良言、耳に痛し

人からもらう忠告というものは耳当たりのいい言葉ばかりではない。

むしろ、厳しい意見の方がその人のためを思っている可能性が高い。

人という生き物は人から嫌われたくない生き物だ。

ある程度の折り合い、角が立たない言葉を選ぶ。

その上で、だ。

自分が嫌われることも厭わずに言葉を授けてくれる人のなんとありがたいことか。

その人は、先輩かもしれないし、後輩かもしれない。

私の場合、この世界の住人でない可能性すらある。

どこまで、人の言葉に耳を傾けられるのか。

それが人生をうまく進んでいくコツなのだが、それもなかなか難しい。

私が占いを受けるときに考えているのは、その意見をどれだけ活かしていけるか、だと思っている。

占いというものは、自分の望む結果が現れるとは限らないからだ。

私が失恋した時、結果として復縁することができなかった。

だがそれでよかったのだ。

自分に対して向き合って、その上で新しく歩き出すために占いを使った。そのことが大切なのだ。

占いを使う人にお願いしたいのは、自分がどんな人生を歩んでいきたいのか、明確にして欲しいのだ。

あくまで占い師にとって、相談者の願いを叶えるためにどうすればいいのか悩むことはできても、あなたの可能性を引き出すことはできない。

なぜなら、あなたが仮に占い師の才能があってもやりたいことが違えばそれは「向いていない」ことなのだ。

あなたがやりたいことはなんだろうか?

そのことを、一度考えてみるといいのかもしれない。

ざくろ

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