自分の思考、他人の眼
何かを表現するときというのは、その人が伝えたいことがあるから人に見せる。
人から強制されて、何かをわざわざ表に出す人はいない。
きっかけは頼まれたからかも知れないが、結果として自分が表現したいからになる。嫌なら、やめればいいからだ。
その上で、表現というのが、受け手がいて初めて成立するもの。
そこに、伝えたいものと受け手の感情が対立する時がある。
占いなんてやっていると、残念なことに受け手の「認めたくない」という感情で正しく読み解いても受け取ってもらえないこともある。
その責任は伝える側にある。そのことはベースにして言いたい。
揚げ足を取るために生きている人間は存在する。
人間が、物事の行為ではなく、行なっている人間の人格で評価を下す生き物である以上仕方がない。
昨日、歴史のあるお菓子、「わさビーフ」のパッケージキャラクターと商品の味を西野亮廣氏のオンラインサロン生で変更になったという発表に対して多くのアンチコメントがついた。
それ、西野嫌いなだけじゃね?
内容としては、製菓会社から正式に依頼を受けて、西野氏のサロン生が商品開発に関わったもの。
キャラクターの見た目が悪いというが、それは正直好みの話。
嫌なら買わなければいいだけ。
今までの味、キャラクターが好きだったと言っても、他の商品でキャラクターや、味を変えていることはいくらでもある。
要するに西野氏が嫌いだからアンチなのだ。
今回の記事において、アンチのためのアンチは私の説明の中にいない前提で書いているので、その存在は忘れてほしい。
その上で何かを表現する上で知っておいてほしいのは
表現者は、受け手に表現者の常識を押し付けてはいけないということだ。
表現者は受け手がないと表現していることにもならない。
占い師もひとつの表現者だろう。
あなたも表現者としてのランクアップのためにぜひ、この記事を読んでもらいたい。
ざくろ
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