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無題:旅のおわり

朝。

眠り眼の中、父親を見送る。昨夜車の中で予行練習し、別に私に対してという訳では無いのだけど、感極まり泣きそうになったその言葉は、ついぞ紡がれることなどなかった。親に対しても遠慮してしまう、本当の感謝の気持ちを伝えられないこの曇る気持ちを抱き、家族なのだからと、私の心境を汲み取って欲しいなどと浅はかな思いを混ぜて再び眠る。贅沢な事だ。

昼前。

目が覚めて、見慣れたような、見慣れないような天井を見つめる。車の通りが多いアパートの部屋の外からは、行き交う車を太陽が反射して、その光が窓から天井へと写し出されているような、そんな景色を見た。綺麗だった。

ふと、窓からの景色を見て、耐えられなくなった。私はもう二度と、ここから顔をのぞかせることなどないのだ。私に関してはさして気にならない車の通りの多さ、つまりは人の営みを感じさせる音でもある。遠方に見える名山も、二度と見上げることも、見上げ返すこともない。

出発前。

バス乗り場がある電車の駅はもう二度と私は利用しないかもなのだろうと思うと、訳もなく涙がこぼれそうになり、悟られないよう、しきりに瞬きをする。バスは数人を乗せ、空港へと向かう。

空港には、誰が奏でているのか、YOASOBIの「夜に駆ける」の伴奏が流れていた。ベタな選曲ではあるが、そんなことなぞ気にしないほどの心地よさが私を包む。

騒がしい日々に笑えない君に
思い付く限り眩しい明日を

離陸。

飛行機が飛び立つ時、整備士の方たちがお辞儀をして、手を振って私たちの空の旅を見送る。行きの時もそうだったが、やや儀式めいてもいるその動きが何故、私の涙腺をこれ以上もなく刺激してしまうのか、その理由は自分にも分からなかった。
いつもは離陸する時体にかかる重力に呻く私も、この涙の効力によって少しは緩和されたように思う。

飛行。

あとどれくらいの飛行で 虚しさ消える

私が好きな星宮ととさん+TEMPLIMEの曲、「HIKO」の歌詞。飛んでいる時、ふとこの歌詞を思い浮かべる。

今回含め、人生において3度目の飛行。その帰路にて、初めて空路の中で富士山を見た。とても綺麗で、この時間の便を取ってくれたこと、チケットを高い方にして、窓際の席を取ってくれたことなど、様々な要因が重なって見ることが出来たこの富士山は、とても綺麗で、きれいで、色んな想いが溢れて、涙が止まらなかった。富士山を見て感涙しているやばい人になっていたが、この景色をもって私の旅が本当に祝福されていたものだと知り、視界が霞んでいく。

到着。

久しぶりに一人で帰るものだから、人手が多くやけに大きいこの空港に帰ってきた。安心するんだか、しないんだか。バスの時間を待ちながら、次に来る機会がいつか分からない、この空港を散策していく。


───天気が良い。

行く前に気が向いて塗りたいと言った、この手にあるネイルは段々と剥がれ落ちていき、徐々に伸びていく爪が、その色彩をより不揃いにしていく。
君に会う前に剃り直した髭は再び芽吹き始め、いや芽吹き始めるなという感じなのだが、否が応でも私に時間の経過を感じさせた。

出発前はややへそを曲げていて、塗った爪はストーリーに挙げたものの、数爪しか写っていなかったはずだし、かといって塗った色についてなんか説明していたような気もするけど、それでも君のその手には、私のと同じような色が塗られていた。

原文ママでもう思い出すことは出来ないけど、お揃いだからほんとうに匂わせみたいだと、写真を撮った君は笑っていたんだったか。

酷い肌荒れで、ガサガサで、少し毛の生えたこの私の手が愛おしく思えてしまったのは、初めてのネイルで爪が彩られただけが理由ではなかった。

禿げていく色彩を目で愛でながら、ふと小指だけが未だに綺麗なままなことに気づく。した覚えの無い誰かとの指切りをふと感じ、気持ち悪く微笑む。

黒と、青と、緑。昔から好きだった2つの色はやがて、外見とともに黒く染まっていった。ジーパンは青かもしれないが、別に色鮮やかと言えばそうでも無い。私が好きな色が外見に反映されることなど、滅多になかった。

ネイルの色には先の3つを採用した。もう過去は今の自分で振り返るしかなく、正しい理由であるのかも分からないが、海や空の青、木々の緑が大好きだったような、覚えがある。
外見をもっぱら白と黒とで構成した、つまらない自分にネイルは色彩を与えてくれた。最初はやや爪を隠すこともしたが、今はあまり後ろめたくもない。そんでもって今回の旅では、青と緑に構成された多くの自然に触れてきたのだから、きっとそのエネルギーをいっぱい吸い込んできてくれたのだろうと、嬉しくなる。

…禿げていくネイルにふと、美術の時間に使っていた酷く汚い自分のパレットを思い出した。勿体ないからそのままにした、出しっぱの絵の具。たまたま綺麗な色が出来たからと、混ぜ合わせた色をそのままにしていたそれは、このネイルと同じような見た目をしていた。色味の話ではないけど。

この思い出に触れる時、あの時のパレットの絵の具のようにいつまでも保存することは出来ないものかと、ふと思う。乾いていたとしても、再び水分をつければそれは復活し、みずみずしく色を放っていく。けれど、色の調整は難しいもので、その時作った色たちもやがて変わっていってしまうのだ。あの時感じた全てのものは、その時の私だけのもので。それでも、そこから派生して変わっていくものもある。変わらないものと、変わるもの。前者の色彩から変化していく後者のそれが、綺麗な色であることを祈る。

私が過ごしたこの10日間は、普段肯定出来ない自分のことを、酷く肯定できた時間であった。俺が“俺“で良かったと、酷く思えた。自分のことを肯定しようがしまいが、別にいいのではある。しかし、この家族の元で生まれ、会うべき人と巡り会い、様々な景色を見てきて、何に関心を向けるのか、私がそこまで地に足ついてやってきたその意味を全身で感じた日々だった。

大学生になってから、閉じこもり内心で考えることが本当に多くなった。4年半前に彼の地に赴いた私は、旅行先で何を考えていたのかなど、今はもう知るよしもない。それでもこの差異が、愛おしく思える。お前が見てきた景色を、新たな景色を今俺も見ていて、きっと違った視点で見ているぞと、少し胸を張れるようになった。


……用いたい文章表現、たった数文を述べたいがために、全体像を形作っていかねばならない。私はいつもそんな感じで、さながらそれは少ない欠片を用いての復元作業に他ならなかった。今回も、上手く復元できなかった気がする。

脳が擦り切れたので、ここら辺で終わり。じゃあね。

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