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バブル経済期における消費の高級志向~恋愛消費と自動車消費を中心に~

はじめに

 

 ふと家のクローゼットをみるとダブルボタンのスーツが大量につられていたりする。「Made in Italy」と書かれていたり、ブランド名をインターネットで検索してみれば有名なブランドであったりというものが非常に多かった。当然に高価なものであろうが、何故このように大量にあるのか。そして驚いたことに30年近く前の服だというのに崩れたり破れたりすることなくきれいなまま残り、今でも十分に使用できるものばかりなのだ。父にこのことについて聞くと「バブルの頃に買った」と言われた。

 バブルとは一体何なのだろうか。過度に贅沢なさま、お金を浪費している様子は「バブルっぽい」或いは「バブリー」と表現されることがある。国語辞典によると「バブリー」とは「バブル経済にうかれて、ぜいたくをするようす」と書かれている。この「バブルとは何なのか」という疑問が本論文の起点であり、バブル期の消費とは何か、バブル期の消費とは何故あったのか、ということを解明、考察することを目的としている。

 バブル経済期の消費に関する先行研究としては、原(2006)や新井(2007)らによって社会的潮流としての消費、或いは価値観の変化に基づいた消費といった考察がすでに明らかにされている。特に原(2006)はバブル期と言うよりも1980年代という一歩大きな枠組みとして、消費文化を論じている。但しこれらの研究では「ブランド品が流行した」または、「高級車が売れた」といった抽象的な消費例がやや多く、バブル期以降に生まれた私にとっては不明瞭に感じられた。一方で具体的な消費例を扱っているものとして都築(2006)の著書『バブルの肖像』が挙げられるが、こちらはむしろ懐古的内容であり、その消費の根幹を考察したものとは言い難いものであった。

 そこで本論文ではバブル期の消費の具体例を、当時の雑誌や新聞報道を参考に紹介しつつ、何故このような消費が行われたのかについて、先行研究や実際の統計データを踏まえつつより一層深く考察を行いたい。まず第一章ではバブル経済とは一体何かということや、バブル経済期の消費はどの程度の規模であったのかを統計データを基に図式化しつつ論じたい。第二章ではバブル経済期当時の雑誌『POPEYE』や新聞資料を用いて実際に行われた消費の例をより具体的に明らかにする。そして第三章では先行研究を援用しつつ、また第一章で挙げた経済統計を踏まえつつバブル経済期の消費の要因を考察する。

 本論文において先行研究や雑誌資料等の文献調査は主に国会図書館を利用し、新聞報道に関しては各新聞社がインターネット上に公開しているデータベースを利用した。雑誌『POPEYE』は1976年創刊のマガジンハウス社より刊行されている男性向けファッション雑誌であり、今回は国会図書館に収蔵されているものの中から、1986~1992年にかけて発刊された214~394号までのものに目を通し、高級消費的内容が掲載されているものをいくつか引用した。また先行研究は国会図書館に収蔵されている論文より、バブル期の消費に関連するものやバブル経済に関連するものを用いた。

 

Ⅰ バブル経済と消費の高級志向

 

(1)調査方法

 バブル経済とそれに伴う消費の高級化を本章では扱う。バブル経済についての調査方法としては、行政組織等公的機関がまとめ、インターネット上にて公開している統計データや報告書を主に用い、グラフといった図式を活用することで調査を行う。また消費の高級化については、読売新聞、朝日新聞、日本経済新聞、毎日新聞の各4紙を調査対象とし、それぞれのデータベースである「ヨミダス歴史館(読売新聞)」、「聞蔵ビジュアルⅡ(朝日新聞)」、「日経テレコン(日本経済新聞)」、「毎索(毎日新聞)」を用い、「高級」「消費」「志向」の三つの言葉が重複し含まれる記事を検索し、ヒットした記事の内いくつかを例として挙げ、その記事内容から消費の高級化について調査を行う。なお検索期間はバブル経済発生前の1985年1月からバブル経済崩壊後の1995年12月までの10年間とした。

 

(2)バブル経済に至る経緯とバブル景気

aバブル経済とその経緯

 そもそもバブル経済とは何であり、どのようにして発生したのだろうか。バブル経済とは実体経済以上の株価や地価等の資産価値高騰の発生と、その価格の急激な下落といった現象を指す言葉である。バブル経済の「バブル」は英語で「泡」を意味する”bubble”よりきており、泡が膨らむように資産価値が跳ね上がり、泡が弾けるように一瞬にして暴落する現象であることからこのような名前が付けられている。

 またバブル経済とバブル景気の意味の違いは、資産価格の高騰と暴落の一連の流れをバブル経済と言い、資産価格高騰に伴う好景気をバブル景気と言う。日本におけるバブル景気の期間は、内閣府経済社会総合研究所が示す経済循環の景気基準日設定 によれば第11循環における1986年11月から1991年2月の51ヶ月間(4年と3ヶ月)の経済拡張期と定義されており、本論でもこの時期をバブル経済期(以下バブル期と言う)と定義する。

 日本でのバブル経済発生の経緯と原因に関する議論は諸説あるが、一般的に指摘される経緯と原因として、1985年9月に行われたプラザ合意にて決定されたドル対円為替レートの切り上げによる急速な円高と、それによって見込まれる円高不況に対応する為の日本政府及び日本銀行の行った財政政策がある。

 そもそものプラザ合意の発端は、1981年、第40代アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンが「レーガノミクス」と呼ばれる経済政策と「強いアメリカ」を掲げる外交政策を打ち出したことに求めることが出来るだろう。アメリカ合衆国とソビエト連邦間の冷戦は、レーガンの外交政策により軍拡競争の様相を呈し、増加した国防費はアメリカの財政を逼迫させることとなった。この財政赤字は予てよりの貿易赤字と合わせ「双子の赤字」と呼ばれる巨額な赤字収支をアメリカにもたらした。

 この「双子の赤字」解消政策の一環として1985年9月、アメリカ・ニューヨーク市のプラザホテルにてアメリカ、イギリス、日本、西ドイツ、フランスの西側先進国5か国によるドル相場に対する各国通貨の切り下げとアメリカドルの買い支えに関する国際合意、即ちプラザ合意が執り行われた。結果、1985年には年平均238.5円/ドル程度であった為替レートが、翌年1986年には年平均168.5円/ドルにまで急激に変化することとなる。

 日本では長らく加工貿易によって経済が成り立っており、円高は即ち不況の原因であり続け、固定為替相場から変動為替相場へ移行した際の1971年にはニクソンショックと言われる不況があった。日本銀行はプラザ合意に伴う円高不況に対応すべく、公定歩合を5.0%から2.5%に下げる金融緩和政策を行い、金融取引を円滑なものとした。また日本政府は「国際協調のための経済構造調整研究会」での報告書(通称「前川リポート」)にて、「外需依存から内需主導型の活力のある経済成長への転換を図るため、この際、乗数効果も大きく、かつ個人消費の 拡大につながるような効果的な内需拡大策に最重点を置く」とし、様々な内需拡大政策を行った。このような一連の政策が民間企業を中心に、財務テクノロジー(財テク)と言われる資産運用を流行させ、都市圏を中心として日本全国で地価高騰を引き起こすこととなった。地価高騰は企業の保有する土地資産の資産価値の上昇をもたらし、資産価値の上昇が企業価値に反映されたことで企業の株式は上昇し、日経平均株価の急速な上昇を引き起こすこととなった。これにより企業は通常の経済活動による収益(インカムゲイン)に加えて、保有資産の価値変動に伴う収益(キャピタルゲイン)による利益を求め、価格高騰を起こした土地や株式の投機目的での売買が頻発し、バブル経済が発生することとなった、と言われている。


b統計から見るバブル経済

 前項の通り、1986年末から1991年初めにかけては好景気であり、当時の新聞では「円高景気[1]」と表記されていた。バブル景気とは弾けて初めて「バブル」と認識されるので、弾けていない間は「バブル」という言葉は中々見られない。前節ではこの好景気は地価や株価の上昇による資産価値上昇があると書いたが、果たしてどの程度の価格上昇が見られたのか、具体的な数字を用いて確認したい。

 ここではバブル期前後数ヵ年を含めた1985~1995年までの10年間の日経平均株価高値の推移を図1にて、1985年から1995年までの東京23区全公示地価の平均価格推移を図2にて、特に顕著な価格高騰を示した5区(中央区、港区、千代田区、渋谷区、新宿区)の商業地公示地価の平均価格推移を図3にて示した。東京23区の公示地価を参考に用いた理由としては、当該地区はバブル期において特に顕著な価格高騰を示したため好例であると思われるからである。

 図1より、日経平均株価はバブル経済前夜の1985年には1万2,000~1万3,000円で推移していたが、バブル経済の始まりとされる1986年11月には1万8,325円50銭を記録し、3年1ヶ月後の1989年12月には3万8,915円87銭の史上最高値を記録した。しかしそれ以降株価は下落の一途を辿り、バブル経済終焉とされる1991年2月には2万6,462円76銭にまで下落し、更にその後もバブル崩壊と呼ばれる所以の暴落ぶりを示している。 

図1 日経平均株価高値の推移
(日経平均プロファイルアーカイブより筆者作成以下、図及び表はいずれも筆者作成)
図2 東京23区全公示地価平均価格の推移
(『最新データによる土地価格の推移と分析』より作成)

 次に公示地価についてだが、図2は東京23区全用途地の公示地価を平均しその推移を示した図である。バブル経済前の1985年には1㎡あたり平均約103万円程度であった公示地価は翌年より価格高騰を示し、ピーク時の1991年には約343万円と、1985年時点の3倍以上に高騰している。

 そして図3は23区の全公示地価のうち、最も顕著な価格高騰を示した5区の例を図にしたものである。千代田区商業地に着目にすると、バブル経済前夜の1985年時点では1㎡あたり約433万円であったものが、1991年には約1681万円と4倍近くの価格高騰を起こしている。

 

図3 公示地価平均価格の変化が顕著な5区の推移
(『最新データによる土地価格の推移と分析』より作成)

 これらの図から分かるように1985年からピーク時にかけて、日経平均株価は2倍~3倍、地価は東京23区では3倍~4倍もの価格高騰が起きている。このような資産価格の高騰は、前節で述べたように保有資産の価値上昇をもたらし、資産の価格変化に伴うキャピタルゲインを資産保有者にもたらした。都築(2006)は「(1989年12月大納会時点において)東証第一部と第二部を合計した時価総額は611兆円に達し、11月末の時点で約422兆円だったニューヨーク市場を大きく引き離す。東京が世界一の株式市場になった」としている。

 

(3)バブル景気による消費の高級志向

aバブル期の消費の過熱

 バブル期の消費活動では現在に至るまでの最高記録を示したものがいくつかあり、前述の株価や地価もさることながら、商業販売額[2]も更にその一つである。経済産業省の統計データ『業種別商業販売額』より図4にて商業販売額の推移を示した。バブル経済前の1985年では合計540兆円であったものが1991年には1.3倍の合計712兆円と過去最高額を記録している。なお最新値の2016年では1991年と比較し270兆円減の合計442兆円であり、これは1991年の6割程度に過ぎず、バブル期における商業の過熱ぶりが読み取れるだろう。

図4 商業販売額統計
(経済産業省統計『業種別商業販売額及び前年(度,同期,同月)比』より作成)


b消費の高級志向

 前項にて述べたように、バブル期には景気と連動して消費が過熱した。しかし単にモノが数多く売れたというわけではなく、この時期には特有の高級品消費が見られると言えそうである。何故ならばこの当時、新聞紙において「高級消費志向」という文字が多々見られるからだ。インターネット上の朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日本経済新聞の各4社公式ホームページの報道記事検索にて「高級」「消費」「志向」の三つのキーワードに関して重複検索を行った結果、図5のように1986年から1989年にかけて毎日新聞を除く3社での報道数は激増し、ピーク時の1989年には359ものヒット数があった。これはほぼ毎日、各4紙のいずれかが高級消費志向について報道している計算となる。

また図より、このような報道数の変化はバブル経済の過熱と崩壊に合致する形になっていることが分かる。これによりバブル期には消費の高級化が社会で見られたと数多く報道されたことが分かる。

更に1988年12月、社団法人日本リサーチ総合研究所が「消費経済白書-円高下の高級消費好調の要因と展望-」という白書を出していることも紹介したい。白書では「(昭和)61年後半(1986年後半)から”高級消費ブーム”と言う声が聞かれるようになった。」と述べ、その理由を「消費支出の中でも、高額商品を売る専門店や百貨店の高級品売り場の売り上げが増加していることや、また乗用車のなかでも(中略)(排気量)2,000cc以上の高級車が著しく増加している点」であるとしている。

 

図5各新聞社記事検索結果
(聞蔵Ⅱビジュアル、毎索、ヨミダス歴史館、日経テレコンより作成)


c統計よりみる高級志向

 では実際の数値ではどうだろうか。前述の白書の例に従い、経済産業省がまとめた統計データ『百貨店・スーパー商品別販売額及び前年(度、同期、同月)比』より百貨店での1985年から1995年までの売上額の推移を図6にて示した。1985年時点では7.9兆円であった販売額は年々増加し、ピーク時の1991年では1985年と比較して51%増加の12兆円に達している。また最も増加額の幅が大きいのは1988年から1989年の間であり、増加額9,647億円と1年間で約1兆円近い増加が見られる。

 統計よりバブル期においては百貨店全体では売り上げ増加が確かに見られることが分かったが、では本当に高級品が買われていたのだろうか。一般に高級品とされる「宝石」「貴金属」は経済産業省統計の商品分類にて「その他の商品」に分類される。この「その他の商品」の、百貨店における販売額の推移を図7にて示した。

 

図6 百貨店総販売額の推移
(経済産業省統計『百貨店スーパー商品別販売額及び前年(度,同期,同月)比』より作成)


 確かに1985年以降1991年に至るまで増加しており、ピーク時1991年の販売額はバブル期前の1985年と比較し8,000億円増加の2兆円に達している(2兆円に達した例は現在に至るまで1991年のみ)。百貨店の総販売額にせよその他商品の販売額にせよ、統計よりこれらもバブル経済と共に増加し、バブル崩壊と共に減少していることが分かる。

 次に自動車に関して、排気量2,000cc以上の販売台数については定かではないが、総じて自動車販売台数は前例同様バブル期が最高潮であり、1986年から1991年の5年間で年間販売台数570万台から777万台と、約200万台の増加を示している。より詳細な内容については第Ⅱ章第2項b節に後述している。

 以上のような新聞資料の変化、高級化を指摘する経済白書、そして実際の統計データを総合して勘案するに、バブル期には高級品を含め、物を消費することが他の時期と比較しても流行し、「高級志向」があったのはほぼ確実であると言えるだろう。

 

(4)本章のまとめ

 本章では実際の統計データや新聞の報道を基に、バブル経済について簡単ではあるが解明を行い、そしてバブル期にどのような消費が社会で起こったのかを論った。バブル景気の恩恵は消費を刺激し、統計からも明らかなように、商業販売額を現在と比較してもはるかに高い水準に引き上げ、そして消費の高級化が起きたことが判明した。では具体的にはどのようなものが消費されたのか、次章にて引き続き論いたい。


Ⅱ 恋愛消費と自動車消費

 

(1)恋愛消費の高級化

aはじめに

 前章にて述べてきたような消費の高級化が具体的にはどのように行われてきたのだろうか。
 一例として恋愛消費の高級化を挙げたい。理由としてこのバブル期に前後して「三高」、「アッシー」、「メッシー」、「ミツグくん」といった言葉が流行した点がある。

 「三高」とは「高身長」「高収入」「高学歴」のそれぞれの頭文字に由来した言葉で、「女性から見た理想の男性像」とこの当時考えられていたものであった。言葉を変えれば「男性がなりたい男性像」であったとも言えるだろう。アクサ生命保険株式会社が2010年3月15日に40代~50代の年齢層の女性を対象として行った「アクサ生命/オトナの女のリスク実態調査」という調査においては、「(女性が)男性に求める条件」として「三高」を「バブル期に求められた」ものとしている。この「三高」と言う言葉自体からも、恋愛そのものの高級志向が読み取れると言えるだろう。

 「アッシー」、「メッシー」、「ミツグ君」とは、それぞれ順番に「移動の足となる男性」、「食事の代金を支払う男性」、「プレゼントを貢ぐ男性」の意味であり、女性が主導的立場を執った男女関係において、役割毎の男性に付けられた言葉である。これらの言葉は後述の新聞報道と合わせ、自動車、食事、プレゼントがバブル期において恋愛の場で重要な役割を果たしたということが読み取れる言葉である。

 また前章において「宝石」「貴金属」類の販売額がバブル期に増加したという統計は既に挙げたが、統計の取られ始めた1980年から2016年に至るまで例外なく、これらの商品の通年最高販売月は12月であるという点(これは百貨店全体の販売額にも同じことがいえる) 、そして12月には(日本社会での)恋愛で重要な役割を果たすとされるクリスマスがあるという点も、恋愛消費の高級化を例として挙げる更なる理由としてある。

 原(2006)は『バブル文化論』において「青春といえば恋愛である」とし、消費文化的恋愛の例としてクリスマスを挙げている。原(2006)はクリスマスが1970年代では「会社から渡されたショートケーキを自宅で囲んで祝うなどの、家庭中心のもの」であったが、1980年代後半には「恋人と過ごすクリスマス」が定着し、「ヘリコプターをチャーター!高級ホテルで乾杯」するのがバブル期当時のクリスマス消費スタイルであったと述べている。加えて原(2006)は、雑誌メディアが恋人と過ごすクリスマスのさまざまな演出を記事にするようになり、都内或いは横浜の高級ホテルは秋までに予約で満室となりクリスマスイヴには若者が大挙して押し寄せる光景が見られた、とも指摘している。

 1990年12月21日付の朝日新聞東京版夕刊第23面では「ものいりクリスマス 贈り物高級化、ホテルに外車 若い男性には受難⁉」と題された記事が掲載されている。記事ではティファニーの高級宝飾品を買い求める男性客や、フェラーリ、ベンツ、ポルシェといった高級外車のレンタカーが12月22日から25日にかけてよく借りられること、そして高級ホテルではクリスマス前後の予約で満室となること、東京の高級イタリア料理店は一人あたり7万円から8万円程のクリスマスディナーが予約により売り切れることといった内容が掲載され、様々な場面においてクリスマスが高級化していることを報じている。内容はまさしく前述の、「自動車→アッシー」、「外食→メッシー」、「プレゼント→ミツグ君」に繋がるものである。

 このような事象については、雑誌『POPEYE』がバブル期当時様々な形で掲載し読者に提案している点に注目し、高級化した恋愛消費の例として用いたい。雑誌『POPEYE』について、原(2006)は「1980年代の青年たちの実像に近い」雑誌としている。そしてこの『POPEYE』では原(2006)の指摘するように「雑誌メディアが恋人と過ごすクリスマスの様々な演出を記事」にしているのである。

 以下、新聞報道より「高級宝飾品」「高級ホテル」「高級外食」のそれぞれ3つの高級消費についての記事を引用或いは紹介し、雑誌『POPEYE』での「演出」例と対比させることでそれぞれ3つの事例を論いたい。また、都築(2007)より、それぞれ3つに関する例を補うために適宜内容を引用する。   更に前述の3つ以外にも他なる高級化した恋愛消費の例として、雑誌『POPEYE』にて掲載された内容を引用しバブル期の恋愛消費高級化の例としたい。

 

b高級宝飾品

 高級宝飾品に関する報道例として日本経済新聞及び朝日新聞より2例挙げたい。

 

クリスマスプレゼント用に人気が高いのが宝飾品。三越のティファニーでは二万円台の銀製ペンダントが売れ筋で、前年に比べ五〇%以上売り上げを伸ばしている。他の店でも「ネックレスなどを中心に五〇%増」(伊勢丹)、「十八金のアクセサリーが三〇%近く伸びている」(西武池袋店)。東京銀座のミキモト本店でも二十三日の来店者数が六千人、二十四日が雨の中で四千五百人とこれまでにない多さ。二日間の売り上げも五〇―六〇%増という。プレゼントの平均単価が上がっているのが今年の特徴で、ティファニーは「昨年より二〇―三〇%高い五万円前後になっている」(三越)。

(1989年12月25日付の 日本経済新聞東京版朝刊13面「更に好調クリスマス商戦、宝飾品など高級志向一段と」より)

 

米国の「ティファニー」の商品を置く東京銀座の三越百貨店では、女性に人気のあるハート形のデザインの金、銀製ペンダント「オープンハート」が入荷した今月十五日、開店と同時に一階約百平方㍍の売り場に二重、三重の人垣ができた。九割方が若い男性。値段は一万一千円から二十五万円。同店では昨年の同じころにもこのペンダントが売り切れになり、「彼女に言い訳が出来ない」という客に店員が個人的に〝売り切れ証明書〟を一筆したためたことも。「品切れで手に入らず、店頭でベソかく男性もいらっしゃるようです」

(1990年12月21日付の朝日新聞東京版夕刊第23面「ものいりクリスマス 贈り物高級化、ホテルに外車 若い男性には受難⁉」より)
 

 これら記事で取り上げられているティファニーのオープンハートという宝飾品に関して、都築(2007)は「(バブル期には)プレゼントの基本―「とりあえずひとつもらっとかないと」―とされた」ものだったとしている。前章での統計データや、「(一日の)来店者数が六千人」「二重、三重の人垣」と報道される程の活況ぶり、そして都築(2007)の言葉より、高級宝飾品の消費は広く流行していたことが窺える。このような高級宝飾品に関した新聞報道に対する雑誌の「演出」として、1989年2月15日刊行の雑誌『POPEYE』286号を挙げたい。

 同号138-139頁の内容を別途表1に詳細に抜粋した。同誌では女性は男性からのプレゼントとして何が欲しいかという旨の記事が組まれ、表1にある通り、西日本と東日本の女性が3万円未満と3万円以上のプレゼントで何が良いかについての4種類のランキングが掲載されていた。何故ランキングでは3万円未満と3万円以上に分けられているかというと、同誌は「3万円未満と言う金額は、付き合い始めて間もない頃」の相場であり、「もらっても心の負担にならない金額」であるからと説明している。ランキングの内容を詳しく見てみると「シャネル」「エルメス」「ティファニー」「ブルガリ」「カルティエ」といった有名な高級ブランドの名前が随所に見られる。価格帯も3万円以上のランキングでは10万円を超えるものや、或いは上限が設けられていない「ダイヤのピアス」といった例もある。プレゼントとして非常に高価なものが好まれていたことがこれらより分かる。

 ただしこのランキングには調査母数や期間、方式等は明記されていない点には注意したい。だが「雑誌」に「高級宝飾品」が「紹介」されている点に注目したい。本論では紙面の都合上割愛し併載していないが上記の参考価格に加えて、該当品の販売店の案内や、該当プレゼントをもらった際の「女のコの声」という女性側の感想がそれぞれに併載されている。「女性はこのようなプレゼントを欲しがっている(ので読者男性は買う方がよい)」という「演出」と捉えることが出来る内容である。

 更にクリスマスプレゼントに関して、1988年12月7日刊行の『POPEYE』282号78頁では「(クリスマスプレゼントとして)小物をあげるなら国産DC[3]より、インポートブランド。シャネル、エルメスを購入する財力はなくても、フレンチテイストのあるものならOKのようなので、『POPEYE』でお勉強してくださいね。」と書かれている。「お勉強してくださいね」とは、雑誌が読者に直接的に「高級プレゼントを買いなさい」と指示しているとも読み取れる。原(2006)の指摘通り、雑誌が読者に「ミツグ君」的消費スタイルへと先導していると言えるだろう。また雑誌のこのような記事が実際の高級宝飾品の消費に反映されているということは、先の新聞記事にて、宝飾品を買い求める客層の「九割方が若い男性」と報じられていることと雑誌の主な読者層若者が重複していることより推察できる。

 

c高級ホテル

 高級ホテルに関する報道として朝日新聞及び日本経済新聞より挙げたい。但し日本経済新聞のものは非常に長い内容なので引用ではなく要約を掲載する。

 

人気の高級ホテルには、一年前から宿泊予約が入っている。千葉県浦安市の東京ディズニーランドそばにある東京ベイホテルでは、八月のお盆前に、すでに執事サービス付きの三十七万五千円の部屋も含めて全七百八十二室が満室になった。ほとんどが二十代後半から三十代前半の若い男性だという。

(1990年12月21日付の朝日新聞東京版夕刊第23面では「ものいりクリスマス 贈り物高級化、ホテルに外車 若い男性には受難⁉」)

 

 そしてこの朝日新聞と同様な高級ホテルに関する報道として、1990年12月15日付日本経済新聞東京版夕刊第1面には「「ミツグ君」大奮発、ホテルはつらいよ(Now&New)」と題された小説調の記事が掲載されている。内容は即ち、クリスマスイヴに向けて高級ホテルを電話予約しようとする若者に対して、ホテルの電話番が予約申し込みを断るというものである。日本経済新聞のこの記事では「(クリスマスイヴの予約電話が)この一、二年はひっきりなし」と書かれている。1990年の記事であるので、1988年、1989年も記事のような光景がホテルにて見られたと推察できる。都築(2007)も当時を「クリスマスイヴのために、夏から部屋を押さえるのが、珍しくもなんともない時代だった」と述懐している。このように高級ホテルでクリスマスを過ごすというのはバブル期当時流行していたと言えるだろう。

 高級ホテルに関した「演出」についての具体例は、1990年12月19日刊行の雑誌『POPEYE』329号192頁にて「クリスマスに泊まりたいホテルは?」という質問の男女別ランキングが掲載されていることが挙げられる。別途表2に当該ランキングの内容を示した。

 それぞれの順位の全体に対する比率が併載されていない点や、どこで実施されたかも明らかではない点などは注意したいが、注目したいのはこのランキングで1位、2位に選ばれている「第一ホテル東京ベイ」と「東京ベイヒルトン」は、先の朝日新聞の報道でも扱われているホテルであるという点である。雑誌のランキングのとおりにその人気ぶりが報じられているのである。他にもアンケートの対象が18~23歳までの若者であった点、そしてランキングに「来年の参考にしてくれたまえ」という煽り文句が併載されている点にも注目したい。新聞では「(高級ホテルを借りている人の)ほとんどが二十代後半から三十代前半の若い男性」だった報じられていた。そして雑誌でも若者を対象としたランキングで高級ホテルを提案しているのである。高級宝飾品同様、「ミツグ君」的消費スタイルが雑誌によって「演出」されていると言えるだろう。

 

d高級外食

高級外食に関する報道例として朝日新聞より1例挙げたい。

 

東京南青山のイタリア料理店「エル・トゥーラ」は二十二日からクリスマスディナーを始める。先月初めには約三十席すべてが予約で埋まった。ワインなどを加えると二人で、七、八万円にもなるが、ほとんどは若者で占められているという。

(1990年12月21日付の朝日新聞東京版夕刊第23面では「ものいりクリスマス 贈り物高級化、ホテルに外車 若い男性には受難⁉」)

 

 高級外食店でも予約の多くは若者であったと報じられている。そして都築(2007)はレストラン「赤坂キャピトル東急ホテル・ケヤキグリル」料理長の「そういえば、あのころ(バブル期)は急に若いお客さんが増えましたねえ」との言葉を引用しつつ、高級外食が流行したと述べている。

 このような「高級外食」に関した「演出」としては1989年2月15日刊行の『POPEYE』286号134頁にて「やっぱ仏料理がいいわけ。ねえねえ。」と題された記事と、関東、関西別の女性が行きたい高級外食店ランキングが掲載されているものがある。別途表3に詳細を記載しているが、ランキングより10店舗の内8店舗が外国料理店である点について注目したい。先に述べた新聞資料ではイタリア料理店のコース料理が人気であると報じられていた。当時はフレンチやイタリアンといった外国料理が人気であったことがわかる。

 こちらも先の高級ホテルのランキング同様、信憑性が疑わしい点は留意したいが、本文において「少なくとも無難なデートスポットくらいおさえといてほしいのよねえ。」という女性の声(とするもの)を掲載している点より、男性を煽っていると捉えることが出来るだろう。ランキングによりどのような外食店が良いのか、ということを読者に示して「メッシー」的消費スタイルを「演出」していると言える。

 

eその他の高級化した恋愛消費例

 これまで雑誌『POPEYE』より様々な例を引用してきたが、更なる恋愛の高級化の例としてチャーター飛行機の案内記事を挙げたい。先に原(2006)は「ヘリコプターをチャーター!高級ホテルで乾杯」するのがバブル期当時のクリスマス消費スタイルだとしたと書いたが、この記述通り、ヘリコプターではないにしろ固定翼飛行機をデートに用いることを雑誌が特集記事を組み、読者に提案しているのである。

 記事は1988年5月18日発刊の『POPEYE』269号30-34頁にわたり組まれている「小型飛行機でひみつの旅へ。」と題された特集記事であり、「彼女と飛ぶ思い出」として様々な小型飛行機の定期便やチャーター便の紹介がなされている。記事では5種類の小型飛行機とそれぞれのチャーター料金、飛行モデルコース、航空会社連絡先などが掲載されている。価格帯はチャーター1時間当たり7万2,000円のものが3種類、14万2,800円のものが1種類、19万2,180円のものが1種類紹介されており、記事には「飛ばぬなら飛ばしてみたいチャーター機津々浦々思いのまま。」と書かれている。

 「彼女との思い出」とのことなのでデートとして用いることを想定していると考えられるが、一度のデートに10万円超のフライトを、若者向けの雑誌が提案しているのである。恋愛消費の著しい高級化の例として挙げるには相応しい例と言えるだろう。

 

(2)自動車の消費

aはじめに

 他なる消費の高級化の例として自動車を取り扱いたい。理由として前章での経済白書において高級志向の一因に「(排気量)2000cc以上の高級車が著しく増加」していることが挙げられたという点や、バブル期当時の日本においては「ハイソカー[4]」や「デートカー[5]」という自動車概念が社会的に広く浸透していた点がある。

 前節での当該新聞、1990年12月21日付の朝日新聞東京版夕刊第23面「ものいりクリスマス 贈り物高級化、ホテルに外車 若い男性には受難⁉」でも自動車に関する報道は見られたが、ここでは前段と独立して例示したい。自動車に関する例は多く、独立した方が論いやすいためだ。本節でも前段同様新聞報道を例とし、雑誌記事を「演出」例とする方法を用いる。

 

bハイソカー

 ハイソカーは、主に1980年代から1990年代初めにかけて日本の自動車メーカーが製造販売した高級自動車を指し、バブル崩壊と時期を同じくして使われなくなった言葉である。ハイソカーは国産車を指し、ベンツやBMWのような外国車はハイソカーとは言われなかった。ハイソカーの代表車種としてトヨタ自動車ではソアラ、クレスタ、チェイサー、マークⅡ、クラウンといった車種があり、日産自動車ではシーマ、レパードといった車種などがある。

 1988年には日産・シーマが大ヒットし「シーマ現象」という言葉が生まれる程の流行となった。ハイソカーの特徴として、高出力高馬力を持つエンジンを搭載し、車内のシートやエアコンといった装備を豪華な作りやデザインにし、電子制御やタッチパネルといった当時の最新技術を用いている点が挙げられる。ハイソカーの一例として、筆者宅にて保有されるトヨタ自動車製造のマークⅡ[6]の写真を2点掲載する。

 

写真1 トヨタ・マークⅡ(X81)の外観
(2017年11月13日筆者撮影)


写真2 トヨタ・マークⅡ(X81)の運転席
(2017年11月13日筆者撮影)

 写真1では全体的な外観を写した。車体色は所謂「スーパーホワイト」と呼ばれる白色であり、この当時「スーパーホワイトのトヨタ・マークⅡ」は非常に流行した組み合わせであった。

 写真2では運転席周辺の写真を写したが、この写真からこの自動車ではデジタルメーター方式が採用されていること分かる。この方式はソアラ、レパードといった車種をはじめ、ハイソカーに多く用いられた当時の最新技術である。

 このような高級車の消費に関して、1988年10月3日付の日経産業新聞第2面には以下のような記事が掲載されている。

 

消費者の高級車志向が一段と広がってきた。日経産業新聞が実施した自動車に関する「第二回ビジネスマン一千人調査」によると、国産車の人気ランキングはトヨタ自動車の「クラウン」が一位となったのをはじめ、上位を排気量二千cc超の三ナンバー車が独占した。(中略)国産車で「買いたい車」のベストテンはクラウンが昨年に続いて一位を獲得、今年一月に発売になったばかりのシーマ(日産自動車)がわずかな差で二位に食い込んだ。いずれも日本を代表する高級車で、消費者の高級志向を示している。
 三位以下でも“小型クラウン”と言われるマーク2(トヨタ)がシーマに肉薄、これをソアラ(トヨタ)、レジェンド(本田技研工業)といった二千―三千cc車が追っている。半面千八百cc級のブルーバード(日産)は順位を落とした。女性の人気度でも一位ソアラ、二位クラウン、三位シーマと高級車好みがはっきりと出ている。

(1988年10月3日付日経産業新聞第2面より)

  上記の記事の「高級志向」「高級車好み」といった言葉から当時の高級車人気の一端が窺える。また先に写真を掲載したマークⅡについても人気であることが報じられている。更なる例として次に朝日新聞の記事を挙げたい。

 

運転席のドアを開けると自動的にシートが後ろに下がる仕掛けの「オートドライビングポジションシステム」、本革やウールを100%使ったシート、スポーツカーにも匹敵する高性能エンジン……。こんな豪華な装備の乗用車が今、売れている。日産が十一月から売り出した最高価格六百三十万円の「インフィニティ」だ。同社によると、十一月の登録台数こそ約九百台と目立たないが、受注数がすでに六千台以上。(中略)「日本の頂点に立つ高級車」と日産が自負するこの車は、トヨタのライバル車「セルシオ」(最高価格六百二十万円)とともに一九八〇年代の最後を飾るヒット商品となった。

(1989年12月25日付朝日新聞東京版朝刊13面「だからヒット’80年代暮らし事情」より)

 

 記事では充実した内装や高性能エンジンについても触れられており、この時期の高級車の特徴を端的に示していると言えるだろう。また引用文末の「一九八〇年代の最後を飾るヒット商品」という文言に注目したい。高級自動車の流行は、この文言をもってしてバブル期における消費の高級化の好例と言えるだろう。

 

図8 国内の自動車新車販売台数推移
(『暦年別新車登録、届出台数の推移』より作成)  

 実際の統計データとして図8にて一版社団法人日本自動車販売協会連合会が公表する「暦年年度別新車登録台数表」より国内の自動車新車販売台数を示した。1985年時点では555万台程度であった販売台数はバブル景気の到来と共に急激に増加し、1989年には725万台、1990年には777万台、1991年には752万台と三か年連続で700万台を突破している。最新データの2016年販売台数は497万台であり、1990年の6割程度しか売れていないことからも当時の自動車消費は高級車に限らず全体的に旺盛であったことが分かる。

 このような自動車の旺盛な消費はこれまでに挙げたハイソカーブームの他、恋愛の場において自動車の果たす役割がバブル期には非常に高いものであったことも要因の一つと言えるだろう。次項ではデートカーについて論じたい。

 

cデートカー

 a節にて触れたが、デートカーとは男女がデートの際に用いるための自動車、デートに適した自動車を意味する言葉である。ソアラ、マークⅡのようにハイソカーと一部重複する車種もあるが、大まかにはハイソカーとは別車種のものが多い。トヨタ自動車博物館が2006年4月に開催した「若者に愛されたデートカー」という企画展示のパンフレット(当該パンフレット)では、本田技研工業のプレリュードが「デートカーブームの火付け役となった」としており、他の代表的車種は前述のトヨタ自動車のソアラ、マークⅡの他、三菱自動車のパジェロ、日産自動車のシルビア、BMWの320iなどが挙げられている。また当該パンフレットには「女のコあこがれのデートの定番はドライブでなければならず、クルマを持つことがモテる男の条件となっていった」ためにデートカーは流行した、という分析が掲載されている。そうしたデートカーの流行によって「アッシー」という言葉は登場したと考えられる。そして自動車の保有がモテる条件となったということそのものも、恋愛消費の高級化の例なると言えよう。当然ながら自動車の保有には車体費用のみならず税金やガソリン代等、相当な金額を要するからである。

 次には前項同様、デートカーの一例として筆者宅にて保有される三菱自動車製造のパジェロ[7]の写真を1点掲載する。

 

写真3 パジェロの外観
(2017年11月13日筆者撮影)  

 写真3では全体的な外観を示した。このパジェロであるが、1985年には「ダカール・ラリー」という国際自動車大会にて優勝をしたということもあり、当時は人気車種であった。また1987年11月ホイチョイ・プロダクションの「私をスキーに連れてって」と言う映画が流行し、この映画の流行によってスキーもデートの定番としてまた流行することとなった。スキー場に至る道は雪等の悪路もまた多く、パジェロのような四輪駆動車もまたデートカーとして好まれたのである。

 このようなデートカーに関する当時の報道は、朝日新聞及び日経産業新聞を例として用いたい。

 

 高級外車を貸している「ビップイン東京」では、十日以上前から三十五台ある車がすべて予約ずみ。一日のレンタル料はフェラーリが十万円、ベンツが平均七万円、ポルシェ六万円など。それでも、二十二日から二十五日にかけて、二、三日続けて借りる人がほとんど。

(1990年12月21日付の朝日新聞東京版夕刊第23面では「ものいりクリスマス 贈り物高級化、ホテルに外車 若い男性には受難⁉」)

 

 クリスマスに用いるデートカーとして、先に挙げた自動車の他にも高級外車がレンタカーとして借りられているという報道である。またソアラのようなハイソカーが、若者に支持されていることを報じた記事を紹介したい。

 

 トヨタ自動車の高級乗用車「ソアラ」が好走している。フルモデルチェンジし六十一年一月に発売して以来、販売台数は五万台に近づいた。最上級車の価格は約五百万円と外車並みだが出色の売れ行きをみせている。「価格からいっても四十歳代の顧客を中心のターゲットにしたが意外にも若い人が飛びついてきた」とトヨタはうれしい計算違いにニンマリする。
 ソアラの開発に当たってトヨタは珍しく予算ワクを設けなかったという。広く受け入れられるよりも「ソアラを理解できる人がきっといるはず」という開発者の“こだわり”を大切にした。
 車内に高速道路の地図や操作情報が映し出せる画像システムを採用するなど走り以外の機能面にハイテクを駆使、凝りに凝った作りにした。画像情報は自動車本来の機能とは関係ないが、「ハイテク空間にひたる事に満足するこだわり派のドライバーに評価を得た」とディーラーは分析する。
 ハイテクを機能だけでなくファッション感覚に訴える点ではフルタイム四WD(常時四輪駆動車)も同じ事。砂漠や急峻(しゅん)な雪渓を走るならともかく、日本の舗装道路を走るのにフルタイム四WDの機能はあまり必要としない。しかし、トヨタ、日産自動車、本田技研工業など各社は競って売り出している。技術力を誇示するのがすべての目的ではない。「普通のクルマでは満足できないヤングの心に訴えるにはハイテク感覚が今の時代には不可欠」と各社。

(1987年4月30日付の日経産業新聞26面「ハイテクこそハイセンス――遊び心が味つけ役」より)

 

 上記の報道では、ソアラはハイソカーとして富裕層をターゲットとして開発製造されたが、ハイテク装備などの機能性の高さが若者に好評となったと報じている。そして先に挙げたパジェロのような四輪駆動車も「ファッション感覚に訴える」自動車なのだという。当該パンフレットによれば、こういったハイテク装備こそデートでの話のネタになり、「メカに強いことを示せばモテることうけあい」だったためにデートカーとして売れたとしている。

 このようなデートカーに関した雑誌の「演出」として、1986年4月10日発行の『POPEYE』220号では「涙のBMW購入物語」と題された特集が組まれている。同記事には「BMWに乗っていれば、確かにモテル。これは間違いのない事実である。」と書かれ、また5コマの漫画としてBMWを持っていないがために女性と別れ、BMWを購入したことで復縁が出来たという内容のものも併載されている。また当該パンフレットではBMW320iと言う車種を一例として挙げ、東京の六本木においてデートカーとしてあまりにも多く用いられたがために「東京六本木で数多くみられ”六本木カローラ[8]”と異名をとった」としている。

 この「涙のBMW物語」より特筆したい内容として、自動車の登録を示すナンバープレートの示す地名で自動車の付加価値が上下する、という内容がある。どの土地に居住しているかで、ナンバープレートに登録される地名は変化するが、逆説的にナンバープレートに表記された土地名から所有者がどの程度の社会的地位にいるかが判明し、それによって付加価値がもたらされるというのである。記事には品川、練馬、多摩、足立、八王子、横浜といった東京都市圏で用いられるナンバープレートの地名が挙げられており、それぞれに別途表4の示す通りの価格価値が定められている。記事によれば、例えば400万円の自動車を購入したとしても、ナンバープレートの地名が八王子であれば価値は396万円程度に低下し、横浜であれば406万円程度に上昇する、というのである。記事ではこれに加えた更なる付加価値として、先程と同様の計算の仕方で、同乗する女性の自動車に対する反応で別途表5の示す通りの価格価値の変動が起こるとしているのである。記事では「女のコのコトバによる減価償却」と題されている。これによれば女のコに「すっごーい!BMWじゃん」と言われれば、400万円の自動車は403万円になり、「ミーハーね」と言われれば393万円になるというのである。この二つの計算方法を合わせるならば、横浜ナンバーのBMWに載っていて女のコに「~くんステキ!BMWもってんの」と言われれば11万円の価値の増加となり、400万円の自動車でも411万円程度の価値になるのである。

 一方で、『POPEYE』では上記のように「BMWがモテル」と書いた同じ号にて「ちょっとオシャレな女のコたちの間では、「今更BMW、メルセデスってないんじゃない」という意見もチラリホラリ。そういえば、これだけ街にあふれていると、BMW、メルセデス=ステイタスという公式も成り立たないと思えてくる。」と手のひらを返して、BMWを否定する記事を書いている。この「BMWはモテル」と「BMWはもうモテナイ」という二つの相反する記事が同じ号の雑誌に併載されていることに関しては、詳細な考察を第3章に譲りたい。

 上記の記事の他、1986年1月1日発行の『POPEYE』214号では「女のコ人気車この車なら横に座ってあげる。」と題された記事が組まれ、「助手席にはぜひ一度は乗ってみたい憧れの車ベスト10」と題されたランキングが掲載されている。別途表6に詳細を抜粋した。ランキングの10車種の内、7車種が外車である点と、1位はBMW635CSiと言う車種である点について注目したい。人気車種のほとんどは外車であり、ブランド性の高い物ばかりである。また先に述べた「BMWはモテル」というのはランキングにも現れていると言えるだろう。また何度かデートカーの例として挙げたトヨタのソアラは9位であるが、ランキングに載っているモデルはZ10というモデルチェンジ前の初代のモデルにあたり、このランキングが記載された時点では次のモデルであるZ20はまだ発表されておらず、このような順位となっている。

 このランキングは前節の様々なランキング同様、調査方法や形態については言及されていない。記事には清泉女子大学3年生の女子学生の言葉が併載され、「絶対一度は助手席に乗りたいわ」という女性の具体的な声を読者に示して煽った「演出」を行っていると捉えることが出来る。

 このようにデートカーに関しても、雑誌によって「演出」がなされ、女性にモテるためにはどのような自動車を買えばよいのか、乗ればよいのか、といったことが読者に示されている。

 本節では以上のような報道、雑誌記事をもってデートカーの具体例としたい。

 

(3)本章のまとめ

 様々な報道や、統計、雑誌記事よりバブル期の消費の高級化の具体例として恋愛消費の高級化、自動車消費の高級化を例示してきた。恋愛成功の為に自動車を保有することが条件となったり、デートの為に飛行機をチャーターしたり、或いはホテルの宿泊にしても高級ホテルに若者が押し寄せ、クリスマスの予約が夏には満室になる等、バブル期の消費は旺盛さのみならず高級志向が非常に特徴的であったと言える。

 ではその消費スタイルが一体どのような理由をもってして行われたのだろうか。次章にて詳しく考察を行い本論文の本旨としたい。


Ⅲ 高級志向の要因考察

 

(1)本章の概要

 前章においてはバブル期における様々な高級化した消費の例を挙げてきた。本章では何故消費が高級化したかについて、要因を価値観的要因、政策的要因、経済的要因の大きく三つに分類し考察を行いたい。このような消費の要因に関する考察は先行研究として牧(1999)、原(2006)、新井(2007)といった個人のみならず、日本経済新聞社、日本リサーチ研究所といった組織もまた行っている。本章ではそれぞれの先行研究を複合しつつ、更に深化した要因の考察を行いたい。

 

(2)価値観的要因

a要因1:記号的価値と消費価値について

 そもそも物を買う、サービスを受けるといった消費活動は二つの価値観から根ざして行われている。一つは使用価値であり、もう一つは記号的価値である。前者は物やサービスそのものが持つ機能性によって決められる価値であり、後者は物やサービスに付随するブランド性によってきめられる価値である。
 わかりやすい例として、前章でも消費例として挙げた自動車を用いてみると、自動車の本質的な使用価値は移動手段という点にある。使用価値のみを満たすのであれば、複数の車種を様々なグレードに分けて販売したり、複数の自動車を一人で所有する理由はない。しかし記号的価値の考えに基づくならば、自動車製造会社や、自動車の車種、グレードによって付随する記号的価値が変化してくる。つまり安価な国産軽自動車を乗ることよりも、外国製高級車や国産のハイソカーに乗っていることの方が、より記号的な意味を増してくるのである。ハイソカーはHigh Society Carの略称であったことを考えると、当時は記号的価値に重きが置かれていたことが分かる。

 つまり高価な自動車を所有することは、経済的、社会的地位が高いところに到達した人物であることを第三者に誇示する記号となるのである。新井(2007)はこれを「消費社会における勝利者であることの宣言」と表現している。そして新井(2007)は高度経済成長期に「三種の神器」と言われた電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビ、或いは「3C」と言われたようなクーラー、カラーテレビ、自動車といったような製品は、使用価値に主に基づいて消費されてきたが、1980年代に起こったブランドブーム(シーマ現象、輸入ブランドブーム、ハイソカーブーム等)はいずれも記号的価値に、企業や消費者が焦点を当てたものであったと指摘している。このバブル期当時の商品価値とは、バブル期以前と異なり、ブランド性による記号的価値と等しかったと新井(2007)は言うのである。

 バブル期には「三高」という条件が女性からの理想男性像であったことは前章にて既に述べた。「三高」とは「社会的に成功している」という記号的な意味を含んでいる。この記号的価値を用いるなら「三高」が支持された理由もまた次のように見えてくるのである。

 まず男性中心的な見方をするならば、この「三高」には「女性にモテる」と言う意味の他にも「社会的に成功していると見られる」という意味がある。このような記号的価値に基づき、「「三高」を満たしていると見られたい」という感情が男性に発生する、と考えられるのである。そしてこの感情に基づき高級品を消費したいという欲求につながり、そして実際に高級品を消費するのである。

 次に女性中心的な見方をするならば、「三高」には、「付き合っている男性」を「女性の所有物」とみなすと、「「三高」を所有している(付き合っている)私もまた社会的に成功している」という意味が現れてくるのである。

 このようにして「三高」は社会的に支持され、そして「三高」として見られたいという欲求を満たすために、高級品が数多く消費されていったのではないかと考察するものである。

 

c要因2:差異化を求める時代性

 原(2006)や新井(2007)はバブル期の日本社会の分析として、均質化から差異化を求める社会的風潮を挙げた。明治維新~高度経済成長期にかけて、一時期を除き、共通する社会的な風潮として文明開化と言う言葉に現れる西洋化、欧米化の風潮があり、また戦後に顕著なものとしてアメリカ様式の生活スタイルを目指す風潮、アメリカナイゼーションがあったと指摘している。そしてこのような風潮は均質化をもたらし、均質化された生活様式は「一億総中流社会」という言葉に表現されるように高度経済成長期を経て1980年代になるとほぼ確立されたというのである。

 この均質化された日本での消費者行動についての考察として、藤岡(1984)は「昭和30年(1955年)以降生まれの人間は物的欲求に基づく基本的満足が実現された状態の中で育っているため、それより高次の欲求である「差異化」を求めて行動する。つまり人と同じでありたいというのではなく、人とは違っていたいという欲求がまずあり、これによって個性的な自己表現、自己実現を果たしていく」と述べている。続けて藤岡(1984)は「こういった人々は自らの差異を理解してくれる人間の支持が必要であり、それぞれがバラバラに差異化を求めるのではなく、細かく分かれて少数の集団を形成して差異化を求める」とも述べている。つまり、100人中100人が同じ格好同じ生活をする時代から、100人が5人や、10人程度の少数集団に分かれ、それぞれが異なった格好や生活を指向するようになっている、述べたのである。このような差異化の一般化については、「自己表現の大衆化」と言い換えることが可能だろう。自己表現の最も簡単な方法について、上野(1987)は「服装が一番手軽な自己表現のメディア」であるとしている。

 そして日本社会の内部にて均質化が完了したのとほぼ同時期、日本社会の外部であるアメリカでは1975年のベトナム戦争敗戦や、1970~80年代を通しての貿易摩擦と双子の赤字に伴う社会的経済的苦境に立たされていたことにも注目したい。何故ならば原(2006)は日本の均質化とアメリカのこのような苦境によって「日本社会の目指すべき到達点の喪失」が起こったと指摘しているからである。即ち、日本社会では目標(=アメリカナイゼーション)は既に均質化によって達成され、自己(=日本)を超越する存在(=アメリカ)の消失(≒没落)が起こり、目標とすべき存在が失われたというのである。

 このように指摘されている差異化への指向と、社会目標の喪失は、やがてバブル期の流行や消費ブームに結びつくようになったのではないだろうかと考える。即ち次の通りである。

 差異化を指向する社会では、均質化された世界は遅れた世界となり、差異化された世界が目標の世界になる。或いは目標の喪失された社会では新たなる目標が求められたり作られたりするようになる。このような風潮の中、やがて誰しもが目標を追えばそれは流行となり、流行の進展は差異化された目標の均質化をもたらすため、新たなる目標が求められ、作られるようになる。この繰り返しによってバブル期には様々な消費が行われ、多様な「○○ブーム」が起きたのではないだろうか。

 前章の第二項第c節「デートカー」の例にて1986年4月10日発行の『POPEYE』220号より「涙のBMW物語」という例を挙げ、「BMWはモテル」と「BMWはもうモテナイ」という二つの相反する記事が同じ号の雑誌に併載されていることを指摘した。これについて差異化への志向という考え方や、前章にて紹介したようにBMWが「六本木カローラ」と呼ばれる程流行(=均質化)した点も踏まえると、雑誌は「BMWがモテル」という既存の流行を載せつつも、おおよそ世間ではBMWが均質化しつつあり、新たな流行の創出が必要とされたので、それまでの流行の否定が同時に行われているのだ、と捉えることが出来る。このようして『POPEYE』220号にて相反する記事が併載されたことは説明出来るだろう。

 

d要因3:求められた人間性

 バブル期を含め1980年代の日本社会では、「ネクラ・ネアカ」或いは「ナウい」といった言葉が存在した。原(2006)はバブル経済期より少し前の、1982年の流行語に「ネクラ・ネアカ」を選んでいる。「ネクラ・ネアカ」はそれぞれ根が明るい、根が暗いから来ている言葉であり、明るく振る舞う、ポジティブな考え方をしている、或いはそれらの対義的な意味を持つ言葉である。また原(2006)は「ネアカネクラ」に先立ち「ナウい」という言葉を1980年及び81年の流行語に選んでいる。意味としては流行の最先端を行っている、といった意味であり、英語の”now”から来ている。前項での差異化を用いるならば、流行を追いかける「ナウい」人は流行に後れた人と差異化されることになる。差異化を求めるあまり、流行を追いかけることが流行した結果「ナウい」と言う言葉が生まれたと考えられる。

 バブル期およびそれ以前の1980年代はこれら「ネアカ」かつ「ナウい」ことがよりよい人間像やよりよい振舞い、あり方と評される時代であった。それを示す例として1987年12月16日付朝日新聞朝刊東京版第21面にて、「ネクラじゃないよ新卓球」という記事を紹介したい。記事では卓球がネクラなイメージを持たれているため、日本卓球協会がイメージアップを目指し様々な改革を行ったという主旨の報道である。

 

 卓球もリッチでライトでファッショナブルに-(中略)卓球協会は昨年(1986)、卓球に対するイメージ調査を行ったが、黒いカーテンで日光を遮った体育館内で、小さな卓球台を巡って激しく動く競技が「ねくらで、ダサい」との印象が強いとわかった。このため、同プロジェクト(卓球発展計画プロジェクト)を発足させ、印象転換の具体策を検討してきた。試案では(中略)新たな種目の新設を提案。(中略)一番のメリットは、卓球をカラフルにし、暗いイメージを一掃すること。球がオレンジ色になったため、白のユニホームを着ることが出来、デザインも派手にして若者の人気獲得を狙う。

(括弧内は筆者加筆、1987年12月16日付朝日新聞朝刊東京版第21面より)

 

 記事によれば、現在の卓球台や球、ユニホームなどの色は、1987年に「ネクラ」イメージ刷新の為に改められたものであるというのである。このように「ネアカ」か「ネクラ」か、と言う考え方はこの当時競技の形式を変化させる程の影響力を持つ考え方であったことが分かる。

 ではこういった「ネアカさ」や「ナウさ」は一体どのような指標を用いて、どのように決定されるのだろうか。

 原(2006)はバブル期の文化形態を「バブル文化」と名付け、定義として「バブル経済がもたらす諸影響の一つであり、高度にメディアに媒介されたコミュニケーション様式を特徴としバブル景気により変容した象徴領域を指す」としている。この定義を用いるならば、情報メディアによって共有されるものがバブル文化である。であるならばテレビや書籍、雑誌といった媒体によって決定されるということになり、「テレビが言っているから」「雑誌にそう書いてあるから」という理由で「ネアカ」な人や「ナウい」人が完成されるというのである。事実、この時代の前後にはそのような社会性を表す言葉がいくつか生まれた。時代は遡るが、1970年代の「アンノン族」という言葉が雑誌『anan』と『non-no』を片手に持ちながら旅行をする女性を指したように、或いはバブル期に「ハナコ族」という、雑誌『Hanako』に掲載されるような格好やライフスタイルを実践する女性を示す言葉が現れたように、人々の行動や価値観はメディアによって作られていたのである。先に挙げた新聞の例もまた、報道によって「卓球がネクラであった」と印象付ける報道であったともいえる。

 このようにバブル期においては、「ネアカさ」や「ナウさ」が求められていたイメージや人間性であったことが分かる。このようなネアカな人、ナウい人に見られるためには、雑誌や新聞、テレビで紹介される格好をすればよい、という考え方があり、それに従ってバブル期には前章の例の如く物事が消費されたとも考えられるだろう。

 

e価値観的要因の総括と考察

 これまでに挙げてきた価値観的要因の、記号的価値、差異化志向の時代性、「ネアカさ」や「ナウさ」への志向を総括し、バブル期の高級消費志向のメカニズムの一部を以下のように考察したい。

即ちバブル期には、他人とは違ってありたい、或いは社会的に成功していると見られたいという人々の思いが、希少性の高いブランド品や高級品の消費の源流にあり、また同時に「ナウい」や「ネアカ」といった理想的人間像の下、そのように振る舞う人々が増えていった。そしてその「ナウさ」や「ネアカさ」とはメディアによってイメージ付けられおり、一旦ブランド品や高級品の消費が流行していると報道され、認識され始めると、高級品消費を行う人が「ナウい」或いは「ネアカ」な人と捉えられ始め、高級品消費が更に加速するというメカニズムになった。このよう流れがバブル期の高級品消費の心理的な要因となったのではないだろうかと考察する。

 

(3)政策的要因

a要因4:プラザ合意と内需拡大政策

 本節ではプラザ合意の結果、日本円の対アメリカドル為替レートが円高へと急速に変化したことについて、及びプラザ合意を踏まえた上で中曽根内閣が行った内需拡大政策について述べつつ、バブル期の消費についての考察としたい。

 

図9 為替レートと5000ドルの円換算推移
(日経平均プロファイルアーカイブより作成)

 図9にて円対ドル年平均為替レートの変化と5,000ドルの商品の日本円での価格推移を示した。まず円高レートについてであるが、プラザ合意以前では1ドル当たり240円前後で推移していた為替レートが合意後には170円前後、そしてバブル期に最も円高となった1988年には130円前後で推移することとなった。この結果、例えば価格が5,000ドルの海外製輸入品が、日本円換算して120万円弱程度であったものが60万円程度にまで実質的な値下がりを起こすことになるのである。

 このような輸入有利の為替変化は、海外ブランド品の輸入増加を後押しすることとなり、シャネル、グッチ、エルメス、ベンツ、BMWといった様々なブランド品の消費量増加の一因となったと言えよう。

 更にプラザ合意後、当時の中曽根内閣では1986年4月7日「国際協調のための経済構造調整研究会報告書」(通称「前川リポート」)と呼ばれる報告書にて内需拡大政策が提言され、「外需依存から内需主導型の活力のある経済成長への転換を図るため、この際、乗数効果も大きく、かつ個人消費の拡大につながるような効果的な内需拡大策に最重点を置く」と政策の方向性が定められた。政府政策として消費を後押しするべく様々な政策を行うとしているのである。以下前川リポート4頁「内需拡大消費生活の充実」より引用。

 

 経済成長の成果を賃金にも適切に配分するとともに、 所得税減税により可処分所得の増加を図ることが個人消費の増加に有効である。また、労働時間の短縮により自由時間の増加を図るとともに有給休暇の集中的活用を促進する。労働時間については、公務金融等の部門における速やかな実施を図りつつ、欧米先進国なみの年間総労働時間の実現と週休二日制の早期完全実施を図る。

(『国際協調のための経済構造調整研究会報告書』4頁「内需拡大 消費生活の充実」より)

 

 このように前川リポートでは当時の政府が可処分所得の増加、労働時間短縮といった政策によって消費喚起を行っていたことが分かる。税制改革に関しては次節にて詳細を後述するが、労働時間に関しては労働基準法が1987年9月に一部改正され、一週間あたりの法定労働時間が48時間から40時間へと改められた。これにより前川リポートが提言した週休二日制が実現される運びとなったのである。

 当時のこれらの消費を促す政策が、バブル期の消費の高級化や過熱の要因の一つになったと考えられる。

 

b要因5:税制改革

 前項での前川リポートでは税制改革について提言されていたが、本節では少額貯蓄非課税制度の廃止、物品税の廃止、及び自動車税の減税についての税制改革を扱い、考察を行いたい。

 まず通称「マル優」と呼ばれた少額貯蓄非課税制度が1988年、前川リポートの内需拡大政策や国際協調路線等を受け廃止された。「マル優」とは国民一人が所得する300万円以下の利子所得(預貯金、合同運用信託、有価証券)に対して所得税15%と住民税における所得割5%が、届け出を出した際には非課税とされる制度であった。例えば銀行口座に300万円の預貯金を行った際、所得税15%と住民税における所得割5%の合計20%分である60万円の課税が本来かかるが、行政へ「マル優」の届け出を行うと全額免税になるというものである。更にこれは国民一人に対するものであるから、例えば成人4人からなる家庭ならば4つの口座にそれぞれ300万円ずつの合計1,200万円分を非課税で預貯金が可能となり、240万円も免税されることが出来るという制度であった。

 しかしこの制度廃止に伴い、前川リポートにて提言された所得税減税はむしろ増税される結果となるのだが、所謂駆け込み需要が発生し、消費喚起が行われたと当時は報じられている。1988年3月28日日本経済新聞朝刊11面「今何故新車は売れるのか、5つの仮説を検証」では「マル優(少額貯蓄非課税制度)の廃止も高所得者に「税金で取られるなら消費に」との心理を生んだようだ」と分析している。

 更にマル優廃止の他、1989年4月1日、消費税導入と物品税廃止という税制改革が当時の竹下内閣の下行われた。消費税は物やサービスの消費につき価格の一定割合が、その物やサービスの種類に関わらず一律に課せられる税制であるが、物品税とは物品税法と言う法律によって課税物品、非課税物品等が定められ、また物の種類毎に別途定められた税率が存在し、その税率に基づき課税されるという税制である。主に高級品、嗜好品、奢侈品等には高い税率が定められ、生活必需品等には低い税率が定められている税法であった。例えば税制改革前の1988年時点において、宝石は3万7,500円以下を免税とした15%の税率、自動車は普通自動車[9]を23%、小型自動車[10]を18.5%、軽自動車を15.5%の税率とされており、税制上の区分で税率が変化するものであった。このような税率がほぼ一律に3%、自動車は1992年3月31日まで暫定税率として6%にまで大幅減税され、物を売買する際にかかる費用は大きく変化することになる。

 また自動車に関しては、1989年4月1日より物品税の他にも、地方税の内の自動車税が改正され、改正以前は自動車の大きさやエンジン排気量によって課税されていたものが、大きさに関わらずエンジン排気量別で課税されるようになり、より細分化されて大きく変化している。改正前後の詳細な課税区分を別途表7及び8に示した。例えば、ハイソカーの代表例として本論文でも何度か挙げたトヨタ自動車のソアラ(MZ21)のエンジン排気量が3.0リットルのモデル[11]を例とすると、新車価格は416万3,000円であるので、税制改革前はこれに23%の物品税及び、自動車税が8万1500円課税され(自動車重量税と自動車取得税はこの時期の税制改革に無関係な為この際は考慮せず)、合計103万8,990円が課税徴収されていた。しかし税制改革後は、30万780円となり、その差額は73万8210円となる。前章でも挙げた国内の自動車新車販売台数が税制改革前では672万台販売されていたのに対し、税制改革後のピーク時には777万台と二年間で100万台近い増加を見ている点については、税制改革も要因の一つとしてあると見ることが出来るだろう。勿論自動車のみならず、物品税は高級品をはじめとした華奢品に税率が高く設定されていたことから、税制改正後は高級品の消費が容易になったために、バブル期の高級品消費を後押ししたものと考えられる。1989年当時の報道にも、これら税制改革に関する記述と消費喚起の可能性について述べられている報道がある。

 

 四月一日からの消費税導入と物品税廃止に伴う自動車の新価格が二十四日出そろった。自動車各社は、早くも新価格での受注合戦を開始しているが、四月からは、普通乗用車(二〇〇〇cc超)の自動車税の減税や手数料の引き下げも加わるとあって、各メーカーとも、“新税制特需”に一気に弾みをつけたい考えでいる。
 今回の価格改定で、各社とも普通乗用車は約一〇%、小型乗用車は六・六%前後の値下げを発表した。一般的に新車の納入は、注文後十日から二週間程度かかるため、各社とも新価格で受注を始めている。
新価格は、高級車ほど値下げ額が大きいことから、販売店ではこれまでより一ランク上の車をユーザーに勧めるケースが増えそうで、ユーザーの上級車移行が強まりそうだ。普通乗用車は、三〇〇〇cc車なら自動車税が三万円安くなることもあり、5ナンバー車から3ナンバーへの乗り換えも予想される。高級車ほど一台当たりの利益が大きいため、販売店の収益向上につながる期待もある。

(1989年3月25日読売新聞東京版朝刊9面「車の新価格出そろう 新税制特需目指す各社 高級志向さらに強まる」より)

 

 このように一連の税制改革は高価なもの程大幅に価格変化をもたらし、当時の高級志向の風潮と相まって更なる高級品消費を促したと考えられる。

 

c,政策的要因の総括と考察

 これまでに挙げてきた政策的要因の、プラザ合意と円高レート、内需拡大政策、税制改革を総括し、バブル期の高級消費志向のメカニズムの一部を以下のように考察したい。

 即ち、ドル切り下げを目的としたプラザ合意は円高を進め、その円高に対応すべく前川リポートでは輸出主導型経済からの脱却として内需拡大政策が執られることとなった。前川リポートの提言とは一部異なる形とはなったが、マル優廃止を主軸とした所得税増税による貯蓄の消費転化、物品税廃止による高級品消費の容易化、自動車税改革による自動車消費の喚起など、税制面で政府が消費を後押しする政策が1988年、1989年立て続けにとられた。

 このような政策によって、バブル期の消費は更に進められ、図4,6,7,8にて挙げたように商業販売額や自動車販売台数がそれぞれ現在に至るまで過去最高を記録する要因の一つになったのではないかと考察する。

 

(4)経済的要因

a要因6:給与所得の上昇

 本節ではバブル経済に伴う給与所得の上昇、及び前節で触れた円高レートに伴うドル換算での給与所得の上昇を踏まえつつ、バブル期の高級品消費について考察を行いたい。本節で扱う新卒とは男女の中学校卒業程度、高等学校卒業程度、専門学校卒業程度、大学卒業程度までを指す。

 図10には新卒初任給の平均額を1980年から1995年にかけて示した。バブル期以前からバブル崩壊後にかけて、新卒初任給の額は年々増加しており、特にバブル期においてはその増加率が右肩上がりの上昇を示しており、バブル景気の影響が給与所得にも反映されていたことが読み取れる。バブル期(1986~1991年)の5年間を通した増加率では24.1%の増加率となり、著しい増加と言えるだろう。

そして図11では、上記の新卒初任給をその年の円対ドルの平均為替レートをもってドル換算した。プラザ合意に伴う急激な円高もあり、プラザ合意以前の1985年では4,387ドル程度であったものが翌年1986年より6,390ドルにまで上昇。1991年時点では9,848ドルにまで上昇している。但しバブル崩壊後も初任給は微増、円高レートは更に進んだため、1992年以降のドル換算初任給も増加している点には注意したい。

前節では円高により5,000ドルの商品が実質的な値下げとなったことについて述べたが、円高の進展に加え給与所得の上昇が起きたことに寄り、より一層輸入品は購入が容易となったと読み取れる。

バブル期の消費の高級化やブランド品ブームはこのような経済的背景によって支えられたと考えられる。

図10 新卒初任給とその増加率の推移
(日経平均プロファイルアーカイブ及び独立行政法人統計センターe-stat『新規学卒者の初任給の推移』より作成)


 

図11 ドル換算新卒初任給と為替レートの推移
(日経平均プロファイルアーカイブ及び独立行政法人統計センターe-stat『新規学卒者の初任給の推移』より作成)


b要因7:資産価値の上昇と住宅購入費の転化

 第一章の図1,2,3にて株価や土地価格の高騰が発生したことは既に述べた。本節ではこれらを援用しつつバブル期の消費の高級化について考察を行いたい。

 資産価格の高騰は、資産保有者の資産価値を高め、キャピタルゲインを保有者にもたらす。これら資産を担保とするか或いは売却を行うことで、保有者は銀行等の金融機関から資金を調達することが可能となり、給与所得以外の所得を得ることが出来る。高騰した資産価値は莫大な価格に上り、これによって得られる利益もまた莫大な利益となるのである。

 しかし資産価値上昇は所得上昇のみならず、土地取得や住宅の購入を難化させた側面も大いにあった。その結果、資産を持たざる人々は本来住宅費に充てるはずであった資金を消費に転化させたのである。

 上記の二つの事象に関しては、1987年12月20日付朝日新聞東京版朝刊11面にてウィークエンド経済第95号「消費の主役が交代中 資産効果からやけっぱち効果へ⁉」と題された記事が掲載され、資産価値上昇による恩恵と受けた例と、住宅購入を断念し消費へと転化した例が報道されている。

 

高額絵画、外車、投資用ワンルームマンションが、勢いよく売れた今年。土地や株といった資産の値上がりでゆとりのでたニューリッチ層が、ほかほかした気分でサイフのひもをゆるめ結果だ。ところが、最近になって、土地も株も持たない、いや持てない層の買い物が勢い良くなってきた。消費の推進力が、「資産効果」から、マイホームを持つことをあきらめ、身の回りをせめて豊かにしようという「やけっぱち効果」へかわろうとしている。

(1987年12月20日付朝日新聞東京版朝刊11面より)

 

 このように朝日新聞は、地価や株価の上昇に基づく資産効果によって消費か活発になったことと、資産を所有していないにもかかわらず消費を活発に行った人がいることを掲載し報じている。記事において前者は2例、後者は1例挙げられ、それぞれ匿名にて実在の男性を紹介している。前者2例のうち一方は企業経営者、一方はサラリーマンが例とされ、後者1例でも民間企業のサラリーマンが例とされている。詳細は別途表9に示した。

 記事より、Aの年収は3,300万円を超え、また20億円分の土地資産を所有している。Bの年収は1,000万円を超え、850万円分の株式を所有している。一方Cは月収28万円程度であり、年収は筆者予想ではあるが448万円程度である。報道ではA,B両名を「ニューリッチ」とし、Cを「持たざる層」として、それぞれの消費行動の分析を行っている。A,Bでは土地と株式の価格上昇が心理的余裕を生み出し、収入を消費へと転じさせていると報道されている。Aは高級外車、AV機器、海外旅行、絵画などに合計3,210万円の消費行い、Bは冷蔵庫、テレビなどに46万円の消費を行っている。Aの消費はいずれも高額なものばかりであり、年収とほぼ同じ額の消費を行っている。一方Cでは、土地の価格上昇に伴い住宅購入を断念し、「オレはローンがないからいろんなものが買えるんだぞと、なんかヤケクソ気味の気分」になり消費に走ったと報道されている。CはテレビやAV機器、コートなどを購入し、合計26万6,000円と、ほぼ月収に近い額の消費を行っている。どの例をとっても確かに消費を活発に行っていると言えるだろう。

 地価高騰と住宅購入を断念する人との関連については、同紙にて住宅金融公庫への融資申込数の変化が根拠とされている。1986年と1987年について比較されており、申込数は建売住宅では2,206件から474件、マンション住宅では4072件から2,865件へと減少している。

 更に第二章第2節第b項にて既に紹介した1989年12月25日の朝日新聞東京版朝刊13面「だからヒット ’80年代暮らし事情」でも同様な論旨の記事が掲載されている。記事では「持てる人は大型消費 持たざる人は「ヤケクソ消費」」とも題され、「持てる人」の消費の考察として総務庁(当時)消費統計課菅野真理子課長の言葉として「土地や株のある『持てる人たち』の消費が80年代後半の景気拡大をもたらす大きな役割を果たした。高級品ブームも同じです」と報じている。また「持たざる人」の消費の考察として「家を買うには少なすぎる金額でも、モノなら結構高いものが買える」からであるとしている。同記事ではこういった住宅購入費の転化による消費を「あきらめリッチ」「瞬間貴族」「やけくそ消費」と表現している。

 バブル景気による資産価値上昇が消費にもたらした直接的影響は当然資産家に及ぶが、地価高騰による住宅購入の断念と余剰資金の消費への転化という影響の発生がこれらの記事より読み取れるだろう。

 

c経済的要因の総括と考察

 バブル経済の主因となる株式や土地価格といった資産価値の高騰は、企業や資産保有者に対して莫大なキャピタルゲインをもたらし、更には好景気に伴い給与所得が上昇した。資産価値の高騰はこのような側面のみならず、土地価格の高騰に伴う土地取得や住宅購入の難化を引き起こし、住宅購入予定者に対して住宅購入費として処分予定であった所得を、消費に転化させるという現象が起きたのである。このような消費に対する可処分所得の増加が、バブル期の消費の高級化や過熱の要因の一つとなったのではないかと考察する。

 

(5)要因のまとめ

 日本は戦後復興の完了と、国際的な地位の回復、明治維新以来の生活理想像としてきた欧米諸国、特にアメリカのベトナム戦争敗戦以後の凋落によって、理想の生活像を失うこととなった。この喪失により、記号的価値に基づく高級品消費や、差異化志向の振舞いなどがメディアを媒介として1980年代には見られるようになった。このような下地の下、1985年、バブル経済を引き起こしたとされるプラザ合意は急激な円高をもたらし、一方で経済政策の変化、一方で輸入の易化をもたらした。経済政策として前川リポートでは内需拡大が提言され、財テクをはじめとする経済活動によりバブル経済が進展することとなった。このバブル経済による好景気や、所得の上昇、住宅取得難化に伴う住宅購入費の消費への転化等により消費は活発化し、予てよりの高級品消費は更に加速されることとなった。更に製造業の企業態度としても、ハイソカーやシーマ現象に代表されるような高級品を製造販売することが流行しはじめることとなった。そして1988、1989年には前川リポートに基づく税制改革等が行われ、消費そのものの易化や、バブル景気の絶頂ともいえる経済状況がますます消費を後押しする形となり、商業販売額や自動車販売台数をはじめした現在に至るまでの最高記録が打ち立てられる程消費が過熱したのであろうと考察するものである。

Ⅳ.別表

別表1
別表2


おわりに

 

 本論文ではバブル経済期の消費について、高級志向を主軸に自動車消費と恋愛消費について例示を行い、その要因を探った。結果、現在の統計からも大きく離れた消費規模や、デートに飛行機をチャーターするといったような豪奢さが見て取れた。そしてそのような消費はバブル経済に伴う経済状況の急激な向上といった経済的要因のみならず、戦後日本の価値観の迷走や時代性の結果であったり、政府が内需拡大政策として消費喚起を行った結果でもあった。本論文の

 「はじめに」では好景気に浮かれ、高価なものを大量に買うさまを「バブリー」だと紹介した。国語辞典に掲載され、広く一般的に認識される程の浪費性というものはもう二度と経験することはできないのであろうか。第三章にて様々な要因から考察を行ったが、やはりもう二度と経験することは出来なさそうである。当時のような差異化の時代や、理想像とされる人間性は現代には見られないと感じるし、なにより浪費を可能にする経済状況は、非常に残念であるが、望めそうにないからだ。バブル期の消費とは経済のバブルに加え、人の欲望や心がバブルのように際限なく膨らんだ結果なのだろう。

 追記として、本論文で紹介した統計や消費例のバブル崩壊後の顛末を紹介したい。日経平均株価は最高記録38,915円を記録した後下落の一途をたどり、2万円割れを1992年には引き起こしている。また東京の公示地価も、株価程の急激な下落はなかったものの1995年には最高価格を記録した1991年と比較し、軒並み3分の1にまで下落している。商業販売額と自動車販売台数では、本章で述べたように現在は往時の6割程度しかない。そして高級消費ブームは、当然であるが不況によって終焉することとなる。高級ホテルブームに関してその例を挙げたい。バブル崩壊後には客足が遠のいた様子で、新聞でも報道されている。以下に一例1992年11月7日付日本経済新聞夕刊11面「Xマスにも不景気の波、イブのホテル予約さっぱり、若者離れで空室目立つ」より一部引用し紹介したい。

 

 “バブル崩壊”後の不況が、若者のクリスマスイブを変えた――。ロマンチックな一夜を過ごそうと、イブ(十二月二十四日)の数カ月も前から若いカップルの予約で込み合っていた高級シティーホテルだが、昨年までとはうって変わって今年はさっぱりの状態。特にピークだった一昨年と比べると、客室の予約率は軒並み半分近くに落ち込んでいる。クリスマスの盛況ぶりは目に見えない宣伝効果を持つだけに、ホテル側は集客に躍起。ターゲットを若者から子供や主婦層などに変え、あの手この手を繰り出しているが、「クリスマスの夢よ再び」というにはほど遠いのが現状のようだ。
 東京赤坂の東京全日空ホテルでは六日現在、イブの空室がまだ六割近くあるという。この時期にはすでにほぼ満室だった一昨年、八割は埋まっていた昨年に比べ「今年はかなり出足が悪い」(同ホテル)。天皇誕生日(十二月二十三日)、クリスマス当日の二十五日の客室予約率はさらに低い。

(1992年11月7日付日本経済新聞夕刊11面「Xマスにも不景気の波、イブのホテル予約さっぱり、若者離れで空室目立つ。」より)

 

 このようにバブル崩壊後は軒並み様々な消費が冷え込んだ。そして日本経済は「失われた10年」や「失われた20年」といった言葉に表現される、長い低迷の時代を迎えることになる。

 最後に、あくまでも個人的な主観に過ぎないと断わっておくが、バブル期には魔性ともいえる魅力があるように感じられる。豪華さ、浪費性といった魅力はどの時代を切り取ってもバブル期以上に見られることはないだろう。今回取り上げた消費の例や報道の例は全体のほんの一部であり、更に多くの消費と、様々な場面での高級志向が存在していた。そのどれ一つをとっても「失われた」時代しか経験していない私は「羨ましいな」と、ある種羨望の目で見てしまうのである。


参考文献

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衆議院法律第三十号(昭四五四・二・三)『物品税法の一部を改正する法律等の一部を改正する法律』
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http://wwwe-statgojp/SG1/estat/Listdo?bid=000001014754

内閣府公式サイト>統計情報調査結果>景気統計>景気動向指数>景気基準日付
http://wwwesricaogojp/jp/stat/di/150724hidukehtml

内閣府総合社会研究所(1986)『国際協調のための経済構造調整研究会報告書』
http://wwwesrigojp/jp/prj/sbubble/data_history/5/makuro_kei01_1pdf

日経平均プロファイルアーカイブ
https://indexesnikkeicojp/nkave/archives/summary

注釈

[1] 1988年12月25日付朝日新聞東京版朝刊17面
[2] 卸売業、小売業販売額合計
[3] Designers&Charactersの略であり、バブル期に流行し、「DCブーム」とも言われた衣服ブランドメーカー群
[4] 和製英語High Society Carの略で高級車の意
[5] デートに頻繁に用いられる自動車の意
[6] X81 2.0 Grande LIMITEDという1991年に発売された限定モデルで、バブル期らしい内装設定になっている
[7] L144GWという型式
[8] カローラはトヨタ自動車の販売する大衆車であり、安価な自動車の代表車とされている
[9] 全長4.7m以下、車幅1.7m以下、全高2.0m以下、総排気量2000cc以下のいずれかを満たさない自動車、所謂3ナンバー
[10] 全長4.7m以下、車幅1.7m以下、全高2.0m以下、総排気量2000cc以下の全てを満たす自動車、所謂5ナンバー
[11] 実際の排気量は2954cc


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