痛感、僕に「こうあってほしい」と願った人達は今、全員僕を裏切っている。
「誰に見られてるか」より
「自分がそれをやりたいか」
なんだなあと、強く痛感する場面が多いです。
僕、正直喋るより
文章が一番
自分の気持ちに素直でいれるから
最近は思い立ったら
すぐブログを書くようにしています
ブログって結構ハードルが高くて
なんでかというと、
普段の140字のnoteは
「呟き」っていうボタンをクリックして
わりと、ツイッター的な手軽さがあるんだけど
ブログを書く時は「記事を書く」
っていうボタンを押してから書くのね
「記事」って表記が
めちゃくちゃ堅苦しいと同時に
意識高い系(笑)みたいな雰囲気もあって
noteは精神を整えるのに凄くオススメです。
なので、僕が「記事を書く」なんて
よっぽどの事なんですけど、
最近はその回数が増えてきてて
自分でもビックリです。
「こんなことを書いて誰が見るんだろう」
とかは、超えていて
「書きたいから書く、見たいやつが見ろ」
といった感じ
言葉ってきっと一番の自由だから
一番差が出る気がしてる
みんなが争う理由もなんだかわかってきたし
みんなが狂う理由も、悲しむ理由も
喜ぶ理由も
言葉を使う側じゃなくて
受け取り手に周りすぎなんじゃないかな
とも思う
みんながみんな受け取れないからこそ
その言葉を受け取れた自分だったり
その視野に入れた自分の存在とかって
否定しすぎない方がいい
周りの目を気にしない方がいい
なんでそう思うかって
最近思い返して悲しいことがあって
人は平気で人を置いていくってこと
なんだけど
僕 凄いファッションとか好きで
実は好きなブランドとかもあったんだけど
何処か「みんなと同じ」になりたくて
「共感」を得たいがために
高い服を買うことを辞めたり
ブランド物を買うことをやめたんだけど
うん、やっぱり
リスナーさんの中には
お金使えないって声も大きかったから
自分がお金を使ってたり
裕福、贅沢できる瞬間も抑えていたんだよね
そしたら、いつからか
ジャージとパジャマしか
本当に着なくなってしまって。
メイクも、コスメ買うのも辞めたから
食事も、外食とかはなるべく避けて
みんなと同じ生活水準を心掛けていて。
けど、数年経った今
僕の周りって、リスナーだろうが
インフルエンサーだろうが
みんな 凄い着飾って街を歩いていて
華やかな雰囲気に変わってた
一般人でもブランド平気で帰るし
わりとお金の稼ぎ口って色々あって
コミュニティも作りやすくて
閉鎖的でもなく
みんなが好きなこと
好きなようにやってる世界が今で
めちゃくちゃ変に傷ついてしまって
僕は、好きなこととか
趣味も、性格も全部同等に考えてて
十人十色(笑)それぞれじゃん
って思うの
気分によって変わるし
今日が晴れだからって
明日は雨かもしれないしね、
それくらい「気分屋」でいいって
純粋ピュアに思って
インターネットにルールが
ここまでなかった時
僕は好き勝手 話してた
でもそういう価値観の一つ一つが
わりと、当時のネットには理解されなくて
「自己中」みたいな
「ゆきむらはやばい」みたいになって
凄く それを僕のメンタルが
無意識に真に受けてしまっていて
今ここまで脳が萎縮したんだと思ってます。
当時のリスナーには
「無実の証明」を迫られることも多くて
やっぱり、
ゆきむらなら全部答えてくれる
ゆきむらは嘘つかない
みたいな
信じたいという気持ちから
僕に対して「意地悪な質問」も多くて。
そこでも僕は
馬鹿だから、誠心誠意答えてたんですけど
みんな安心しきったら
今度は慢心して
自分の安堵に浸るだけなんです
僕の気持ちなんか
意味なんか、真実なんか
はなからどうでもよかったんだなあと
真面目に生きるだけ
本当に損だよ
人は平気で、そういう
目線を合わせてくれた人や
考え方を「当たり前」って思うから
目に見えたものしか
見ないから
本当だよ
勝手に全部
自分の解釈でしか見てくれないよ世界は
だから僕はこれから
好きなものを着たいし、食べたいし
話したいし、自由になりたい。
まあ僕 元々かなり貧乏人なので
なにしても貧乏人なんですけど
頑張って架空の「みんな」に合わせてたら
令和六年、まんまと置いていかれました。
僕に恋愛どうのうの、って
過敏になってた奴は
絶対 今普通に恋愛してると思うし
よかったね
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