虚像とキャラクター

吾輩はヒトである。

名前はざくろである。

そして、通称としてはうぱさんである。

こんな夏目漱石のような書き出しをしたが、本当のことは、私が人間ということだけで、それ以外はウソということになる。

本名はざくろではないし、もちろんウーパールーパーではない。

そのことは、皆様知っていると思うが、それがキャラクターとして受け入れられている。

状況としては、皆にウソを吐いているのだが、そのことで非難されることはない。

しかしながら、世の中には冗談のつもり、つまりウソのつもりで人格を作り上げて非難される人もいる。

その違いは何なのだろうか?

今回の記事は、考察に近い面が強くなるため、結論はない。

何が虚像として非難され、何がキャラクターとして受け入れてもらえるのか。明確な違いが見えない。

今回はその上でお付き合いいただきたい。

ざくろ

インターネットでは何ひとつわからない。

インターネット上のことは、何ひとつ信用における要素がないことは、皆様ご存知のはずだ。

年齢・性別・名前といった、人間が実際に生きていく上で必要な情報は何ひとつ本当の事を言う必要がない。

写真はおろか、今は音声変換アプリで声の性別を入れ替える事もできる。

両声類というカテゴリの人間は、男女どちらの声も出るという。

この記事を書いている人間が、本当にざくろなのかも真実ではない。

noteのパスワードを他人に教えて、別の人間に書いてもらうことは理論上可能だ。

その上で、インテーネットは根拠のない信頼の積み重ねでしか、関係性を保てない。

仮に、実際に会ったことがあっても、その情報が本当のことなのか、意図的に調べなければ、バレることはないだろう。

性別を偽っていた場合においても、代役を立てることもできる。

疑おうと思えばいくらでも疑えるのが、インターネットと思って記事を読み進めてほしい。

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