言語化を求める声
発言が無ければ生きるにあらず
本日ふと気になるトピックを見た。
「最近は自分の気持ちを言語化することを求める人が増えた」
要約するとこのような話だった。
ニュアンスとしては聞く力を求める声よりも、自分のことを発信する能力を求める流れを悲観しているような印象を受けたが、自分の意見を言語化したい気持ちは必ずしも発信に繋がらない。
自分の悩みすらわからない
他人の悩みを聞いていてなんかもやもやするということを聞くこともある。
自分の感情や考えを言葉に置き換えることができないのだ。
自分の感情の正体がわからないことで更なるフラストレーションを産んで、悩みを深刻化させていく。
自分を理解するためにも言語化能力は必要になるのだ。
言語化能力というものはその人の中で完結するものと、他人に説明しなければならない能力ふたつの種類がある。
実際に自分の気持ちを理解するために必要な能力というのは意外と簡単に手に入る。
それは自分の趣味に触れて、感性を養い言語化する必要がない状態にすることである。
自分の感情はこの人と同じと理解すればフラストレーションが増加することはない。
問題は他人に説明する力を言語化能力と思っていることにある。
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