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無題:

いつもはきっちりスプーンで量るコーヒーの素を、雑にすくう。大体に廃。そのままちょくでマグカップに突っ込まないだけ、まだマシだと思う。雑に置いたゴールドブレンドの瓶の音が響き、少し可哀想だと思った。

コーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。漂う花粉が、全部これになればいいのにと、思った。


下に降りて、味など関係もなくただ、くじ引きの箱を漁るかのように、カントリーマアムを手づかみして、口に放り込んだ。この一連の行為に、どうしようもない生の実感を得て、苦しくなる。

明日は家に人が帰ってくるから、どうにかして今日は取り繕わねばと、家事を始めようとする。
掃除機は別に明日でもいいかと、帰ってきてまだ全体をかけてない現状の中、それを放り投げた。辛うじて、洗濯は回した。

最近、風呂というか、シャワーを浴びないことを覚えてしまった。休み期間で何も無いなら、どうせ誰にも会うことは無いし、会う人もいない。期間は持って流石に2日間くらい。メリットは諸々の節約など、デメリットは体が汚れたままということ。
いやそんなことよりも、毎日当たり前だったものが、こうして壊れていくんだなと、思った。心が汚れているのだから、彼を1人にするくらいなら、一緒に汚れたままでいようと、屁理屈を吐いた。
流石に用事があるとちゃんと洗っているし、洗っていないことの方が稀なことだけは、補足しておきたい。

コーヒーを飲んだ。
買い物には行ってないから、手元に牛乳はない。程度にもよるが、この程度のブラックなんてことはない。

そういえば、両替無し現金のみのバスを利用する時、旅先の自販機で1番安いホットのブラック缶コーヒーを買って、夜、帰りの高速バスを待つ時に、すっかり冷めたそれを飲み干して、ベンチに置きっぱだったペットボトルが寂しそうだったから、空き缶を寄り添わせてあげたんだっけ。

ただの捨て置きだった。けど、確かに私の座標はそこにあった。


今日寝る前、どうにか笑ったまま寝れるかと思ったのに、イヤホンを外したらまた虚しさが私を包んだ。別に頼らなくても寝れるのに、ただの趣味で聴いていたASMRを最近聴かずにねているんだよ、偉くないか俺と、IKEAのサメにすがりついた。

数分後、私は寝る姿勢を変えて、サメと袂を分かった。

7時過ぎ頃に寝たのに、12時頃に目が覚めた。たまにある、遅く寝たのに意外に早く起きるパターン。大抵は、この後二度寝をかまして行く。
今日は、そんなことでもなかった。

どうやら私は、夢を見ていないことはなく、十中八九見た夢の内容を忘れて起床している気がする。その分眠りが浅い時は、夢を見た事と、その内容が頭の中にぼんやり残っている。

今日は、今回見た夢の続きだったのか、いつかの続きだったのか、デジャブ感とはまた違った、妙な感覚を覚えた。
親戚が、何らかの理由で死んだ。現実世界の私にとって、正直言って申し訳ないが、お亡くなりになっても大して涙が出ないような対象では、あると思う。それでも、まぁ大切な人達ではある。

あまりにも急な出来事だったから、悲しみよりも衝撃の方が強かった。
そんなことをしていたら、急に私の父親が、「見るか?」と言って、何やら私を連れ出した。

眼前には、明らかに死体がその下にあるだろうそれがあった。父は、しばらくご飯に手が付かないだろうとか、言い出す始末で。

私は、それを見せようとする父に対して、ごめん、心の準備がまだ出来ていないからと、待って欲しいと、懇願した。「しばらくご飯に手が付かない」とか言うのだから、一体どんな様相を呈しているのか想像に難くなかったから、私はもうその時点で、ダメだった。

夢は、ここで覚めた。


コーヒーが、ぬるい。

父は、そういうものに対する耐性がある程度、備わっているような手応えがあるように私は思う。ただ、急にそんなことを言い出して私にそれを見せるような人では、ないと思う。
おそらくまだ私が幼い子供なら、見せることもしなかっただろう。けど、父はそれを私に見せようとした。
私はそれを、待って欲しいと止めてしまった。

これはきっと、大人への通過儀礼と、試練のようなもので、どうしようもなく私が“ここまで“来てしまった感がどうにも拭えなかった。
気持ち悪いというより、なんだか奇妙な夢だった。


目覚めの気分は最悪だった。別に、夢のせいではない。私が私だと認識して今目覚めたことが、どうにも吐きそうな現実だった。誰かに成り代わりたいのではない、誰かに代わって欲しくて、消えてなくなりたいのだと思う。いや、それは少し寂しい。体は譲り渡しても、心の中で残滓が残って、心の会話ができるくらいにはしておいてほしい。ただ、特別な能力は無いから、ヴェノムだとか、寄生獣のような感じでパワーアップはしない。
申し訳ない。


心が終わっていても、noteを書くだけでも偉いだろと、思った、ただ、体裁を保つのがだるいから、起きてから何かを口にするまでの間、思考した内容をなんとなしに線で結んだ。思いのほか、心が楽になった。つまりは、思考した内容がここで擦り切れたことを表す。心がどうしようもない時にこそ、そういう表現があらわれてくるというのに、これではどうしようもない。


起きて、布団から出るまで、しばらく時間を要した。いつもの事だ。
おもむろに、Twitterを開く。ここ数日になってまた、TLを巡回するようになってしまった。ありふれた、残りカスみたいな、そんな生活が戻りつつあった。
SDGsとか言うのなら、こんなカスも有効カス用して欲しいと思う今日この頃ではある。

このくらいの時間なら、私の好きな人たちはそろそろ昼休憩と行ったところか、他には、今日も仕事だから、今のうちに英気を養っているところ当たり、か。
あの日会ったあの人は
隣に座っていたあの人は

彼らは今日も、頑張っているんだ。
私は今日も、頑張っていないんだ。

思考の烙印。どうやら烙印も、デジタル対応に追われているらしい。

SNSが普及して、他者との比較が容易になった。比較三原則。
別にこれは、比較がどうのだとかそういう問題じゃあない。
これは自己認識の問題で、さっさと自分が“頑張っている“と思う水準まで必死にやりゃァいい、至極単純な話なのである。
なのにこうして、いつまでも、グズついている。最早これが日常と化し、日常を溶かしていった。

もう3月だ、何日経った?
こんな文を紡ぐ間、同学年のヤツらはエントリーシートとか自己PRとかをガリガリ書いているんだろうなと、イラつく。別に彼らにイラついているのではない、みなまで言わすな。


こんなメンタルでいられるのは、酷く贅沢なことで、時間を潤沢に、無駄に、ふんだんに使って、座礁した船から漏れた重油の海を泳いでいる感じだ。こんな思考でいられるのも、きっとこの時だけなのだろうと、願いたくなる。
これまでは考え事があっても、直ぐにそれが終わるようなものばかりだった。なんだかんだ忙しくて、思考の時間を奪ってくれたからだ。

大学時代は自己の内面との会話の時期だったとすれば聞こえはいいが、蓋を開ければ何も煌めいたものは無い。バケツいっぱいにすくってきた、澱んだ、火がつくんだかつかないんだかの重油があるくらいだろう。そんなのでは、エンジンに使う燃料にもなれない。

そんな思考もすぐに淘汰されていく。ひた隠して、誰にも気づかれないように、現実世界で生きていかねばならない。相談したところで、それが全てを解決してはくれない。全ては私に委ねられる。当たり前だが。


私は少々偏愛が過ぎたから、高校の時の部活連中のことは大好きだったけど、最近は触れ合いもしないからそんなことも無くなった。まぁ、再び会えば発芽するようなものだとは思うが。

彼らが好きだと言った訳ではなくてもこうなのだから、私のことを快く思ってくれる方がいるのなら、そりゃあ密かに厳かに重く、偏愛をしていくに決まっている。私のことが好きな、私が好きな人、それが重なってしまえば、内側でドロドロになるのは決まっていた。 まぁ、そんなことも、無いか。

でもその人たちは、私のある1面、2面程を見て好いているだけで、このnoteよろしく他のものや、ぐちゃついている私を見たら、一体どう思うのだろうか?数人には見せているこの側面も、果たして受け入れられているかと言えば、全面的にそうでも無いだろう。
どうなんだ、受け入れてくれるのかい。解決してくれるかい。全てを。この憂いを。
私をどうか掬ってくれないか、その柄杓で、少しずつ。下にそれを撒いても構わないから。

またクソ文を生み出してしまったな、何がしたかったんだろう。

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