球子は小学校美術教師のスター

片岡球子は以前から苦手意識があったのだが、知人の勧めもあり、竹芝の東京近代美術館に見に行くことにした。結論から言う。展示はすごく良かった。とくに「《幻想》 1961」は素晴らしかった。

しかし彼女の絵をたくさん見ているとなんとも、、こう、、、ぬぐいきれないある思いが、、、、なんというか非常に安っぽい言い方で書きづらいのだが、、、全体的に「○○年度卒業生作品」を連想する。小学校や中学校で見た、、、何年も前の卒業生が描いたカラフルで「こどもらしい」卒業制作のような。

私は自分の小学校の美術を担当していた意地悪な女教師を思い出した。「人間の肌って本当に「はだいろ」かな?よく見てごらん」などといって、顔にカラフルな色を塗ってあるへたくそな友人の作品を素晴らしいと褒める。私は絵が好きだったが自分は下手なのだと思いこんでいた。

そんなことがあり以前から私は子供の絵が面白いという大人の目線と小学校中学校で教える「技術」としての絵の描き方は切り分けるべきだと思っている。大人の目でみて「こどもらしく」面白い絵より、その子が技術的に何を獲得したかを評価するべきだ。結果としての絵そのものの良さで判断してしまうとその教師の好みを披露しているだけに過ぎない。小学校の先生にもいい先生はいるだろうが、率直にいって当たり外れはあるだろう。もっと数学や理科のように厳密で公平な点数で採点されるべきだ。「画面全体を使っている5点」「影のつけ方を理解している10点」といったように。

片岡球子は昭和30年まで30年間横浜市の小学校の教師をしていたという事を今回初めて知った。「そういう事か!!!」と手を打った。「片岡球子のような人が小学校の教師になるんだな」という話とはちょっと違う。「あの頃小学校の美術教師にとって片岡球子はスターだったんだ!」という事である。美大は出てみたけれど、画家として食べていくことはできず、小学校の教師を続ける私、、そういう人にとって、50代になってから評価され定年後に大家になった片岡球子のようになりたいという気持ちになるのは想像に難くない。だから日本の小学校・中学校の卒業生作品はみんな片岡球子のエピゴーネンだったんだ!私だってサラリーマン漫画家だからよくわかる。しりあがり寿やわたせせいぞうになりたい。

これは片岡球子の作品に対しての批判ではない。そこいらの小学生と彼女の作品が全然違うのは明白だ。彼女がどうやって小学生に教えていたかもわからないし、私は彼女の絵の自然の描き方や、服のパターンの描きこみ等本当に素晴らしいと思った。何より絵がでかいっていうのはいつの時代も素晴らしいことだ。でも、たくさん並べてあると、どうしてもあの意地悪な美術教師を思い浮かべてしまうのである。

ここからは余談だが、東京近代美術館の常設展、素晴らしい。案内表示やキャプションがわかりやすくて面白い。しかもキャプションは常設しっぱなしではなく、企画展に合わせていちいち各コーナーの文章を変えているようだ。(半分くらいは企画展との関連について説明してある)

それから、いつか日本画をちゃんと勉強したいと思った。もちろん日本画の見方ではなく、描き方の方だ。


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