取材日記 シアトルは時給20ドル

某月某日

 セントラルフロリダのいちご畑で働く人たちの話をこの前の日記で書いた。いちご畑で働く人たちがバスから降りていくのを見たときに、フラッシュバックした出来事がある。

 球場で働く人たちの姿だ。2021年のフロリダ州ブラデントンのパイレーツのキャンプだったと思う。私はその日、当時、レッドソックスに在籍していた沢村投手を取材していた。仕事がとろいうえに、そして、日本との時差があって締め切りまで時間があるのをいいことに、米国人の記者たちが帰ったあとも、ノートパソコンにむかってパチパチと作業した。ようやっと仕事を終えて、出口へ向かこうとすると、球場を清掃する人たちがうわーっと入ってきた。

 球場での仕事はいろいろあれども、試合が終わってから球場の清掃をする人たちは、普段、お客さんの目に留まることもなく、チーム関係者の目に留まることもない。みんなの見えないところで仕事をする人たちでだ。清掃の人たちは、英語ではなく、スペイン語をしゃべっていた。どこかから移民として来た人たちかもしれない。さっきまで、観客席を埋めていた人たちとは違う人種、違う言葉の人たちだ。その日、観戦していたお客さんは圧倒的に白人が多く、しかもキャンプ地のフロリダであるからか、中高年の人が多かった。

 ブラデントンの球場だけでなく、メジャーの本拠地球場でも、試合が終わって、お客さんがはけた後、大勢の清掃のスタッフの人が入ってくるところを何度か見かけた。ナイターだと午後11時過ぎからの深夜勤務である。夢から覚めたような、ナイターの灯だけが残る空っぽの球場。夢の後の現実を表すかのように散らばっているゴミ、食べこぼしを、風圧で掃除をする機器や、大きなゴミ袋を手に掃除していく。職業に貴賤なし。年間20億円稼ぐプロアスリートの仕事と、球場の清掃スタッフの仕事と、どちらが上ということはない。

 どちらが上ということではないし、その仕事に就いているひとりひとりを束ねて捉えるのは慎まないといけないと思う。それでも、あえて、書いてみる。アメリカで球場清掃をしている人たちは一般的には高収入の仕事ではないし、移民の人たちが多い。私自身は、同じ記者席にいるアメリカのメディアよりも、観客席にいる人たちよりも、清掃の人たちのほうに近いと思う。

 まず、言葉である。私は英語を母語としておらず、ネイティブ並みの英語はできないどころか、かなり下手である。さきに書いたように記者席でとろく作業をしていると、清掃の人が入って来るときがあり、私は下手な英語で「今、すぐ出ますので」などと言いながら、荷物をまとめる。清掃の人も英語は母語でないらしく「オーケー」とか、ときには、大丈夫というようなジェスチャーで返してくれることがある。

 収入の面でも、さほど違わないだろうと思う。私はアメリカで働いてはいるけれど、日本の読者に読んでもらうために日本語で記事を書くという仕事をしている。たとえ、ドル建てでいただいても、その原資は日本の読者、日本の新聞購読料、ウェブに掲載される日本のスポンサー広告料である。インターネットの登場によって、20年前から原稿料は変わっていないどころか下落しているし、さらに近年は円安でもある。

 今、シアトルマリナーズの本拠地球場の清掃の求人を見てみたら、時給20ドルと書いてあった。1ドル150円なら3000円である。違わないどころか、時給に換算すると、私のほうが低いぐらい日もあるのではないかと思う。でも、仕事があるのが、不思議なような気もする。アメリカはこの20年間で、地方紙が再編され、スポーツ報道に携わっていた記者もかなりレイオフされた。私が今、仕事できているのが不思議なくらいだ。これはアメリカに比べると、日本のほうがレイオフしない社会だからかもしれない。

 ちなみに、私の母は50代半ばから約20年間、オフィスビルの清掃員をしていた。母はもともと、きれい好きで掃除もきっちりする人だったうえに、職場でプロの清掃員としての技術も身に付けてきた。後期高齢者に入るころまでは、家庭でもその技術を発揮していた。もう80歳に近いし、衰えてきているのだが、掃除をしないと気が済まないらしい。風呂の掃除中に滑って転倒し肋骨を骨折した。娘の私は、大雑把で、掃除はとても下手である。だからといって他に得意なこともないのだけれど。

 

 


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