話し合いの資質

話し合いと言って、私は嫌悪感を覚えてしまう。
私の生きてきた世界の狭さであろうが「話し合い」がきちんと話し合いをしたことがないのだ。
私がいままで経験してきた話し合いというのはすでに結論が決まっていての既定路線。
そこから踏み出すこともなく、ただ「話し合いをした」という既成事実を残したいだけのものだからだ。

話し合いとは本来複数人の知恵を授かり、最善策を導き出すものだ。
人間である以上、完璧な状況などあり得ないため、あくまでもその状況においての最善策に過ぎないながらも、それでも人一人で考え込むよりはよい答えが出る可能性がある。

今回は日本人が苦手とされる話し合いについて考えていく。
おそらくではあるが、私の話し合い方は組織人にとっては役に立たないだろう。
なぜなら日本の組織の話し合いは権力者の既定路線に民意を持たせるものであるからだ。
それでも個人で交流していく上での話し合いは避けて通れない。
その時に味方の増える話し合いのマナーを知っていこう。

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