コンピューターおばあちゃん

 

先日祖母が亡くなった。私が生まれて初めて読んだ漫画はドラえもんなのだが、てんとう虫コミックスの1巻を「これがいま流行っているみたいだから」と買ってきてくれた祖母だ。

祖母は大変な新しもの好きで、いつ遊びにいっても最新の家電が置いてあった。
機械操作も得意な人だったので、90過ぎてもパソコンを使いこないしていた。私が自宅のパソコン当てのメールアドレスに写真を送ると自分で印刷しては「ちょっと黄色が強いわねえ」というような事を言っていた。

私は生まれつき機械の操作が得意なのはこの祖母からの遺伝のようだ。機械の操作のコツは2つある。一つ目は何のための機械かよく想像するということ。2つ目は設計者ならどこにどんなボタンを配置するか想像するということだ。

例えばラジカセ、ホームベーカリーにデジタル表示の時計がついていたとする。この時「時計も付いている」とは考えない。これは「この機械、時刻によって管理できますよ」という設計者からの意思表示だ。次に時計にこの機械があれば何ができるか想像する。「朝の目覚まし機能は最低でもあるな。」「では設計者ならどこで設定できるようにするか?」といった具合に対話が始まるのである。
おそらく機械が苦手という人はこの対話に面白さが見出せないのではないか思う。

そんな祖母も最晩年には「最近は新しいことが覚えられない」と愚痴っていた。iPadやiPhoneを羨ましそうに「それ動画が撮れて良さそうねえ」と語りながら同時に祖母が6歳の時にすれ違った少女についての記憶についても語ってくれたりした。先日94歳で亡くなったので、約90年前の話である。西暦で言えば1927年ごろの話だ。むしろそれだけの記憶を蓄積していながら新しいことをさらに蓄積できる脳の仕組みに感心してしまう。

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