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よもだ話3 青年団①

野村町役場に入った銅之介は、同僚の勧めもあって平成15年に野村青年団に加入する。役場職員はみんな青年団に加入するという流れであった。

※青年団とは、主に20代~30代前半の若者で組織される社会教育団体である。地元で活動する単位団、町村単位の連合体、市郡の連合体、県連合体、全国連合体がある。戦後には、全国各地で結成され、若者の交流、地域教育の向上、行事の担い手育成、さらには、多くの政治家を輩出するなど地域を支える団体であったが、青年層の都会への流出や価値の多様化により、衰退の一途をたどっている。

銅之介は、青年団1年目の新入団員ながら、単位団である野村青年団の上部団体である野村町連合青年団、東宇和郡連合青年団、八幡浜圏域青年団連合青年団といった3団体の事務局長に任命される。

平成15年は翌年に東宇和4町と三瓶町の5町が合併し、新しい市(のちの西予市)が誕生することが決まっていて、西予市の連合体を結成していく話し合い(合併協議会)も多く持たれた年であった。合併5町で結成される予定であった西予市連合青年団は、一番大きな町であり、合併の中心である宇和町の不参加が表明され、他町の代表が熱心な説得を試みるも結局宇和町以外の4町で結成されることとなった。銅之介は東宇和郡連事務局長で合併協議会に出席し、若い血潮をたぎらせ会議においては激しい議論をしていた。(1年目のペーペーなのに)

また、野村町連事務局長としての一番の大きな責務は、8月に行われる愛媛県青年団連合会主催の青年大会のお世話であった。これは、愛媛県内の青年団員が集まるスポーツを中心とした大会であり、大会前には、松山市ホテルでのビアガーデンが恒例となっていた。とはいえビアガーデンに参加者の約半数は野村町連合青年団であり、愛媛県の担当からは野村の人数が決まらないと会場の予約ができないとしばしば連絡が来ていた。ビアガーデンだけでなく大会自体も野村からは、100名を超えるの青年が参加し、大会を盛り上げていた。事務局長としては、大会への申し込みの他、ビアガーデンの出席者の確認、宿泊者の確認、ホテルの予約とたいへんな職責であった。

西予市連の結成と愛媛県青年大会の裏方をいう大きな仕事を中心とした激動の青年団活動1年目を無事に務め上げることができた。この経験は銅之介にとっても大きな自信になる。のちにも青年団活動で大きな経験をすることになるが、この時は達成感でいっぱいであった。

西予市が誕生した翌年、銅之介の青年団活動2年目は、本来の単位団である野村青年団副団長に任命される。

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