2月25日

天皇誕生日がくると必ず思い出す数日間のことがある。

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平成31年2月22日に陣痛が来た。
予定日に陣痛が来るなんて、体は正確だなと思った。
5分間隔でこれは生まれると思ったが時刻は20時。
なんとしてでも4時間は産まれてほしくなくて、絶対23日に産みたかった。
病院で明日産まれるか?
と聞いたら「明日産まれたらいいね」と言われて素直な私は「23日に産める!」と喜んだ。
「来年から、2月23日は天皇誕生日なんです。我が子の誕生日は、必ず国民の祝日になる!」
そう喜んだのも束の間。陣痛が消えた。

23日には生まれなくて、24日は朝からポケモンGOをやりに外に出た。
嘘とかじゃない。本当に朝6時から夕方の16時までポケモンGOをやりに歩いてたんだ。
一睡もすることなく夜を迎え、陣痛が来た。
割と寝なくても行けるタイプだったから、25日の朝まではなんとかなって、陣痛と共にすごしたんだけど、寝てないせいか陣痛の痛みを覚えてない。
分娩台に登った後、痛みで唸るように声をあげて起きて、痛みが引くとまたかくんと意識を失っていた。
そのまま子供がスポンと産まれ、翌朝までぐっすり寝させてもらった。


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今年の2月25日は日曜日。

私は、深夜心が落ち着かず、睡眠薬を飲んでなぜかカップそばを作っている。
このnoteを書いてるうちに、3分はとうに過ぎた。
猫舌だからいいかと思っているが、お腹は減っていない。

この5年。
私は「常に死にたい人」から「何とか生きていけそうな人」くらいまでには成長できた。
しかしこんなんじゃ子供なんて育てられなかったし、今でも無理だろうと思う。

仕事は彼を産んだ3年後に取った障害者手帳を使って障害者雇用で働いている。

人権はあるはずなのに、会社では7年下積みとして働かないと正社員として雇って貰えないと言われた。
辞めると伝えた。
こんなんじゃ子供は育てられなかっただろうと、ひしひし感じる。

生活はまだ裕福ではない。
時給1000円の雇用で、育てる自信はない。
この地域で1000円を超える時給の場所はほかにないから、どう考えても難しい。

私の選択は一切間違ってなかったということだ。
彼を手放したことは、間違いなかった。
ジグソーパズルのように、丁寧に丁寧に、間違ってなかったと自分に説いていく。


「養育費は絶対に払わない。
いや、払えないんだ!
乳児院に預けるってことは養育していないんだから、養育費は払わなくても問題ない!弁護士をつけるぞ!君に弁護士をつける金なんてないんなら負けだね!」

と公爵を垂れていた私の元夫は、今も当時と変わらず教壇に立っている。
小学校高学年の担任をすれば性教育などやるんだろう。
どんな気持ちで教壇に立っているんだろうか。

特別養子縁組のために家庭裁判所に行った際、戸籍の確認をされる。
そこで元夫は私と結婚する1か月前に別の人との離婚を成立させたと聞いた。
間に子供もいた。
なんにも知らなかった。

きっと、私と彼が上手くいっていても、いずれ崩壊したんだろうと思った。

やっぱり、私の選択は間違ってなかった。

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私の産んだ子供が5歳になる。
産みの母と育ての母という概念を、小さな頃から教える家庭もあると聞いた。

こんなお母さんでごめんなさい。

その一言しか出てこない。
ただ、産まれてきてくれてありがとう。
少しでも「母親」にならせてくれてありがとう。

お誕生日おめでとう。
愛しているとは君に伝えるためにある言葉だと思う

ふええええええええええうれしい!!!!ありがとうございました!