十分魅力的だと思うのだが、この歌詞が書かれた背景にはここまでの物語があるので、今僕がこの曲を聞いた感動と同じものは、ただこの曲だけ聞いても得られるものでは無いのだと思う。


自分がSTIGMAについて語りたいのは大体このくらいで、細かい事ももうちょいあるけど割愛。


久遠千歳についての話は大体これで終わりです。

いないと思うけどここまで読んでくれた人ありがとうございます。



・補足

久遠千歳として歌った曲は他にいくつか存在していて、本人のYouTubeチャンネルには投稿されていないが、彼女がTwitterの動画として投稿したものがあり、それをYouTubeに転載している人がおり、その曲は特に久遠の言いたい事が詰まっているような気がするので、その動画だけ紹介しておく。

他にもいくつかあるけど一番わかりやすいのはこの曲。

以上です。


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