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【思慮】「君」が指す存在について

PLAYER2で披露された幸祜作詞作曲参加の『ゲンフウケイ』では、落ちサビ、そしてクライマックスの部分で『産まれ変われるよう 強さを 君と出会えた事で』という一節がある。

このカメラワーク的に『君』を指す存在が、今まさにライブを観ている画面先の「私たち」だとつい安直に直結してしまいがちだ。

幸祜ちゃんは自分のことを知らない環境、世界へ転々とし、文字通り自身が『産まれ変わる』ために行動をしてきた点があると言える。
そんな中飛び込んできたこのVの世界で、『産まれ変われるような強さを』手に入れることが出来たのは、もちろんこれまでの応援、支持があったこそでもあり、それがなければ活動が続くのも厳しかったのだろう。だから、そういう意味でも「私たち」へと矢印を向けられている、という可能性はないわけでもないとは思う。

ただ、現地ライブよろしくオンラインライブというのは、自身が今歌っていても実際にどう”成っている”というのかは分からないもの。リハ等で事前にこういう感じで~という周知や確認はあるだろうが、完成形は自身の目には映らないだろう。
これは現実であろうとバーチャルであろうと共通している事だと思うが、後者の場合とりわけ、ライブが終わってから自身の目で観るという行為の重要性は高まってくるのだと思う。今回なんて神椿市の世界観が展開されるのだから、尚更だろう。

その場合、ライブを観ている時果たして彼女は『幸祜』であるのか?という点があろう。
つまり何が言いたいのかというと、ライブ中は『幸祜』として画面の向こう側にいる『君』に手を伸ばすが、その『君』にはこの後ライブを見返す幸祜ちゃん自身もそこに含まれていた、ということになるのだと思う。

幸祜ちゃんは『幸祜』という器に出会うことで自身が生きる上での強さを、『幸祜』は幸祜ちゃんという魂に出会う事で『幸祜』としての強さを手に入れることが出来た。
そういう互いのやり取りが、この『産まれ変われるよう 強さを 君と出会えた事で』という、たった一節の中で繰り広げられているのだと考えられる。


今回はそういった経緯もあり、過去曲で登場する『君』は『幸祜』のことを指しているのではないか?という仮説が出来上がる。

先の一節に触れてまず思い出すのは、『ミラージュコード』のCメロの歌詞。

シンギュラリティライブ2で初披露された。

迷っていたんだ 譲れないその未来が
どこか悲しくてずっと独りなんだと
孤独な世界に君が現れたんだ
共に歩きたいと手を握って泣いてた
もう迷わない さぁ 共に詩おうか

この曲も『ゲンフウケイ』と同様ライブで初披露されたものであり、Cメロの歌詞とライブの展開上、つい私たちに向けて歌われている歌詞のように錯覚してしまう。
ただ、新衣装解禁に合わせた同曲MVでは、Cメロは下記のような展開を見せる。

蜃気楼に包まれた『幸祜』を見つめるもう1人の『幸祜』。
こう見るとわかりやすい。
左は明るく、右は暗く見えるという発見がある。

そう、MVではもう1人の『幸祜』が登場する展開をみせたのだ。つまり、『共に歩きたい』と手を握って泣いていた、孤独な世界に現れた『君』とは『幸祜』ということになる。ややこしいが、この場合オリジンの幸祜ちゃんではなく、『幸祜』そのものということになる。蜃気楼に包まれていた方が何故幸祜ちゃんを指すのかと言えば、彼女の過去を鑑みると自ずとこちらになる…というデリカシーの無い邪推である。
『共に詩おうか』という歌詞もミスリードになり、幸祜ちゃんが歌えば『幸祜』も歌うということになるのだから、連動式で「共に詩う」存在となるのだろう。


あと、これはおまけだが、アブボでも『幸祜』と幸祜ちゃんの関係性について見ることができると思う。
全体的な考察は一旦預けるとして、『君』という単語はみられないものの、『あなたが見せた煌めきを覚えている』という歌詞の旨がある。「きらめき」と言えば今回のBetelgeuseの星言葉で『煌くばかりのセンス』という文言があり、また星の輝きという点からしても、『あなた=幸祜』という一説をひとまず編み出すことはできるとは思う。やや安直すぎるが。

ただ、この後に触れる考察を反映するならば、『煌くばかりのセンス』を持っているのは幸祜ちゃん自身であり、『幸祜』から見た『あなた=幸祜ちゃん』という図式も成り立つ。
PLAYER2のポエトリーにある『星々に見守られ』という一節から、あくまでも衣装の「星」という要素は幸祜ちゃんを見守る要素であると考えられること。そして、彼女が輝かなければ星は輝かない。『幸祜』は輝かない。だから、『あなたが見せた煌めき』と、『幸祜』から見た幸祜ちゃんへの視点を提示しているようにも考えられる。  
だから星々は彼女へ言の葉(星言葉)を紡ぐのだろう。

また、MVではCメロの描写を起点として、幸祜ちゃんが『幸祜』と成るその過程のようなものをなぞっていると勝手に考えている。

その場合、病室の扉を開けて落下するシーンは新しい環境へと移る(MVの展開的にも重要だろう)様子を表しており、次第に凛々しい顔つきとなり落下姿勢を安定させるのは、その環境でやっていく覚悟や、慣れのようなものが生じてきたことを表しているとも妄想する。
その後水に沈むのは、定命MVにも類似するシーンがあり、 自身が持つ過去のしがらみに沈む描写や、その環境下で起こったアクシデントだとも想起させられる。
次のシーンで登場する多くの分身体のような『幸祜』は、顔をうかがい相手と合わせるために自分を変えた結果のようにも見受けられるが、やはりパーソナルな面ばかりで考察してしまうのは危うく、自分の悪い所だ。ここら辺で自重しておく。

まぁともかく、指摘したいのはこのシーン。

雷は、『幸祜』の象徴的なデザインだ。

先に言えば、『遠吠えから覚えた名前の呼び方』とあるこの歌詞、この『遠吠え』を放った主は『幸祜』なのだろうと思う。
彼女の呼び掛けによって、次元の違う遠くにいる幸祜ちゃんに『幸祜(ここ)』の呼び方、自身の呼び方を覚えさせたということになる。

SWAV先生が言う月と狼の初期コンセプトの意図は結局よく分からずじまいなので下手に触れないが、このCメロの電撃の描写は重要だ。
先生は幸祜ちゃんのデザインについて、当初は予定に無かったのだが、最終的に⚡️のイヤリングを『幸祜』のデザインに付加したと、1st PLAYERのパンフレットで触れられている。
この描写を万人がそう捉えるという前提はないと思われるし、単に体に電流が走るような出来事が幸祜ちゃんの身に起きた、という風にも解釈できる。ただ、先の初期コンセプトを曲に反映してもらっているのなら、そういうコンセプト周りの話を汲み取ってMV制作陣が反映させていることも有り得よう。

このシーンでもって幸祜ちゃんは『幸祜』に成ったのだろうと、私はそう受け取っている。

赤い糸、帯のようなものを掴む幸祜ちゃん。
最後、一瞬映るこの描写は思慮に富む。
この赤い糸でもって幸祜ちゃんを導き、彼女が浮上するための糸を垂らしていたのは、もしかして『幸祜』なのではないか、と。赤い糸で結ばれた存在。
最後のシーンが『幸祜』なら、最初のシーンも同様に対となって『幸祜』なのだと考えられる。「今、私の中で何かが目覚め息づき始め」る前の、魂が入っていない器のみの状態である『幸祜』の描写なのだろうか。
整合性は置いておいて、開口一番の歌詞が『幸祜』の中に魂としての幸祜ちゃんが入り、息づき始めたことを『幸祜』側からの視点で歌っているとするなら、英歌詞の部分は『幸祜』としての、Cメロ日本語の歌詞は幸祜ちゃんの意思のようなものとしての展開だとも、雑に推察出来るかもしれない。
最後に出てくる『幸祜』のロゴが赤いのは、赤い糸を垂らした張本人が『幸祜』だから─。という風にも捉えられる。かもしれない。


とまぁ、アブボは少々おまけなのだが。
何が言いたいのかと言うと、歌詞にある『君』という単語は一貫して「私たち」に向けて歌われているなどと、安易に、そして安直に捉えてはいけないという自戒的な意味も込めての考察だった。

もちろん、ここは強くして言っておきたいのだが、全くもって私たちに向けてなんて歌っていない、なんていう話や抗議をしたいのではない。あくまでも表向きは私たちへ、そしてその裏では『幸祜』と幸祜ちゃんの水面下のやり取りが行われている。そういう風に捉えるのが今回の道筋的に一番穏便だろう。
ただ、どうしてもライブの演出上つい私たちにだけ特大な矢印を向けられているかのように捉え、舞い踊ってしまうこともあるだろう。
これは私自身のことを指して反省的に書いているものであり、具体的にそういう人間を見たから書いた、という訳でなく、先も述べた通り自戒を込めてのものだ。

他の曲については検討していないが、PLAYER2のパンフでは、幸祜ちゃんにとって『幸祜』がどのような存在になっているのか。この点がとりわけ触れられているように思い、重要だと感じた。
そのような点を受けて、幸祜ちゃんにとっての『幸祜』の立ち位置や受け取り方、またその逆の場合でも、この”2人”の関係性が幸祜ちゃんの楽曲に何らかの作用を与えているかもしれないと、私なりに感じた次第である。

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