普通から外れたがる人たちへ
昨日のこと、ふと頭をよぎったことがある。
どうして人間は普通を嫌がるのだろうと。
例えば、くじ引き。
あれ100枚有ったら当たりが1枚だとしたら1%。
つまり99枚を外れとした場合、普通はハズレになる。確かにそれならばレアな普通じゃないもの、当たりを求めることはわかる。
だが、世の中の99枚…くじ引きで言ったら外れなことが、本当にハズレなのか?
私は最近ツイートで水瓶座のアピールとよくしているが、水瓶座の根底にある願望をクソデカ主語でお伝えすると
普通に生まれたかった、である。
これはこのツイートで書いた。
これって不親切から来ているのではない。
どれだけ伝わるように説明しても、伝わらなかった経験があるからだ。
これは、特に水瓶座の人に共感いただける感覚だろう。
頭の良し悪しでも、常識のズレでもなく、ただ伝わらない。
これに関しては、説明がし辛い。誤解を恐れずに言うのなら
見ている高さが違う。
これは水瓶が優れているわけではない。
高身長の人が人として優れている訳でないことと同じで、単純に視点が上から見ていると言うだけなのだ。
占いを勉強するまで、この感覚は当たり前に皆が持ち合わせていると思っていた。しかし、そうではないらしい。
そんなに考えて生きている人間はいない。
人生において、不特定多数の人間に言われ続けた言葉だ。
そのことを踏まえて思うのは、普通でいることの贅沢さ、なのだ。
普通って実は難しい。
何を持って普通か、誰にもわからないからだ。
私は普通を圧倒的過半数だと思っている。
過半数ではない。
圧倒的過半数だ。
これは、例えば51対49でも過半数が決してしまうためである。
そう言う意味において過半数、普通はつまらないと思うだろうか?
残念ながら普通でないことは、生き辛いのだ。
右利きが過半数を占める人類が左利きに優しくない社会を構成しているように。
左利きは、目に見えるからまだいい。
思考の高さなんて、誰か判断してくれると言うのか。
もし、この記事を読んでいる人が普通に飽き飽きしているのなら、ぜひその普通を楽しんでほしい。
普通を欲してたまらない人がいることを知ってほしい。
今の世の中の普通は、はみ出しものが生きづらさを抱えながら支えているのだから。
ざくろ
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長峰永地の哲学note
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