認められたいという気持ち
アドラー心理学が有名になった時さまざまな誤解が生まれたと感じている。
その火付け役、嫌われる勇気という言葉もそのひとつで、あの言葉は嫌われても気にするなではなく、お互いを尊重しあった結果嫌われることもある、そのことを恐れないでという意味だ。
タイトルだけで発生した弊害ではあるが、その中をきちんと読んでいる人にも弊害が発生している。
それは「承認欲求の否定」だ。
人から認められることを人生の主軸においてしまうと、他人の人生を歩む必要がある。
人は承認を求めて生きてはいけない。
その旨をそのまま理解してしまうと大抵の人は詰む。
なぜなら社会というものは承認で回っているからだ。
地球を侵略してくる外敵を攻撃するために合体するロボットにも承認が必要なのは知っているだろうか?
そんな危機せまる状況で承認が必要なのだから、普通に生きていて何かに認められず行動など取れるわけがない。
今の例え話はたしかにアニメの仲のお話かもしれないが、実際の社会はどうだろうか?
働くこと、学ぶことに承認が必要なことが多いのではないか。
この事実と承認欲求、なにが違うのだろうか。
今回の記事は、認めてもらうことに振り回されているあなたに向けたメッセージだ。
この記事を読んで、本当の意味での承認欲求を満たしてほしい。
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