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<ミドル巨人くん:レジェンド語り⑥> 香田勲男

まずは

ClubHouseで巨人・高梨投手のチャットを聞きながら、文章を打っているんですよぅ。


1989年のレジェンド巨人選手特集の第六弾の今回は【香田勲男】さんです。

昨年の2020年、僕はPodcast番組【TigersCast2nd】のクイズ大会に、香田さんのクイズをメールして、番組オリジナルタオルをGetしました!!

配信回数は第368回・第369回です。ぜひ、チェケラー!です♪


せんねんさん、ともろーさんをはじめ、TigersCastの皆様。まことに、ありがとございました♪

▼総合メールアドレス

tigerscast2@gmail.com

ってなことで

香田勲男 1965年5月29日 長崎県出身のプロ野球選手・右投げ/右打ち 投手

長崎、佐世保工出身。1983年、2位指名・池山を、ドラフトで外した巨人がハズレ2位で指名した投手です。

プロ初登板は2年目、1985年6月9日中日戦@ナゴヤ球場

翌年、プロ初勝利。が同年、オフに右肩手術。1987年登録抹消で練習生扱いになります。

今で言う、育成契約です。

で、当時、近鉄からの移籍選手・ベテラン有田捕手曰く「素晴らしい投手・絶対に一軍で使い続けるべき」と高い評価をしました。

1989年、対近鉄との日本シリーズ。巨人3連敗後の4番手先発が香田選手でした。このゲームでは、決め球スローカーブが決まり、完封勝利で、徳俵に足を掛けた形で、踏みとどまり、「ロッテより弱い」発言もあったりで、こっから、4連勝して日本一になりました。

このゲームを香田さんが崩していたらば、逆転日本一はなかったでしょう。

この第四戦は肩の手術執刀医・ジョーブ博士と香田さんの婚約者が一緒に観戦したとのことです。

翌、1990年、規定投球回数到達、11勝を挙げ、セリーグ制覇に貢献しました。

ここがピークで徐々に成績は下降線をたどります。

「自分がローテの柱と並んだ!と勘違いしてしまったのが失敗だった。」と振り返っています。

近鉄時代

1995年から所属した近鉄。1997年には9勝を挙げる。

1999年にはリリーフとして、55試合に登板。抑え役なども務め、5勝8敗8Sを記録。最下位のチームの中でも、しっかり存在感を記した。

2001年近鉄優勝に貢献。同年11月22日に引退発表。

引退後

投手コーチを務めました。近鉄→巨人。2012年フジテレビONEプロ野球ニュースの解説を経て、韓国・斗山ベアーズ投手コーチ(当時の同チーム監督は、元近鉄・石山)→2014年阪神投手コーチ就任。

2021年からは再度、プロ野球ニュース解説者へ。

現役は16年と、手術を受けながらも長命の選手寿命であったといえると思います。


主な成績

【巨人】

1988年 先発11試合 93.2イニング 4勝3敗1S 2.59

1990年 130.1イニング 11勝5敗 2.90

1993年 100イニング 8勝7敗 3.51

【近鉄】

1997年 107.1イニング 9勝4敗 3.69

1999年 55試合登板 99.2イニング 5勝4敗8S 2.44

2001年8引退年 36試合 47.2 2勝3敗1S 3.97

36歳の引退でした。

現役時代、背番号は

巨人では48。近鉄では12。でしたですわ。

僕の印象

前歯がやや長く、「ゲームセンターあらし」の彼によく似てるなぁ・・・って思っていました。

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売りは、切れ味するどいストレートと、スローカーブのコンビネーション。

とても好きなピッチャーだったんです♪

いつか、また、巨人に帰っておいでませ♪











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