徳というお話
以前、無料占いでおひねりをしてもらった方がいいよというツイートをしたときに、「陰徳を積むために無料でやりなさい」というリアクションをもらった。
ここではっきりというのであれば、Twitterで徳は積めない。
少なくとも、陰徳は積めない。
その理由は表に出ていることだからだ。
陰徳というものは、人に見えるところでは積めない。
妙な言い方になるが、外に見えてしまった時点で陰徳にならないのだ。
無料占いの多くの理由は、宣伝と修行になる。
物を受け取った時点で徳は積めないのだ。
誤解を恐れず言うなら、徳を積むという行為は自ら損をするということだ。
例えば、寄付という行為がある。
寄付は明確な「損」だ。
本来、寄付という行為は使うことのないお金を自らの意思で渡すことだ。
そもそもの話、徳を積むために何かをするという行為が既に徳を積める行為ではなくなる。
徳とは、見返りを求めずに、徳すらも求めずに相手に差し出すときに積めるものだ。
占い師で徳を積める行為は占いに無い。
商売道具を使った時点で必然、宣伝が発生してしまうからだ。
もし本当に徳を積みたい場合、本業とは切り離したところで積む必要がある。
それこそ、地域のボランティア、匿名の寄付が陰徳にあたる。
ところで、ここから話は変わっていくのだが、人間は徳を積む必要があるのだろうか?
そもそも、徳とはなんのために積むのか?
自分がいい暮らしをするためではなかろうか?
徳という概念は結局は自分に返ってくるという考えのもとにあるので、徳を積もうと考える行為自体が、不徳なのだ。
そんなことより、人に親切にしようと思えばいい。
自分がやられて嬉しいことをやればいい。
自分がやられて嫌なことをやらなければいい。
たったそれだけで、徳は溜まっていく。
求めよ、さすれば与えられん。
実は、これには続きがある。
求めよ、そして手放せ。さすれば与えられん。
あなたが欲しいものが手に入りますように。
ざくろ
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長峰永地の哲学note
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