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私は私に翻弄される、と認めるのだ

◎写真は山梨・大月ピラミッドセンターにて


私は日により浮き沈みが激しい



今日はめっちゃ作品作れた

今日はぜんぜん作れない


午前中早起きして
たくさん作品を作れたとしても

午後にごろごろしてだめ人間な自分


と思う時もあれば




昼過ぎに起きて
漫画読んで
コンビニ飯食べて

100均行って必要なもの買っただけで
本日の任務完了と

なんてすばらしい日だろう


と思う時もある



なんならも朝起きた瞬間から
超思考の迷路に迷い始めることだってあるのだ


(まあ今は諸々の対策のおかげで
昔のようにドツボ化することはないが)



それでも朝からテンションだだ下がりで
布団から何時間も出られないことだって
ざらにある






私は私に翻弄される






しかして


「そんな私」も


「どんな私」も




「私」なのよ




そしてそんな私はただ私なの






本当の自分なんて探しに行ったって
何処にもいないよ





だって


「そんな私」も「どんな私」も「私」だもの




今の自分はダメだから
認めてあげない


なんてかわいそうじゃないか





私は私だよ



どんな私だろうが





それを認めてあげない限り

永遠に本当の自分探しをし続ける




頭で分かっていても
口で出る言葉が違うことなんて
ざらにあるよ



やりたい、のにやりたいくないと言っちゃう


とか


怒りに狂って醜い言葉を言い続ける状態の私は私じゃない


とか




やりたい、のにやりたくないって言っちゃう

素直じゃない私も


怒りに狂って
醜い言葉を言い続ける私も




「私」だよ




この地球上に肉体持って生まれた「私」だよ



その声を
認めて受け入ることができるのは
「私」しかいないよ




だってさ


本当はかまってくれなくて悲しいだけなのに
本音を言いたくないから
相手へ怒る


愛してるのに
嫌いって言っちゃう



頭で
そうじゃないって
分かってるのに
できない




「素直に自分の想いを伝えない」から
苦しむんだ



そして

伝える以前に、
「自分の奥底の想いが分からないんだ」






でも気をつけたいのは

「怒りが出たらそれは悲しみだ」

それはよく聞くかもしれないが



怒った=悲しいが後ろにある

と頭で理解なんてしても

意味などない




だってそれは


頭の理解だ




それは
「愛してるのに嫌いって言っちゃうのと一緒」だ




自分の想いを

認めていない



受け入れていない




その怒りを感じ切ったなら


その先に


哀しみなのか

喜びなのか

分からないけど



「何か」が現れる



その「何か」が
その人にとっては「哀しみ」だっただけなのだ





それは


それぞれの体験だ




怒り=その先に悲しみがる


それは、誰かのただの言葉だ





怒りも



悲しみも


醜いと感じる感情


嫉妬も


何もかも




感じ切らなければ
その後にくる「何か」が何なのかなど分からない






それは感じ切るというのは
苦しいかもしれない


胸が張り裂けそうになるかもしれない






しかしその先に見るものは


頭で思考して見てきたものとは違う




驚くほどの世界が現れる






自分の醜いと感じるものを

自分じゃないと

目を背ける限り


ずっと「私」は「私」をごまかし続けるんだ






思考は手強い


簡単に分かったつもり、にしてしまうのだから






感情に呑まれるのではない



感情を感じ切るんだ







私は逃げないで生きていきたい



側から見たら滑稽に見えても




自分の皮を剥いて剥いて剥いて
向き続けたいと思うのだ


せっかくこの地球にこの肉体を持って生まれてきた存在なのだから




#自分を愛する
#本当の自分
#どんな自分もオールオッケー
#どんな自分も自分なのだ
#死んだらどうせ一つになるんだし
#ならこの地球でこの肉体とともに遊んでみたらいい

こちらのサポートは、創作活動につながるものへと循環させていただきます◎展示会や心震える創造に繫る素材や場づくりなど◎へと広げてゆけたらと思います