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『ジョゼと虎と魚たち』を見て

映画『ジョゼと虎と魚たち』を見た。一言でいうと、とてもいい作品だった。映画の途中から心からそう思えた作品が、自分にとっては珍しかった。

感情が薄れないうちに、今思ったことを書き残して置こうと思う。

注意事項

何らかの形でこの記事にたどり着いた人のために断っておくと、この記事は完全に自分が後で見返すように書いているものである。なので、『ジョゼと虎と魚たち』に関するものではなく、どちらかというとライター(適切な呼称かわからないが、いいのが思いつかなかった)自身についての話が多いかも知れない。もはや記事を公開する必要性すら自分でも分かっていないが、それでも構わない、という人だけこの先を読んで欲しい。

また、ここからは映画『ジョゼと虎と魚たち』を知っている前提で話していくので、ネタバレが嫌だという人は見ないでほしい。


人魚姫

主人公であるジョゼは、足が不自由な女性である。そのため不自由を強いられ、外の「虎」、猛獣たちから守るためにジョゼのお婆ちゃんは彼女を家から出られないようにしていた。この構図は、人魚姫のそれと似ている。作品内でも露骨に登場していたが、この作品全体は人魚姫をモチーフにしていると思われる。話の構造全体が人魚姫と似ている、といいたいわけでは無いが、ジョゼの絵本の朗読のシーンでも全面的に出ていたように、外の世界を知らないジョゼが恒夫の手によって外の世界に触れるシーンや「足」という物が物語の中で鍵になっている点、魚が登場する点からも、やはり人魚姫から着想を得ているのだろう。

そして、作中に登場していた「ジョゼ」という名前の元にもなった物語。まだ調べてはいないが、おそらくこれも実在するものなのだろう。ジョゼが絵本を描きながら(おそらく)本の一節を淡々と読み上げるシーンは、とても印象的だった。

このように、実在する物語をモチーフにする、というのは、ある意味とても「上手」だと思った。現代風に落とし込む、という表現を使うとあまりに単純化しているようだが、過去の作品の中の要素を再解釈し作品としてまとめる、というのは、とても有効でおしゃれな手段だと思った。

夢に手を伸ばすこと

個人的に、この作品は「夢に手を伸ばすこと」をテーマにしていると思った。このフレーズ自体、作品の中で複数回登場している。そして、それが「怖い」ということも。足が不自由で、夢に手を伸ばすこと自体がとても怖いということ。「頑張って、それでも出来なかったらどうするんだ」という恒夫のセリフは、ドスンと胸に来るものがあった。おそらく、ジョゼも同じことを思っていたのかも知れない、恒夫はそう思ったのではないだろうか。

カナがジョゼに「世界中の人にジョゼの絵を見てもらうべきだ」といった時、ジョゼは「無理や」と拒絶していた。それはどうしてだろうか。彼女は絵を書くことが好きで、絵を仕事に出来たらそれは良いことなのかも知れない。しかし、それでも、彼女にとっては「どうしようもない現実」というものが身近すぎた。諦めることに慣れすぎていたのかもしれない。それに挑戦して、結果なんの成果も得られないとしたら、どれだけの傷を彼女が負うかということを、彼女自身、痛いほど分かっていたのではないだろうか。

自分がこの作品に魅力を感じた理由が少しだけわかった。自分は、「コンプレックス」を持った人物がそれと向き合う作品が好きなのだと気づいた。これは誤解を招く表現だということは分かっているが、自分はなにか明確な「障害」や「コンプレックス」を持っている人物が登場する物語に惹かれる。「聲の形」などもその例だ。そういった特定の属性を持った人間を、物語における「ギミック」として利用する手法は、たとえわかりやすく使いやすいとしても、好ましいものではないと思っているし、そういった作品におけるデリカシーや配慮はとても難しい。それでもなお、自分はそういった作品に魅力を感じてしまう。

それは、やはり自分自身を投影させているからなのかもしれない。自分は明確な障害を持っているわけでもないので失礼かもしれないが、それでも自分は自分自身に対して酷いコンプレックスを持っている事を自覚している。その内容や程度はともかく、人々はみんな少なからずコンプレックスを抱えて生きているのではないだろうか。「コンプレックス」という表現が適切でないのなら、「どうすることも出来ない現実」と表現しても良い。自分の願望、夢、叶えたいものと、その現実との間で、人々は何度も絶望しながらも、それでも諦めまいと頑張っているのではないだろうか。現実に負けそうになる、挫けそうになる。そんな登場人物に、自分は共感しているのかもしれないと、そう思った。

ちなみに、最後の恒夫がジョゼに告白するシーンは、正直見てがっかりした。多くの人がこの展開を望んでいて、制作側もわかりやすい展開だったと思う。だから、自分が言いたいのはこの展開が悪い、ということではない。どうして自分はこの展開にがっかりしたのか、ということについて考えたかったからだ。自分は、物語の中に登場する「恋愛」という要素にとても嫌悪感を覚えてしまう。これは、おそらくは劣等感のようなものかもしれない。『ジョゼと虎と魚たち』のテーマに無理やり落とし込むなら、スペイン語の教材を捨てた恒夫や、恒夫のバイト先から逃げたジョゼの行動に近いのだろう。自分は、恋愛、ひいては人間関係に対して怯えて、恐れている。それは、失敗した時に傷つくことを分かっているからだろう。それを見ると、自分とそれを比較してしまうからだろう。

『ジョゼと虎と魚たち』を見て、何か人生の転機になっただとか、そういったことはない。だが、少なくとも勇気、もとい「心の翼」は授かった気がした。おそらく、もう一度この作品を見返すことになるだろう。その時に、この記事に何か追記するかも知れない。

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