石川達三「風にそよぐ葦」

この本を初めて読んだのは高校1年か2年の頃。50年以上もたつ。
昭和33年の発行とあるから、出版されて間もなく高校の図書館で読んだのだろう。
「生きている兵隊」を取り上げた関係で、石川のことを調べ出したが、この本だけは是非もう一度読みたいと思っていた。上下組で498頁になる大著であったが、4日間で読み終えた。読書の感動を久しぶりに味わった。

基本的なテーマは、個人の自由の大切さ、思想よりも愛情、人間と人間の感情のつながりの重要性、それが基本であるという認識、自由主義者の孤独・それに耐えていく強さとしなやかさ、そして同じ主義でありながら葦沢悠平とは異なり清原節雄のかたくなさと米国移住と言う実質的な逃亡、国家とは何か、国家の抑圧と個人の抵抗、左右に揺れ動く大多数の国民感情。自由主義者と言えども、大風には靡かなければ根こそぎ持っていかれてしまう・・・。強い女として描かれている児玉榕子(葦沢泰介の妻、児玉医院長の長女)ではあるが、戦時下の厳しい情勢の中では最後に男に頼る弱さを見せる(石川の女性観が端的に出ている)

以下に、この大著の物語を紹介する。

時代は、太平洋戦争直前から敗戦後の昭和22年5月まで。
日米交渉の決裂、開戦、米軍の反攻、空襲におびえる国民。東条政権の憲兵政治。
内向する国民の不満(人心が離れていくと石川は記述する)。
横浜事件。雑誌「改造」、「中央公論」等への弾圧。60名を超える逮捕者(小説では2名死亡とあるが実際は4人死亡)。東条の近衛勢力への弾圧として描かれている。
3月10日の大空襲で児玉医院は消滅。
戦後の共産党指導下の雑誌社の労働争議。2・1スト中止。
中央公論の寄稿者たちが、編集部をのっとった組合勢力に対して寄稿を拒否して葦沢を感動させる。

崩壊する2家族;
葦沢家では;長男泰介は、召集を受け新兵訓練の際に剣鞘を紛失、その捜索の中で上官の広瀬軍曹に足蹴をされ、肋膜炎となって除隊、児玉医院で死去する。召集解除の嘆願に榕子が患家の陸軍中将(予備役)に出向いたことがあだとなり、泰介は入隊の時からアカの目で見られていたことも悲劇につながった。
次男邦雄は、時流に流され軍国主義を奉じて飛行兵となる。榕子の妹有美子と恋に落ち、召集前の婚約を希望するが両親に反対されて戦地に向かう。父親が自由主義者であると告発。転戦する中で不時着し、手の指3本を失い除隊。有美子に対して冷淡になっていく。
敗戦後、共産党の支持者に変わっていくが、ある日共産党員との喧嘩で負傷し、彼らの教条主義的なやり方への不信から、支持を止める。かつては航空関係や葉隠を燃やした邦雄。今度は共産主義的な書物やビラを焼く。
葦沢悠平は、横浜事件での弾圧にも耐え、ある程度軍の要求する編集を採用しながら戦後を迎える。組合の雑誌社乗っ取り計画には断固として拒否。その後、組合内部の分裂(石川はここでも共産党系指導者の教条主義的、心の通わないやり方への批判として組合内部の反対勢力が登場したという図式を描く)。何時でもきちんとした身なりでステッキを持ち、決して時世におもねるようなことのない貴族的な男として描かれる。米国留学経験。妻は清原節雄の妹でもある。

児玉家;榕子は、死んだ夫の戦友であった宇留木からの手紙で夫を虐待した犯人が広瀬軍曹であることを知り堅く復讐を誓う。軍関係の病院で薬剤師として勤務する彼女は、昔児玉医院にいた看護婦が看護する病人に好感を抱く。男らしさと綺麗なまなざし。それが広瀬であった。広瀬からの彼女へのアプローチ。復讐機会に利用せんとする榕子。退院後の広瀬は、その後、闇商売に乗り出し大成功する。空襲の夜、その後の材木需要を見込んで東北の山林を買い占めるなど、そのやり手ぶりは敗戦後も止まることを知らない。
戦争を、一人で生きていくことに疲れだした榕子。ある日、広瀬の誘いに乗って海釣りに出てそのまま料亭に二人で入る。灯火管制で薄暗い室内の二人。やがて榕子は、広瀬に対して泰介への暴行事実を認めさせる。認めた広瀬に対して、謝る広瀬に対して感情が爆発した榕子。泣き崩れる女に近づく男。女の抵抗はいつの間にか止んでいた・・・・。
ある種の満足感と自己嫌悪とに揺れ動く榕子。彼女を待っていたのは、退院した宇留木からの求愛の手紙であった。拒絶からやがて求愛に同意する様になっていく・・・。戦時下で女一人では生きていけない、置いた良心の窮乏も何とかしたい・・・・。結婚生活に満足する榕子であったが、新聞記者の夫は新京出張のまま消息不明となる(シベリア抑留)。
次女有美子は、邦雄への愛と義務感から挺身隊として懸命に働く。やがて体を壊して帰宅し、病人として帰国した邦雄と出会う。邦雄の変心への怒りはない。音楽にだけ安らぎを求める病人であったが、最後に安らかな死を迎える。戦後のことで満足なお棺も手に入らない・・・。
児玉博士も敗戦後のある日、脳溢血で倒れる。患者の世話だけを天命として黙々として努めてきた博士。憤りを口に出さず、淡々と日々を送った博士であったが、死の直前に口にした言葉は「平和か。ふん!・・・・」であった。唇に冷ややかな微笑を浮かべて。戦争放棄をうたう新憲法に対しても「馬鹿な!」と口の中で叫んだ博士。子供たちを皆失ってから、戦争放棄がなんの役に立つものか。

広瀬軍曹は、当時の世相の悪の側面を代表する人間として描かれる。軍隊での下士官、戦時下の闇商売の成功(軍人との結託)、戦後の一層の成功(中央公論社の買収まで考えるようになり、葦沢社長に一喝される)。その彼であったが、絶えず榕子の周辺に不安要素として登場する。ある日、米軍憲兵に連行される、行く先は巣鴨。戦犯容疑である。

シベリアからの帰還ニュースが流れだし、榕子の夫の無事も確認された。
売り食い生活で日々をしのいでいる榕子に広瀬の毎月の支援申し出があり、彼女を激怒させる。
ある日、妹のレコードを売りに渋谷に出た彼女は偶然に葦沢社長に出会う。
自分の所で働かないかと申し出る社長に対して、一度は、拒絶反応を示した榕子であったが、改札口から飛び出して社長の胸の中に飛び込む。「生活の危うい崖ぷちから救い出された安心と喜びが、却って何かしら悲しいのだ」。

「あの頃が、一番幸せでしたわ」
あの頃・・・・古いことだった。その、消え去った古い生活を探そうとするように、悠平は仰向いて星空を眺めた。

以上

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