生まれ持った才能と努力の塊 禹智皓
-I'm Still Fly-
スポットライト一つなかったアンダーグラウンドで刀を研ぎながら IU "マシュマロ"の"フワフワ"を歌っていた、見た目を見るにも子供っぽく見えたこの少年が、韓国ヒップホップのメインストリームになるとは誰も知らなかっただろう。発売さえすれば音源チャート1位の座から降りることのない“6音源ヤクザ"。(ジコは、
IUを抑えて6チャート1位を記録したことがある) アイドルグループのメンバーという色眼鏡を堂々と破り、現世代に肩を並べるアーティストの中で一番売れている彼、大人気 <ZICO> に対するストーリーを解いてみようと思う。
↑当時の우지호
01. ウ・ジホがジコになるまで
アイドル、ラッパー、作詞作曲、プロデューサーとしての顔を持つジコですが、実はジコという名前がある前にラッパーウジホは"낙서(ナクソ/落書き)"という名前でアンダーグラウンドで活動していました。この当時BlockBメンバーのパッキョンも今の名前ではなく別の芸名で活動しており、"HOLKE(ホルケ)"という名前でジコと"ハーモニクス"というグループを作り、デジタルシングルを発売したことがあります。
当時ジホは日本、パッキョンはニュージーランドに留学していて、日本で活動中の"ナクソ"(ウジホ)とニュージーランドで活動中の"ホルケ"(パッキョン)が呼吸を合わせてハーモニクス(Harmonics)を作りました。18歳の時に出たアルバムなので、現在のジコほど重い音色ではないですが、幼い年に比べて実力的には完成に近い状態でした。このほか、某ポータルサイトのカフェで本人のラップを公開したり、弘大で気の合う友達と一緒に公演をしたりと次第にアンダーグラウンドヒップホップシーンに足を広げていく。
※ちなみにジコという名前の由来はジコが留学時、同じ年頃の女の子たち同士が自分たちだけのニックネームをつけるのが流行で、ジコの本名"ジホ"の最後を"コ"に変えて"ジコ"と呼んでいたのが印象的だったので自然に活動名に決めたという。(本人談)
02. I'm Still Fly
2010年に彼は初めてZICO ON THE BLOCK (Mixtape) を発売した。
ミックステープの16番トラックのタイトル曲 I'm Still Fly には曲名から強く感じられる本人のキャリアに対する強い信頼と自信。その自信は骨と肉を削って作られた努力の産物だということを如実に表わす曲だ。しかし、すでにアンダーグラウンドでは知らない人はいないほど"売れっ子"だったジコは、周辺からの全ての期待を肩に組んで堂々とデビューしますが、期待されていたのと違い、アンダーグラウンドホットルーキーの公式のオーバーグラウンドデビューはあまり脚光を浴びることはなかった。
翌年の2011年、BlockBとしてデビューしたジコ。
"BlockB"の製作者だったチョPDが愛情を蝶々と表したほど、それなりに歌謡界では世間の注目を集めましたが、良くない成績で大衆からは早く忘れ去られていく。続く後続曲活動も長くは続けられたものの、これも大きな成果は挙げられず、その後当時同じ所属事務所だったVerbal Jintの 'o Easy' というアルバムの中の“サル年の未婚男”というトラックにフィーチャリングで任された。
グループ活動デビュー曲の失敗は、プライドの高いジコの口に苦い薬だったのか、自分の能力に対する絶え間ない信頼と自信で困難を克服していこうとする姿が印象的だった。
03.VERY GOOD
2012年、ジコが直接作詞作曲に参加した"난리나"という曲を通じてデビュー当初の悲しみを吹き飛ばし、続けてリリースした "NILLILI MAMBO”と"VERY GOOD"を通じて初の1位になり大衆の心の中で堂々と位置付けられる。
披露動画→https://youtu.be/cyH3qGuNysw
結果発表→https://youtu.be/tjAVDAxOjQc
ジコというアーティストにとって、この時期は人生のターニングポイントだったはず。大きな関心の中でスタートしましたが、失敗したグループと呼ばれた暗黙の視線の中で徐々に歯をむき出し、ついに"VERY GOOD"を通じて大衆のプレイリストにBlockBのジコという名前を堂々と刻み込むきっかけになる。
後続作の相次ぐヒットでタイトル曲だけでなく、残りの収録曲も好評を博し、大半のプロデュースの責任を持つジコの能力も見直される。
04. 跳躍
ターニングポイントを迎えると同時に、ジコは今まで磨き上げてきた実力を遺憾なく発揮し始める。デビュー前に発売した"ZICO ON THE BLOCK"Mixtapeもすでにファンはもちろん、ヒップホップシーンでは有名になった状態。
ジコが属するクルー"Buckwild“の全幅の支持とDon Millsのフィーチャリングで誕生した
“Tough Cookie”。ラッパーのウジホを待っていたファンダムの喉の渇きを解消し、
”BlockBジコ” を “ラッパージコ” として大衆に刻み込んだ重い一発となる。
Tough Cookieはアルバムで披露した姿、理想像を見せてラッパーウジホの牙を完璧に表現し、以後SHOW ME THE MONEY4のプロデューサーとして出演、競演中に発売されたシングルもまた音源チャート1位から下がることすらなかった。
05. still
そんな中、一つのクルーが誕生した。
その名も 「FANXY CHILD」
2016年にZICO、DEAN、Crushの3人でFANXY CHILDを結成し、"BERMUDA TRIANGLE“ をリリースしました。
その後、PENOMECO、Millic、Stay Tunedもメンバーに加わり、ジコはその中で首長の役目を全うし、"アーティストとしてのキャリア"を輝かせ、本人が話題の中心であることを堂々と証明しました。続いて同年MAMAにも参加。FANXY CHILDメンバーとアーティストジコとしての完璧な姿を披露しました。
MAMA2016↓
https://youtu.be/mxEoPP_QrS4
06. anti
ジコは現在も自分が属するクルーの Buckwild、FANXY CHILDと一緒に公演をしてラッパージコとしての面貌を誇示している。
少しの間柄を解くと、現在Buckwildの首長JTONGも一時アイドルラッパーに対する先入観を持ったヒップホップミュージシャンの1人でしたが、Tough Cookieの歌詞の中で
というところから感じられるように、アイドルの皮はこれ以上彼の動きに何の影響も及ぼさなくなった。ヘイターたちの考えを覆すほどの恐ろしい実力、その力量を120%引き出すことができる人がまさにジコだ。ラッパーとして、プロデューサーとして、アーティストとして決して持ち前の才能だけでこの場に立つようになったわけではない。
"為せば成る“ ジコは多年間の紆余曲折の末、本人のルーツであるラッパーとしての姿と大衆ミュージシャンとしての姿を両方持ち、本当に"成功した人"になっていった。数百回噛み締めたはずの"I'm Still Fly"のように、高くつなぐ彼の行動に大きな期待をかけてみよう。
‘ZICO IS “STILL” FLY’
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