泥沼に咲く花

置かれた場所で咲く必要はない

今の世の中多様性が持てはやされて、努力では無く自分のできることをできるだけ行なっていく風潮がある。

私自身も非常に効率よく物事を進めたい人間だ。
そのために無駄な努力は絶対にしたくないし、不合理な苦労など死んでも抱え込みたくない。
人の尻拭いなどまっぴらである。

だが、生きているとどうしても積まなければならない経験というものもある。

それは繰り返しでしか身に付けられないこと。
華々しい経歴を持っている人間は必ず目に触れさせることのできない努力を積んでいるのだ。

私が力を入れている声。
このコンテンツは間違いなく自分自身で努力すればどこまでも伸びるし上達していく。

私は5年ほど前にはバンプオブチキンの「天体観測」が歌えなかった。
その理由は音が高すぎてである。
だが今は女性キーが出るところまで音域を伸ばすことができた。
傍から見たらとても努力しているように見えただろう。

しかし自分の感覚で言うのであれば、自分がやりたいことのためにひたすら研究したに過ぎない。
今回例に挙げた音域に関しては趣味である。

だが考えてほしいのだ。

お金をいただいている仕事で趣味以上の成果を上げるためには、地味な努力が必須ではないか。

今回お勧めするのは適切な努力。
しなくていい苦労を見極めることをしていけばどんな場所でも強く生きていけるということだ。

人間はこの地球上で一番頭の良い動物と言われている。
事実自然界において人間は身体能力最弱だ。
それならば、最大の長所を使って生きていこうじゃないか。

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