魚を釣る人、あげる人

ビジネスの教えで魚をあげるより、釣り方を教えなさいという言葉を聞くことがある。

どういうことかというと、自分が釣った魚を直接あげていたらいつまで経ってもその人が魚を釣る方法を覚えない。

つまり誰かに頼らなければ生きていくことができなくなるので自分で魚を釣る方法…つまりご飯を得る方法を教えてあげる方が本当にその人のためになる優しい方法だという意見である。

この意見は非常に正しいものとして私は認識しているが、その上でこの言葉を否定せざる得ないことがある。

今、お腹が減っていて魚をとることができない人がいるからだ。

今その人に魚の釣り方を教えたとしよう。

しかし、その方法を実践するだけの体力がなかったら?釣竿も餌も持っていなかったら?

確かに人に依存せず生きていくために自分で魚をとる方法を知っておく、教わっておくことは重要だと思う。

ただ、竿を振るにも体力がいるよね。

その体力がない人に「自分で生きていくために魚を取る方法を教えてあげるよ」と言われたところでこう思うだろう。

うるせぇ、まず魚をよこせ。って。

なぜこんなことを思うかというと私が実際にやられたからだ。

そのときに感じたことは、その釣り上げた魚をピンハネする気しかないのによく言うよ、である。

つまり、いくら方法が優れていてもその行動に移せるだけの地力がなければ、むしろ邪魔だということだ。

その人に報酬を渡さずに、魚の釣り方だけしか教えない人は詐欺師に近い。

ぜひ心に置き止めておいてほしい。

ここから先は

0字

長峰永地の哲学note

¥1,280 / 月 初月無料

毎日更新しているnote 人とはどのように生きるのかを一緒に考えて参りましょう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?