「絶滅の人類史」を読んだ。


NHK出版新書の「絶滅の人類史」を読んだ。この辺りの古人類学はホモ・サピエンスたる我々が今に至る過程を想像できる、興味深いところ。2月ぐらいに「NHKスペシャル 地球大進化 46億年・人類への旅」をみて、なるほど人類(ホモ・サピエンスだけではない)の進化の鍵はコミュニケーションねーなるほどねーと思っていたが、この本では、人類の進化の過程で多くの分化が起こり、さまざまなヒトが淘汰と隆盛を繰り返しつつ、その中でも何故我々ホモ・サピエンスだけが今存在するのか?というところがメインのテーマとなっている。

教科書的な知識ではインパクトが欠けているのか?スッポリ抜けている新生代(6500万年前から現代)の話は面白い。700万年前に広義の人類(二足直立歩行)として分化し、進化と自然淘汰を繰り返しながら最後にホモ・サピエンス・サピエンスとして我々が残った経緯について、最新の研究を引用して説明してくれている。

食物連鎖の階層が一番想像しやすいためか、人類同士でも争い、最終的に絶滅に追いやったという説も昔あったが、概ね人類同士は争わず、交雑もしていたというのが一つ面白いところだった。そもそも初期の人類は、食物連鎖でいうと下の方、捕食された大型草食動物の残り、臓物や骨髄を漁っていたり、草や果実を主な栄養源としていたとある。なるほど、僕はホルモンや生の肉はあまり好きではないが、やたら生肉が好きな人もいるしなーと少し納得してしまった。後は、ホモサピエンスが残った理由としては、認知能力の向上によって、事象の抽象化と予測ができるようになったことが大きい、とのこと。確かに、学習だけなら鳥や猫でも出来る。予測というのは、A→B→Cという事象の連鎖と条件分岐を脳内でシミュレーションすることだ。つまり「もし」のハンドリングと言えるだろう。なんかCPUの話みたいだな。。。

メインとなる「何故”私たち”が生き延びたのか」への本書の答えは、適応と自然淘汰の結果残ったのが我々であった、となる。過去の研究では人類同士、異なる人類同士の闘争によって片方を絶滅においやったという考え方もあったが、現在は否定的な見方が多いらしい。そもそも、人間同士が生存をかけて争うのは農耕開始以後らしく、その前は生存を賭けて争うのは捕食者だったり、自然環境だったというわけだ。

また、本書では7人死んでも8人目が生き延びて子孫を残せば種の保存となる、ということも我々が生き延びた理由の一つとしている。他の種と比較してホモサピエンスとその祖先は多産の傾向があり、その多産を支えたのは社会に至る前の共同体による相互扶助による子育て体制の確立、特に子を成せなくなったおばあちゃんの存在が大きいということである。今、先進国は「少子化」が大きな社会問題になっているが、そもそも核家族化がここ50年やそこらでホモ・サピエンスが初めて体験している社会だとすると、なるほど進化の最先端ならではの問題なんだなぁと感心してしまう。

まだ途中までしか読んでいないが、「猫的感覚: 動物行動学が教えるネコの心理」でも、イエネコの家畜化と去勢により、近い将来には「人間に慣れる形質を持ったイエネコは減っていき、人に慣れない猫が相対的に生き残る」ということが書かれており、局所的な最適化が種の保存という意味では良くない結果をもたらすかもしれない、ということが人類でも起こったのかもしれないな、と考えてしまった。

自分のことでいえば、種として子供を成し育てるという欲求があるのか、もしくは単純に社会的に孤立を感じているのか、自分の成長が頭打ちになってきて、子の成長を見守りたいのか、どれかは自分でも分からないが、そろそろちゃんとお相手を探していかないとなぁとこの本を読み終えてふと思ったのであった。

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