パクリの妙技
皆さんは「パクリ」と聞くとどんな印象を持つだろうか。
「劣化品」や「本物では無い」そのようなイメージでは無いだろうか?
たしかに多くのパクリは劣化品であり、つまらない。
しかし、本当のパクリは見ている観点が違う。
学ぶ=真似るなのだ。
本質的には学ぶこともパクることも一緒なのだ。
それなのに、なぜパクリと学びにこんなにも大きな隔たりがあるのか。
そのことを書いていこうと思う。
実際の問題として、パクリのなにが問題なのか。
それはやり方だけ真似る2番煎じでしか無いからだ。
記憶に新しいパイオニアとしては100日後に死ぬワニがある。
これをパクるのは簡単だ。100後に死ぬトカゲとか、ウーパールーパーにすれば良い。
そして、テキトーな日常を描いて最後に事故に遭えば良い。
うん、わかりやすいかな、このパクリ。
そして聞きたいのだが、これ、読みたいのかということである。
ぶっちゃけ私は読みたく無い。
たとえ、いつもうぱるぱの絵を描いているルナの漫画であっても読まない。
それくらいにパクリはつまらない。
その理由は上っ面のやり方しか真似ていないからだ。
実はあの100日後に死ぬワニとの類似品は「古畑任三郎」になる。(まぁ、あれは刑事コロンボの三谷幸喜流なのだが)
あのワニの本質は「オチを最初に明かしてそのモヤモヤの解消を見ている人に楽しんでもらう」というエンターテイメントだ。
つまりワニを真似るなら死ぬことや、100後と言った枝葉ではなく「先に結末を明かす」エンターテイメントを真似る必要がある。
例はないよ?思いつくなら俺が描いているわw
こうして、なにかを真似るためにはその本質を掴む眼が必要になるのだが、かと言って本質さえ真似れば本物かと言ってもそんなことはない。
そこに必要なのはそこに至る経緯。
そしてパクっても元祖へのリスペクトが必須になる。
まぁ、ぶっちゃけ私のTwitter企画はある武術家のパクリです。
あの方は武術的観点から人間を見つめている方なので、企画を通してその人となりを観察した結果、見抜いている。
私のやり方は少々違う。私の場合「演劇的観点」から人を見ている。
「こういう行動を取る人間は、こういう思考をしているように見える」ただそれを見て、相手の力を入れていることを見ている。
どちらが優れているではなく、自分のやり方に落とし込んだ結果こうなった。
この優劣は、その世界にどれだけ敬意を払っているかによるものなので、世界の結果でしかない。
なぜ「プロフ相術」と名乗ったのかは簡単で、ほかの人に言われたこと。そして名乗っておけばパイオニアだからだ。
そして使い方を占いの場に限定することで、元祖へのリスペクトとしている。
しかし、私のオリジナルではないものに値札を貼るのにも理由がある。
私が値札を貼っているのは「解析」に対してだ。
その武術家の企画から、なんの説明も受けていない。
私が参加した上で、どのような作用があって、どんな理由を持って広まり、フォロワーが増えるのか。
そこまで自分に落とし込んで公開することに値札を貼り、その目が有るからプロフ相術なんて仰々しい看板を背負った。
別段、ちゃんとした占い師ならプロフィールを見て、その人となりを観ることなんて簡単と思っているので、真似しようと思えば簡単に真似できると思う。
どうぞ自分の武器に落とし込んでもらいたい。
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長峰永地の哲学note
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