神に願い事をしてはいけない理由
今年というか、来年というか初詣に行く人がいると思う。
その時に様々なルールがあるのだが、多くの人はそのことを知らずに初詣に向かっている。
1番考えて欲しいのは、こちらのルールと神様の領域のルールが違うということなのだ。今回の記事は初詣に限らずに神社にお参りするときに知っておいてほしい、かつあまり有名でないことを書いていこう。
1番最初に知っておいて欲しいのは、神様と直接交流できることが稀ということだ。
あなた方が参拝したときに神様に言葉を届けるのは眷属という神に仕える者たちということを知っておいてほしい。
有名な眷属は、龍や稲荷などがいるだろう。
彼らは、基本的にこちらのルールで動いておらず、自分が神の眷属としての徳を積むために人の手助けをしている。
ちなみに守護というのも眷属として徳を積むためではあるが、特にこの人を成長させることで徳を積みなさいと割り振られたものをいう。
そして、守護はその本人が選んで守護しているのだ。
実は、人というのはあまり上等な魂ではないので、人間が守護として付くことは稀である。
守護霊というものはあくまでも無くなった人間が好き好んでその人についている状態なので、眷属ではない。
眷属は主に動物が神格化したものとされる。
人間を経験していない眷属もいる。
そういった理由から人のルールを知らない眷属もいるのだ。
今回のタイトル「神に願い事をしてはいけない」というのは、願いを聞き遂げるのが眷属の可能性があるからなのだ。
「願いを聞く」というのは、いわば契約を結ぶということになる。
契約であるなら、対価が必要になる。
この時に恐ろしいのは対価を払い忘れる人がいること。
そして、眷属はしれっと大切なものを対価で持っていく可能性があるのだ。
それは、懲らしめてやろうとかではなく、感覚の違いだ。
日本人にとって水を飲んでも大したことないだろうが、アフリカで井戸まで50キロ以上歩く人間にとって水を気軽に飲まれたら発狂ものだろう。
同じ人間の間でもこれだけの価値観の差があるのだ。
まして人間界にいたことのない眷属の場合、
しれっと命を持っていくことがある。
そのため、神様(眷属)と契約を結ぶことはしないほうがいいのだ。
ではなぜ初詣に行くのか。
それは、挨拶だ。
自分たちも、同じ立場になったらわかるだろう。
正月にしか顔を出さずにお年玉をせびって帰っていく親戚と仲良くできるだろうか?
今行われている初詣は、ほとんどがそう行なっている人が多い。
初詣は旧年での報告と、本年も見守っていただく挨拶だけでいい。
その時に「名前」「住所」「干支」をいうと良い。
これだけでどこの誰かが神様に伝わる。
参拝で行うのは、本来これだけでいい。
神様のことをもっと知ることで人生は生きやすくなる。
是非、あなた自身の手で調べてみるのもいいだろう。
ざくろ
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長峰永地の哲学note
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