さくら先生に質問してみました。

Twitterでは多くの精神科医さんがいらっしゃいます。不思議な魅力とほっこりツイートが人気の「さくら@精神科医」(@sakura_tnh
)さんに、精神疾患当事者Siriが思う疑問質問をしてみました。

文頭ではありますが謝辞を。

さくら先生、お忙しい中ご対応いただき、ありがとうございます。書かれたものが当事者や当事者の周辺の人達のためになればと、質問させていただきました。最後まで真摯なご対応に平身低頭です。「人癒やすのは人だ」と言いますが、「人を癒やすのは善き人だ」と思いました。

さあ、さくら先生への質問をお楽しみください。


さくら先生に質問してみました。


1、なぜ多くある診療科の中から精神科を選ばれたのですか?

「なぜ精神科を選んだのか?」、とはよく聞かれるのですが、なかなか一言ではお答えが難しいですね。

ご存知の方もおられると思いますが、医師が専門とする診療科を選ぶのは、医学部を卒業して2年の初期研修を終えるころになります。

初期研修の開始前から、「内科に進むぞ!」と、決めている医師もいれば、初期研修中に「実際体験してみて、想像と違ったなぁ」と、他科に希望を変える医師、「大体見て回ってから決めよう」と、各科を経験してから決める医師もいます。

私の場合は、初期研修の開始時点では希望はおぼろげで、ただ精神科も選択肢には入っていました。

実は、身内に統合失調症を患う者がおり、祖父は前頭側頭型認知症という病気で精神科病院に入院したことがあります。

自分自身も学生時代に、過食や社交不安、皮膚むしり症に悩み、少しの期間でしたがメンタルクリニックに通院したことがありました。

こんなことも影響してか、学生時代から「興味深い診療科」だとは感じていました。

決定的だったのは、初期研修中に当直や夜遅くまでの仕事による過労、数か月ごとに研修する診療科が変わるストレスからうつ状態になってしまったことでした。

当時の記憶は多くがあやふやになっていますが、しばらく引きこもり、寝たきりの状態で、途中からは実家に戻り、母に身の回りの世話をしてもらっていました。

無力感、自責感に苛まれ、「こんな自分なんて消えた方が世のため」などという考えが頭から離れませんでした。

一方で、長い間休んでしまうと二度と仕事復帰できない気がして、誰も自分のことを知らない土地で働き始めることにしました。

メンタル面はもちろん、引きこもりのためにすっかり落ちた体力面も考慮して、勤務先として選んだのが「精神科」でした。

精神科はいわゆる「マイナー科」で、眼科、耳鼻科などと並んで、比較的仕事の終わり時間は早く、体力的な負担が少ない診療科です。

もちろん勤務先によっては、夜遅くまでカンファレンスをしたり、論文を書いたり、または、精神科救急の当直に頻繁に入れば、内科や外科などのメジャー科と同様に心身ともにハードな診療科ではあります。

メジャーな診療科で体調を崩した場合や、何かをきっかけに精神科に関心を持つようになり、「転科」といって、途中から専門とする診療科を変更することもあります。

兎にも角にも、当時はそのような消去法のような形でこの科を選んだわけです。

しかし今では、精神科という科で働けることに、やりがいを超えた生きがいを感じており、また、過去と変わらず興味深い診療科であると感じています。

2、臨床へ出る前に精神的に折れてから立ち直られていますが、どの様に立ち直られましたか?

後期研修に入るとき、完全に立ち直っていたかというとそうではなかったですね。

今も常に万全の状態かというと、やはり調子の波はありますし、ささいなことでクヨクヨすることもよくあります。

当時のことに話を戻しますと、勤め始めてからしばらくの期間は、起床時の苦痛と帰宅後の疲労感や脱力感が続きました。

一度、メンタル疾患を患って休学や休職したことのある方なら想像できる状態だったと思います。

出勤の前夜から仕事への不安や恐怖に駆られ、自分にこの仕事が務めるのかと葛藤しながら、ほかの医師と自分を比べて最低の医師だと自分を責めながらの勤務でした。

当日の朝になって急な休みをとったこと、勤務中に当直室に逃げ込んだこともありました。

休職を機に同級生とは連絡を取らなくなっており、友人と呼べる人はおらず、相談できる人は身内しかいませんでした。

同居する夫や実家の母にはとても心配をかけていたと思います。


このように、あまり良い状態ではなかったにせよ、少なくとも勤務を開始できたわけです。

その要因としては、以下のようなものがあると自分なりに考えます。

①仕事内容・量(診療科)を選んだこと

自分の体力に合う、診療科を選んだことがひとつです。また、慣れるまでが不安なので当直業務に入るのは数か月は見合わせてもらうことをお願いして了承をいただきました。

同じ職場に勤めながら復職する場合にはとくに小さな会社では配属先を変えてもらうことなどは難しいかもしれませんが、仕事の内容や量を検討することは大事です。

②通勤時間が短いこと

個人的には、通勤時間は仕事の復帰やその継続に大きく影響すると感じます。

ある程度の時間がある方が気持ちの切り替えができる、音楽を聞くなど、楽しみの時間として過ごす人はおられると思います。

一方、片道1時間かかる、乗り換えが数回あるなどの通勤が心身の不調時に億劫に感じるようなら、仕事の内容や量は理想的だとしても注意が必要でしょう。

③生活リズムを整えたこと

メンタル疾患に一度でもかかった場合は、生活リズムの安定を優先する意識は必須ですね。

私は仕事を休み始めたあとしばらくして、完全に昼夜逆転になっていました。

健康な人が仕事をしているような時間に起きていると、そんな人たちと自分を比較してネガティブな思考に襲われることも、昼夜逆転の生活になってしまった一因だったように思います。

仕事の再開を決めてから、完全ではなかったものの、生活リズムを戻し、活字を読むのはつらい日もありましたが、できる範囲で読書をするなどして仕事に備えました。

④仕事に向けて体を慣らすこと

例えば、9時~18時で働くとすれば、その時間過ごせるだけの体力や集中力は必要ですよね。

実際のところは、自宅付近にリワークのようなサービスがなかったり、勤務先に復職プログラムがないと、少しずつ勤務に向けて慣らすことは難しいと思います。

上記のような条件から外れる場合、できるだけそのような環境を自分や家族と相談して設定していく必要があります。

私の場合は、定番ですが図書館通いをして、日中起きていること、体を起こして過ごすこと、読書をして知識を得ることなどを行いました。


3、初めて臨床へ出たときの精神科医療の問題点と、今思う現在の精神科医療の問題点は変わりましたか?また問題点は何が上がりますか?

当時と現在の問題点は、変わったところもありますが、大きくは変わっていないのが事実ではないでしょうか。

まず、診断については、アメリカ精神医学会によるDSM(*1)という診断マニュアルが2013年に第5版に改定され、WHOによるICD(*2)という国際診断マニュアルも2019年5月に厚生労働省に承認され、施行を待っている状態です。

従来、精神科医は患者さんの症状を問診し、自身の知識や経験から患者さんの病気の原因を考慮し診断していました。

現在では上記のマニュアルに従って、この項目に該当する症状がいくつあって、それがどのくらい続いていて、どれほど社会生活に支障があるかを見て診断し、基本的にその原因は問いません。

同じ患者さんを診察したときの、精神科医間での診断のばらつきが減ることが期待されるわけですね。

ただ、そのマニュアルも完璧ではなく、今でも同じ患者さんで診断が変わることはあります。

同じ項目でも「あり」とするか「なし」とするかは、患者さんの症状の程度によっては判断が分かれることが想像されます。

内科で血液検査や画像検査によって「糖尿病」「肺炎」などと診断されるように、客観的なデータによって診断できないのも精神科医療の弱点です。

問診内容や、診察時の口調や様子、家族からの情報により、診断が容易なケースもある一方で、二つの病気を併せ持っていたり、ある病気と診断するには一歩診断基準に及ばない場合など、難しく感じるケースもあります。
(そのための診断名も用意されてはいます)

その際は客観的指標があれば、と感じます。

そのような困難なケースでも、経過を見ていく中で診断は明確になっていくことがほとんどです。

ただ、できるだけ早い段階で適切な診断がなされることは、治療にも予後にも関わることですから、研究の進み具合が気になるところです。

精神疾患の診断補助となるものの1つに画像検査があります。

「光トポグラフィー検査(*3)」はうつ病(*4)、双極症(*5)、統合失調症(*6)の3つの病気の診断補助として実用化されています。

後になって「実は双極症だった」「実は統合失調症だった」というケースは、発病時のうつ状態だけを見ても見分けることが難しいことがあります。

この検査により、上記の3つの病気と臨床的に診断された患者さんのおよそ6~8割で診断が一致するとされますが、これはあくまで診断の補助であり、その信頼性について懐疑的な医師も多いのが実情です。

また、どの施設でもできる検査かというと、現状は限られた医療機関でしか受けることができません。

MRI検査で双極症と統合失調症に共通した形態学的異常が見つかったなどの研究報告はありますが、臨床への実用化はまだです。

2つ目は血液検査です。

うつ病では血液中の、「リン酸エタノールアミン(PEA)(*7)」という化合物の濃度が低下し、回復するとともに濃度も上昇すると言われています。

この検査はいずれ診断の補助になる可能性がありますが、現段階では、条件によってはうつ病の人をうつ病でないと判断してしまったり、その逆のリスクもある検査です。

PEAに限らず、血液検査で何らかの病気の診断ができる、もしくは診断の補助になるように様々な研究が進められていますが、実用化はまだです。

血液検査で精神疾患の診断補助ができるようになれば、どの医療機関でも、大がかりな設備を置けないクリニックでも行うことができるため、期待されるところです。

3つ目は遺伝子検査です。

ゲノムの解析が大規模に迅速に行えるようになり、特定の精神疾患に見られる遺伝子異常が見つかったとの報告をしばしば耳にします。

メンタル疾患の遺伝的要因が少しずつ解明されつつあり、とくに発病に遺伝的要因の影響が大きいとされる双極症や統合失調症では診断だけでなく、治療にも貢献すると考えられます。

4つ目はAIによる診断補助です。

特定の精神疾患の患者さんの声、話す内容、表情などをデータ化し、そのデータと照らし合わせることで、診断に役立てます。

患者さんの様子を院内に設置したマイクやカメラを使って認識することもひとつですが、今や多くの人が使用しているスマホが活用されることも考えられます。

スマホの操作時の文字入力のスピードや画面のタッチの強弱、入力する単語などからデータを集約して精神疾患の診断の一助とする研究もあります。

精神科の診断は、前述のような問題を抱えながらも、客観的な指標を得て、その精度を上げていくと想像されます。

次に、精神疾患の原因についてです。

精神医学の分野でも、ゲノム研究や画像研究が進み、以前は分からなかった病気の原因について、少しは説明できるようになっています。

それでも、まだまだ十分とは言えず、今ではメジャーな病気となった「うつ病」ですら、患者さんの疑問に明確にお答えすることは現状ではまだ難しいです。

そもそも、精神疾患はひとつの原因から発症することは稀で、うつ病を発症しやすい「遺伝的な要因」に、引っ越し、配置転換、親しい人の死などの「環境からの心理的ストレス」、疲労、体の病気、特定の薬の使用などの「身体的な要因」が絡み合って発症すると考えられています。

近年の研究で、うつ病の患者さんの血液中で炎症を促進する「サイトカイン」という物質が増え、脳内でも炎症を担当する細胞が活性化していることが分かってきました。

慢性リウマチなど、長期にわたり体に炎症が持続する病気の患者さんにおいて、うつ病を併発するリスクが高いことも知られています。

現在、多くの患者さんになされているだろう、「セロトニン(*8)、ノルアドレナリン(*9)などの脳内物質のバランスが乱れてうつ病が起こる」という説明は、今後は少し変わっていくかもしれません。

続いて、精神疾患の治療についてです。

みなさんご存知の通り、我が国の保険診療では2回目以降の診察に長く時間を割くことは難しく、薬物偏重の治療が多くなっています。

病気にもよりますが、薬物治療が主になる病気ですら、そのほかの生活面、対人面への助言、モノの見方についての自己理解と変化の促し、治療に適さない環境の是正などが必要です。

心理教育はどなたにも必須で、認知行動療法(CBT)(*10)、対人関係療法(IPT)(*11)も多くの人で有用でしょう。

社会的スキル訓練(SST)(*12)、認知機能障害(*13)のリハビリを必要とする方も多いと感じます。

さらなる回復を目指す、状態の維持に努める、再悪化を防ぐためには上記のような多様な治療を受けることが必要だと思います。

しかし、例えばクリニックに通院している人で、そこまでのサービスを受けられるかというと難しいケースが多いと思います。

自宅の近くにデイケア(*14)やリワーク(*15)があれば、上記のような治療・支援が受けられるかもしれません。

直近の厚労省の報告では、精神疾患で医療機関を受診する人は400万人を超えています。

すべての人に保険診療内で手厚い治療を提供するには、工夫が必要です。

心理教育(*16)を動画サービスで提供する、ネットを介して専門家の少ない地域の患者さんにサービスを提供する、できるだけ集団でCBTなどの学びの場を作る、アプリで認知機能のリハビリを行うなどです。

スマホの精神疾患用のアプリは各社で研究開発が進められており、精神疾患の日々の状態を記録する、内服を管理することから、コグトレ(認知機能リハビリ)を担うものも期待されています。

コスト的には、非対人、非リアルの方向に向かわざるを得ないと考えますが、個人的にはやはり、患者さんと対面して上記のようなサービスが提供できるのが理想です。

次に、精神疾患に対する偏見の問題です。

精神疾患や精神科医療に関する知識は以前に比べると、格段に広まっています。

その良し悪しが問われるところではありますが、製薬会社の絡むうつ病の宣伝も、患者さんの精神科受診のハードルを下げたでしょう。

一方、今の世の中でも、平気で精神疾患に対する差別的な意見を言う人、まったく誤った知識で精神科の患者さんの適切な医療を受ける機会を阻害する人、病状に悪影響のある言葉がけをする人がいるのが実情です。

少しの想像力さえあれば、適切な情報を得る意識があれば、目の前に人に対するささやかな配慮があれば、こういった残念なことは減ると思います。

一方で、人は多様であり二分できるようなものではないと認識していない人、多様な人との交流の機会が乏しかった人、知的水準が低い人、適切な教育を受けていない人などは、精神疾患に限らず、マイノリティに対する偏見を持ちやすいとの研究結果があります。

「そういうこと言うの良くないよ」と言われて、自らを省みて、すぐに言動や行動を改めるような人ばかりであればいいのですが、ベースに何か問題がある人の場合にそれを期待することは難しいかもしれません。

よって、精神疾患についての啓発活動は、各関係機関、または医療者や当事者である個人が地道に続けていく一方で、

偏見を持つ人を「もしかすると背景に何かトラブルを抱える人たちかもしれない」と認識して、過剰反応しない姿勢も必要になってくると思います。

決して「偏見をゆるそう」という趣旨ではなく、とくに当事者の方たちは偏見を持たれることにナーバスになっていますから、自衛手段として考えてほしいと思います。


私たちの生活は、10年前には想像できなかったものに、大変なスピードで変わっています。

IT化とそれに伴う仕事内容・働き方の変化、スマホの普及、VRやARの技術開発など。

今後も驚くようなスピードで、想像もつかない社会、世界になっていくのだと思います。

精神科医療もまた、薬やほかの画期的な治療法が生み出され、精神科医ではなくAI医師がきめ細かいフォローをするなど、驚くような変化を遂げるのかもしれません。


4、現代の患者さんは複雑な背景から疾患に至ると思いますが、特に一番の問題は何と感じていますか?また理由もお聞かせください。

生物学的な要因の大きな病気から心理社会的な要因の大きな病気まで、精神疾患と一口に言っても様々ですから、一番の問題というと答えが難しいですね。

ただ、おそらく現代の多くの精神科医は、患者さんの背景に「幼少期の虐待やいじめなどのトラウマ的な体験がないか」「発達の問題がないか」を意識して、診療にあたっているかと思います。

ひとつのストレスフルな出来事から、背景にとくに問題のない人が精神疾患を発症することはもちろんありますが、おっしゃる通り、多くのケースでは上記のような背景、もしくは、容易には改善しがたい現在の環境があるものです。

初診の問診で患者さん本人が書いてくれるような過去の出来事、または明らかな発達の特性であれば、医師も迷うことはありません。

しかし、患者さん本人が今の病気につながっていると意識していない過去の出来事や意識にのぼらない出来事、または、負荷がかからない環境では目立たない程度の発達特性は、しっかり疑ってお話を聞かないと浮かび上がってこないものです。

たとえば「うつ病」がなかなか改善しない、もしくは何度も再発するような場合には、背景に何らかの問題があるか、ほかの病気を併存していないかなどを検討します。

「問題である」と感じる、ほかの理由として、「過去の出来事」も「発達の特性」も基本的には無くしたり、変えることは難しいということがあります。

これは、精神疾患の遺伝的な要因がある場合も同様ですが、そのリスク自体は不変です。

(患者さんの治療への姿勢や元々の知的水準も影響しますが、治療によって、「過去の出来事」のとらえ方を変えること、発達の特性があってもラクに日々過ごせる工夫を身につけることは可能ではあります)

さらには、発達特性の見られる患者さんの親御さんやきょうだいにもまた同様の特性が見られることが多く、困難な生育環境で育った患者さんの親御さんもまた似たような環境で育った経緯があることが多いです。

何が問題かというと、患者さんが回復するにおいて必要な身近な人からの理解や援助、温かな声掛けを期待できない可能性が高いのです。

家族さんの方がより医療や支援を必要とする方であるケースもあります。

以上より、個人的には発達特性や生育環境のトラブルが精神疾患の一因になっているケースは、より細やかな、手厚い支援が必要になると考えます。


5、医師は激務で心身に負担がかかると思います。特にメンタル面で気をつけていること、実践していることは何ですか?

「医師は激務」とよく言われますが、一般の仕事と同様に、医師の働き方も多様化しており、育児中心で比較的ゆっくり働いている医師や、体力的な問題から日勤だけしている医師もいます。

私は上記のように、基本的には17時で退勤できる精神科病院の勤務医でしたので、時間数だけで言えばラクな方だったと思います。

開業後は時間数としては勤務は増えますが、私のように心身ともに丈夫でない者は、働き方を「激務」にしないことが大切だと思います。

患者さんからすると、主治医は「いつも同じコンディション」で「約束した時間に必ずそこにいる」ことが大事ですから、無理はせず、自分のベストを尽くせるペースで働くことを重視します。

また、仕事と家庭のどちらが大事かと比較できるものではありませんが、仕事が好きな私は「仕事が十分にできてこそ」と考え、仕事で十分なパフォーマンスが出せることを優先にしたプライベートでの過ごし方をしています。

一番大事にしているのは「睡眠」です。

月に4~5回ほど当直の仕事をしていますが、当直の夜は、夜間の外来や入院があればもちろん、そこまで忙しくなくとも書類作成などの業務をしています。

自宅で過ごす夜に比べると心身ともにリラックスして過ごせるとは言い難い環境です。

医師によっては、自宅なみにリラックスし、当直室のベッドで安眠できる人もいますが、私は少し神経質な方なので、例えば6時間連続で眠れたとしても、睡眠の質は自宅よりは劣ると感じます。

当直明けの夜はできるだけたっぷり眠り、翌日までに睡眠負債を返済するようにしています。
(一回でも睡眠の質が不良ですと、ダメージは大きく、実際は回復しきれていない時もあります)

次に大事にしていることは、仕事上のネガティブなことを退勤後に引きずらないことです。

前向きな内容、考えることで何かプラスになることであれば、帰宅後も色々考えますが、そうでないことはプライベートに持ち込まないよう意識しています。

切り替えが上手な方ではないので、悶々と考えてしまうことも皆無ではありませんが、以前に比べると少ないです。

今は幼い子どもがいるため、否応なしにプライベートに意識を切り替えさせられることも私のメンタルケアに役立っていると思います。

運動習慣は室内でステッパーを踏むくらいですが、子どもとの外遊びが運動の一端を担ってくれていると感じます。

また、以前は休日は家の中で寝転んでTVを見たり、ネットをしたり、外出しないで一日を終えることが大半でしたが、今は早ければ8時半には家を出て、子どもたちとコンビニや公園に行ったりと、朝から活動し始め、日光もいい時間帯に浴びられていると思います。

以上より、前回休職時から私一人で生活していたとしたら、心身の状態は今も不良であるか、もしくはもう一度休職になっていた可能性もあるのではと想像します。

仕事以外の「やるべきこと」をミニマムにすることも大切です。

私の場合、夫に育児や家事の多くを頼っています。

また、家の中を常にピカピカにしておくことは難しいので、そこは諦めています。

ただ、できるだけ散らからない仕組みづくりをして、用事を持ち越さずDMは玄関で処分することなどを意識しています。

一人暮らしで頼れる家族がいない場合でも、やることのミニマム化や、手抜きの工夫は色々できるものですから、家事が大好きという人以外はテコ入れされることをおすすめします。


6、精神医学の社会認知が進んでいますが、現代社会と臨床と当事者に乖離があるように思えます。例を挙げれば精神疾患を罹患している人が事件を起こした時の世論それぞれのズレです。このようなズレがなぜ起こるのか、臨床に立つ医師として感じることはありますか?
また、上記のような事件が起きた時に当事者がとったほうがいい態度は、どのようなものか思うところはありますか?


「現代社会」を、「医療者・支援者でもなく、当事者でもない人たち」とします。

精神医学や精神疾患、または、脳科学や心理学的な事柄について、関心が高まり、それらについての理解も広がっていることは間違いありません。

一方で、どんな物事に対しても、「主観」を抜きには語れないものです。

「認知行動療法」という治療は現在では広く知られていますが、これは「自分に特有のモノのとらえ方」を理解し、そのとらえ方やある出来事に遭遇したときの行動パターンを変化させていくものです。

私たちは、身の回りの出来事、目の前にいる他者をはじめ、生きている世界を自分のフィルターを通して認知しています。

精神医学や精神疾患についても同様です。

「現代社会」「医療者・支援職」「当事者」、それぞれのカテゴリーに属する人たちでは、経験も知識も、周囲にどんな人がいるかも異なりますから、違いがあって当然、ズレがあって当然なんですね。

これを読んでいるあなたも、自身や近しい人が、精神疾患にかかる前とかかった後では精神疾患に対する見方は多少なりとも変化しているはずです。

そして、同じ経験をしていないと、その人のことを理解できないとは言い切れませんが、想像はできたとしても、100%の理解を得ることは基本的にできないものです。

さらには、それぞれのカテゴリーに属する人たちは比較的、似た考え方、ものの見方をする一方で、個々人の差異は当然あります。

また、人は経験すること、知識を得ることにより、変わりゆく生き物ですから、それぞれのカテゴリーに属しながらも精神科医療や精神疾患への見方、思いはゆらぐものです。

ちなみに、「医療者・支援者」に属する人たちは、当事者としての顔を持つ人も多いですし、そうでなくとも、当事者が社会と対立しがちな場面において、当事者の側に立ってモノゴトを見ていますから、「医療者・支援者」と「当事者」に大きな乖離はない気がします。

そもそも、3者の「ズレ」は、それ自体が悪いものではありません。

誰にでも認識の違いがあることを病気を持つ側も理解し、ひどく差別的であったり、不快な見方や言動でなければ、「そんな見方もあるんだなぁ」「経験した人でないと理解は難しいよなぁ」とお互いに寛容にいられればいいのです。

現代では生涯において多数の人が一度は精神疾患を経験するものですから、「健常者 VS 当事者」「現代社会 VS 当事者」のような構図には違和感もあります。

ただ、ご質問の背景にあるのは、病気を経験したことのない人からの心無い言葉に当事者が傷つくこと、精神科に通院しているというだけで色眼鏡で見られること、休職後に職場に復帰しても周囲に理解を得られないことなど、そういった問題ですよね。

そして、その最たる事案が、例えにある「何らかの事件」が起こったときの認識の違いでしょう。

人は恐ろしい事件などを目にすると、不安や恐怖の感情が沸くものです。

その感情が続くことは苦痛ですから、人はわかりやすい「答え」を求めがちです。

猟奇的な事件、加害者の不可解な行動などが、「精神疾患によるもの」という説明がなされると安心するのです。

「そうか。精神の病気の人だからこんな事件を起こしたのか」

と納得することで、一時的にせよ不安は収まります。

報道の内容とは無関係に、「きっとこの事件は精神の病気の人が起こしたことだろう」と決めつけることもあると思います。

報道するメディアからすると、視聴率を取れる切り口や情報を盛り込むことが優先です。

当事者の心情への配慮などは二の次であることは、誰も否定しないところでしょう。

容疑者の「精神科への通院歴の有無」「精神障害者保健福祉手帳の所持の有無」などが報道されると、

当事者には「またか」という不快感、「なぜ犯罪と精神疾患を結び付けるのか」という怒り、「自分も同じ目で見られるのでは」という不安などが起こります。

医療者・支援者、または一般の人でも人権への意識が高い人は、当事者と同様に、苛立ち、怒り、不安などの気持ちを感じています。

法務省の犯罪白書によると、刑法全体の検挙者のうち、「精神障害者」と、精神障害の「疑いのある者」を含めた「精神障害者等」は全体の1.8%という割合で、「精神障害者」に限定すれば全体の1.1%とごくわずかな割合です。

犯罪内容の内訳を見ると、健常者と比べて精神障害者では、「放火」「殺人」の検挙率が高い傾向があります。
(精神障害者の検挙者は上記の通り少ないので、件数自体はもちろん少ないのですが)

これらの数字をどう見るかは難しい問題を孕んでいます。

すべての検挙者において、精神疾患や障害の有無を調べているわけではないことがひとつです。

次に、「病気や障害とまでは診断されないけれど、社会生活に困難を感じている人」は多く、その困難が何らかの形で犯罪に影響しているのではないかということです。

医療者でない警察官などが容疑者と話をしても、背景にそういった困難があることを認識することは難しいでしょう。

また、「理解困難な動機による犯行」や「あまりにも行動のコントロールが未熟ではないかと思われる犯行」、「犯行が露呈する恐れがあるのにも関わらず、証拠を残してしまうような不可解な行動」については、

ベースに発達の特性や境界域での知的水準の低さがあるのではないかという指摘がありますが、その人たちの多くも精神障害者としてカウントされていないのではないでしょうか。

「精神障害者」とひとくくりにするのもどうでしょうか。

精神疾患でも、例えばうつ病など家を出ることも難しいタイプの人も母数に含んでの数字になりますから、トータルで出された数字を見て色々と議論することが適切なのか疑問です。

上記のような調査における疑問点は無視するとしても、「猟奇的な殺人」「不可解な犯行」を「精神障害」と結び付けたり、「精神障害者イコール犯罪を起こしやすい人たち」などと考えることはあまりにも短絡的です。

「当事者のほとんどが法を犯さないこと」は世の関心を引かないのか、メディアではあまり報道されません。

犯罪を犯した人が精神疾患を抱えていたとしても、ほかにも様々な要因があって犯行に至ることが考えられますが、精神科の通院歴などを繰り返し伝えるメディアにはそういった想像力が欠けていると感じます。

多くの人に影響を与えるメディアが、当事者に与える影響を十分な検討をしないままに発信することは許されません。

容疑者に精神疾患があることが明確になった場合も、それだけに注目することなく、「どういった治療や支援があれば犯罪を防げたのか」という視点での情報提供が必要であると思います。

最近では、容疑者に精神疾患があることが取りざたされた事件について、当事者の意見が注目されるようになってはいます。

SNSのおかげもあり、以前に比べて一般の人が当事者の思いを知る機会は増えているのではないでしょうか。

このように、当事者が声をあげることは大切です。

一方、精神状態が不安定で、ニュースを見るだけで心身の状態が悪化するような人は、情報源から少し距離をとることも必要です。

社会が、一般の人が、偏見の目で見るように、当事者も「精神疾患を抱える人たち」というカテゴリーに属することを意識しすぎている場合があります。

「病気の無い人で犯罪を犯す人もいれば犯さない人もいる」

「病気のある人で犯罪を犯す人もいれば犯さないひともいる」

数字の多寡を無視した話ではありますが、私は上記のように考えます。

犯罪のこと以外でも、様々なことがらを病気と結び付けて考える人はいますよね。

そして、「精神疾患があるからと、あの人とこの人を同じように見る人」もいれば、「精神疾患があるからといっても、あの人とこの人は別と見る人」もいます。

後者の人が増えるように、医療者も支援者も、もちろん当事者もできる範囲で発信していくこと、話をする機会をもつことが必要です。


*1:「DSM」精神障害の診断と統計マニュアル(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)
*2:「ICD」疾病及び関連保健問題の国際統計分類(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems)
*3:「光トポグラフィー検査」近赤外線を利用し、非侵襲的に脳の血流変化を測定する検査。
*4:「うつ病」脳のエネルギーが欠乏した状態であり、身体的症状、意欲低下や憂鬱な気分など精神的症状など様々な症状が現れる。
*5:「双極症」双極性障害の呼称が今後双極症に変わる予定。うつ病の症状に加え、躁状態が加わりうつ状態と躁状態を繰り返す。Ⅰ型Ⅱ型があり、Ⅰ型はうつ状態と躁状態が同じぐらいの程度と期間を繰り返す。Ⅱ型はうつ状態はⅠ型と同様であるが、躁状態が軽度。悪化するとラピッドサイクルと呼ばれる状態になり、うつ状態と躁状態を短期間で繰り返す。
*6:「統合失調症」以前は精神分裂病と呼ばれていた疾患。幻覚と妄想が特徴。陽性症状と陰性症状があり、生活の障害、病識の障害も特徴に併せ持つ。
*7:「リン酸エタノールアミン(PEA)」大うつ病患者では脳脊髄液中のリン酸エタノールアミン濃度が低下しているという報告がある。
*8:「セロトニン」脳内で働く神経伝達物質の1つ。感情や気分のコントロールする。ホルモンとしても働き、消化器系、睡眠覚醒リズム、心血管系、痛みの認知、食欲を制御している。
*9:「ノルアドレナリン」脳内で働く神経伝達物質の1つ。注意と衝動性をコントロールする。副腎からホルモンとしても働き、血圧上昇や基礎代謝率の増加をもたらす。
*10:「認知行動療法(CBT)」心理療法の1つ。思考や行動の癖を把握し、自分の認知・行動パターンを整えていく方法。
*11:「対人関係療法(IPT)」心理療法の1つ。対人関係の問題を4領域分類に基づいて、改善することを目指す方法。
*12:「社会的スキル訓練(SST)」認知行動療法の1つで自己対処能力を高めることを主眼とされた訓練。
*13:「認知機能障害」記憶、思考、理解、計算、学習、語学、判断などこれらが低下し、生活・社会生活全般に支障をきたす障害。
*14:「デイケア」生活時間の管理能力を持つ、自主性・協調性を培う、社会復帰の体力と作業能力を維持向上を目的とする所。
*15:「リワーク」職場復帰を目指したリハビリプログラム。
*16:「心理教育」対象の患者や患者家族に疾患と、そのより良い対処法を学んでもらうこと。

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