嫌われない努力

この記事は「嫌われる勇気」のパロディです。

温かい目でお読み頂ければ幸いです。


新興都市の中心で「世界はどこまでも複雑で、それ故に誰も幸せになれない」と謳う愚人がいました。

その考えに異を唱えた青年が、考えを改めて貰おうと訪れた時のお話です

青年「では、あらためて質問します。世界はどこまでも複雑である。というのがあなたの持論なんですね?」

愚人「当たり前だろう。この世界はどこまでも複雑で、人生なんて想像したくもない」

青年「思い込みではなく、本心からそう思っているのですか」

愚人「何度も言わせるな」

青年「あなたの考えをまとめます。世界はどこまでも複雑で、それが理由で誰も幸せになれ…」

愚人「クドクドとうるさいな。そうだと言っている。さっさと帰ってくれないか。頭痛がする」

青年「いいえ、僕は帰りません。あなたの考えの真意を聞くまでは」

愚人「あんたもしつこいな。それに人の家に訪ねてきているのに手土産もないのか。人を訪ねるなら茶菓子の1つでも持ってこれないのか」

青年「お土産をお持ちすれば、お話を聞かせてもらえるのですか?」

愚人「まぁ、考えてやらんでもない」

青年「わかりました。今から買いに行ってきます」

青年は苦笑いを浮かべながら「これは骨が折れるな」と思いながら愚人の家を後にする。この街1番の高級店なら文句も言うまい。スマートフォンを操作して近所の菓子店を検索始めるのだった。

嫌われない努力

青年はその街1番の高級店千◯屋のフルーツタルトと、そのタルトに合う紅茶の茶葉を購入して愚人の家に戻る。

愚人「○疋屋とは張ったもんだ。そんなにワシの話を聞きたいのか」

青年「ええ、一緒に飲む紅茶を入れたいのでお湯を沸かしてもいいですか?」

愚人「このタルトを食べるまでの間だけ話を聞いてやる」

そう言うをしかめっ面のまま、青年を招く。「今の時期ならイチゴだろ」と悪態を吐くことも忘れてはいない。

青年「ありがとうございます。それではお伺いします。人間はなぜ幸福になれないのですか?」

愚人「そんなこと分かり切っている。今こうして、あんたが訪ねてきていることをはじめ、自分でコントロールできないことばかりじゃないか」

青年「あなたが土産を持ってくれば、お話ししてくれるとおっしゃったので」

愚人「そういえば大抵の人間は戻って来ないからだ。程のいい追い払いだと言うことがわからないのか」

青年「すみません、そうは考えませんでした」

愚人「本当は追い返してもいいのだが、紅茶の入れ方なんかわからん。本当なら今すぐ帰ってもらいたいね。ああ、不幸だよ」

青年「しかしあなたがおっしゃった手土産は持参しました。これは人は願いが叶う。ひいては幸せになれる証明ではないですか?」

愚人「さっきの話をもう忘れたのか?ワシの望みはお前にもう来て欲しくなかったのだ。それなのにわざわざ戻ってくるなんて。不幸以外の何者でもないだろう」

青年「それならば素直に話したくない。2度と来るなと言えばいいではないですか」

愚人「なんでそんな直接的に言わないといけないんだ。ワシの言っていることを察して行動することも出来ないのか」

青年「申し訳ございません」

愚人「言わなくてもワシの望みを叶えてくれる人がいないことこそ、人間は不幸ない証明ではないか」

青年「しかし、先ほど言った通り自分が口から出した手土産という物は簡単に手に入りました。これこそ人間の望みは叶うことの証明ではないでしょうか」

愚人「くどい。ワシの望みはお前が2度と来ないこと、それが叶っていないじゃないか。自分の本当の望みが叶わない不幸を無視するな」

そういうと愚人は机を叩く。ちょうどその時に台所から湯の沸く笛が鳴る。青年は愚人の許可を取ると台所へと席を外すのだった。


タルトと紅茶をつつきながら愚人と青年は言葉を交わし始める。美味しいタルトを挟んで交わされる消化の悪い会話を止めるものは誰もいない。

愚人「こうしてお前の顔を見ながら食べる不幸も耐えがたい」

青年「先ほどから不幸とおっしゃいますが、そんなに自分のことがお嫌いでしょうか」

愚人「訳の分からないことを。自分のことは好きに決まっているだろう。それにも関わらず誰も敬意を払わないから不幸だというのではないか」

青年「敬意を払われない?具体的に聞きましょう」

愚人「鈍いな。例えば今ワシが困っていたのは紅茶の入れ方だ。つまりお前が紅茶を入れた時点でワシの問題は解決している。しかし、お前はここに居座り手土産として持ってきたものを自分で食べている。これは敬意を払った行動かね?」

青年「僕の目的はあなたの話を聞くことですから」

愚人「ワシは話したくもない。それなのに無理やり話をさせられているのは敬意を払われていないし、不幸じゃないか」

青年「確かに、お互いの望みがぶつかった時にはどちらかが妥協するしかありませんね」

愚人「妥協!なぜワシが妥協しなければならないのだ。自分のテリトリーに入ってくる人間を追い出してなぜ悪いのだ」

青年「そういう割に、今僕を追い出そうとしませんね」

愚人「今すぐ追い出したいところだが、そんなことしたら嫌われてしまうではないか」

青年「あなたは嫌われたくないのですか」

愚人「おかしなことをいうな。嫌われたい人間なんていないだろう。ある程度のことは我慢して、辛抱しなければならない。そんなことをしていることも不幸でしかないのだが」

青年「我慢なんかせずに自分の好きなことをすればいいのに」

愚人「好きなことなんかしていたらすぐに嫌われてしまう。周囲の人間に嫌われてみろ。何も出来ないではないか。炊事洗濯は誰がしてくれる?そんなことをするくらいなら我慢する道を選ぶ」

青年「自分でできることを自分でやろうとは思わないのですか?」

愚人「自分ではできないから人にやってもらうのではないか」

青年はなるほどと心の内で思った。すでに紅茶は冷めている。それとは反比例する様に愚人の弁は熱を帯びていく。

愚人「いいか。自分でできないことを要領良く人にやって貰うためにはある程度の我慢が必要なのだ。自分で面倒なことをするくらいなら一時頭を下げてひとにやってもらった方がいい。そんなこともわからないのか」

青年「そんな生き方をしていたら、自分の世界ではなく、人に依存する世界になりませんか?」

愚人「自分の世界なんてどこにある?こうして自分一人で生きていてもお前みたいに人が次々に訪れる。自分だけの世界なんて存在しないのだから、うまく人を利用することを考えた方が賢いではないか」

青年「そんな行動をしていてはいつか嫌われてしまいますよ?」

愚人「そんなことはない。嫌われないためにこうしてお前にタルトも振る舞っている。嫌われない努力をしているワシが嫌われるわけがない」

青年「このタルトは僕が買ってきたものですが」

愚人「しかしワシにくれたものだろう?つまりワシのものだ。ワシのものだというのに、お前に食べさせてやっている。これを振る舞うと言わずなんだというのだ?」

青年「話を戻しますが、ご自身で自分のことを行う気はないのでしょうか」

愚人「この年になった人間に新しくものを覚えろと?そんなことは拷問だ。今までワシは世界に尽くしてきた。それならワシが世界から尽くされるのも当然だろう」

青年「世界に尽くした?例えば?」

愚人「労働だ。上司や客に頭を下げながら我慢してきた。安い給料でこき使われてきた。それが尽くしたと言わずになんだというのだ?」

青年「そのかわりに対価をいただいて来たはずですが」

愚人「全く足らん。しかし、それも我慢してきたのだ。今はワシのためにみんなが我慢するべきなのだ」

ここまで語ると愚人はティーカップに入った冷めた紅茶を飲み下し、空のカップを青年に差し出す。お代わりのようだ。青年はここが佳境と思いながら熱々の紅茶を注ぎに行った。


青年「お話はわかりました。あなたは自分に対して敬意を払われていないことに憤慨し、今まで我慢を重ねてきたのだから周囲も我慢すべきと思い、その上で自分は変わるつもりもない。そうした結果、人間は不幸とおっしゃっているのですね」

愚人「そのとおりだ。少しは物分かりが良くなったじゃないか」

青年「ここでわからないのは、あなたがどこを向いて生きているのか、ということです。そうして不満を並べてもいい結果は訪れませんよ」

愚人「どこを向いているのかだって。そんなもの美しい思い出に決まっているだろう」

青年「思い出?」

愚人「そうだ。さまざまな我慢も、苦労も振り返ってみると素晴らしい思い出だ。そんな思い出は苦労したからこそ思い出せる。ワシが行なっているのは、素晴らしい経験を後世に引き継ぐ大切な伝統なのだ」

青年「その受けた苦労を次の世代には受けさせないように改善するつもりはないのですか」

愚人「それでは不公平ではないか。時代はどんどん楽な方向に進んでいる。それなのに若者は楽をしようと甘えてくる。ワシが受けた苦労なども知らずにな」

青年「具体的には」

愚人「今スマートフォン一台で仕事ができると聞く。そんなものは仕事ではない。額に汗して、満員電車にもまれながら苦労して貰うからお金は尊いのだ。楽して稼ぐなんて甘えでしかない」

青年「それは表面的な問題では」

愚人「そんなことはない。人間はかわっちゃいけないのだ。昔からの伝統を無視しているから、今の世の中は崩壊しているのだ」

青年「人は変わりませんか」

愚人「あぁ」

青年「何があっても?」

愚人「絶対に」

青年「…わかりました。それではお暇いたします」

愚人「ちょっと待ちなさい。…次はいつ来るのかな」

青年「1週間後に来ます」

そういうと愚人は寂しそうな顔を浮かべながら青年を見送る。


青年が愚人のもとから離れると電話を取り出す。コール3回、すぐに相手は出た。

青年「もしもし、お父様にお会いしてきました」

『あぁ、よかった。どうでした?父の様子は』

青年「お話の通りの方でした」

『やっぱり…。施設に入れて正解でした。今後ともよろしくお願いします。年に1回は顔を出しますので』

それだけ言うと一方的に電話が切れてしまう。

青年「嫌われない努力、か。1番嫌われちゃいけない人に嫌われて、なんの意味があるのかな」

青年は独り言を呟きながら足早に歩き出す。今日の訪問はあと3件。とけいを見ながら、時間どおりにいくのかな、とため息を漏らすのだった。

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