100万の自己犠牲
あの日、初めてブログを書いた
この一文から始まりました
「死ね」とか「殺す」を掻き分けた結果
「誰も傷つけたくない」に
当時行き着いたぼくを
ぼくは不思議に思います
でもそうなんだよな
人は皆、きっと優しい生き物だ
醜くした何かがあるに違いない
ぼくもその一人に違いない
今のぼくへ
「やさしい人にはなれましたか?」
100万アクセスを見るまでのぼくは
それを人生の褒美として
耐え続けた
納得し続けた
成長という名の妥協をした
妥協で片付けるのも腹が立つくらい
自分の無力さも痛感した
久しぶりに声を出して泣いた
「疲れた」という言葉を吐いて泣いた
欲張りなぼくは「嬉しい」よりも
他人に「認められなかった過去のぼく」
無理矢理、無かったことにされた気持ち
時間、言葉、好きも嫌いも愛してるも
埋葬しきれなかった全ての痛みが
ぼくを襲った
2022年6月16日
note制作から1ヶ月と4日
ぼくは自分の言葉だけで
100万アクセスを突破した
格別な「数字」
それはぼくの中で新しい景色でもあり
身震いする程待ち遠しかったよ
けどそれと同時に
ハッキリと背中を押される感覚もわかって
内心、凄く、凄く怯えていた
恥ずかしいけど
本当に今日まで
たくさんの威勢を張ってきたし
デカい口を叩いてきた
ぶっちゃけ、何一つ
自分に求められてることも
具体的には叶えてあげられなくて
逆に自分が求めていることは
具体的には手に入らなかったことの方が多い
この腐った界隈で
無様に浮遊するだけの存在
不明確なまま時だけが過ぎて
名前の一人歩きが加速し
自分が自分に置いていかれるのが怖かった
自分が問題を起こしてるつもりのない場面で
無自覚に社会の左にいってしまっていること
「常識」とか「普通」が
ぼくの中には障害レベルで備わってなかった
発言して、嫌われて、ハッキリと気づいた
問題を起こし続けた先には
価値観の相違や議論が絶えなくて
解決することもない無意味な殴り合いが
次第にぼくだけじゃなく
ぼくのリスナーまで巻き添いになり
「ゆきむら。」は間違ってる
から
「ゆきむら。を好きな奴はおかしい」
に変わった
争いに来られたら
殺し返すのがぼくで
でも、殺されると知った相手が
殺し返してくるのも事実
そういうネットでの言葉や感情を
ぼくは人より見すぎてしまって
結局は世界の右が大勝利して
綺麗なものだけが好かれていく情景に
疲れてしまったのかもしれない
そこからは、本当に、心の底から
自分の言葉に価値はないと思うようになったよ
あるとするなら
ぼくと同じような闇を抱えてる人間
でも
そんな人達は少数なんだろうと諦めた
こんなんでも迷ったり
葛藤したり
もちろん傷つくし泣くし
それで口を閉ざしたこと
自重したこと、山ほどあるよ
人並みにも人以下にも
ぼくだって人だったよ
最終的に疲れてしまったぼくは
行動力と、口数は減った
世界に平和を譲ってみたけど
そこに比例して炎上の娯楽になることは減り
「丸くなった」「刺激がない」
「こんなのゆきむら。じゃない」
「ゆきむら。問題起こせよ」と言われた
そうじゃないとネットに置いても
世界に置いても価値がない「ゆきむら。」
嫌になるほどわかってしまって
どうしようもなく悲しかった
表でnoteを公にしない理由の
ほとんどがそれだったに違いない
いつからか
堂々とすることは
自分の中で恥ずかしさに変わっていった
誰が見るんだこんな醜い文章
けど簡単に言っちゃえば
「誰かに知ってもらいたい」
「同じように闇を抱えた人と分かり合いたい」
例えそれが
ぼくのリスナーじゃなくてもいい
通りすがりの誰かでもいいんだ
「一文字でも読んでくれたら嬉しい」
その言葉に嘘偽りはありません
かなり余談だけど
思い返せばぼくの好きな人ってのは
芸能人だろうがインフルエンサーだろうが
四六時中頭に浮かぶような人はいなかった
けど、圧倒的に、どこか他とは違う魅力に
包まれていることはわかったし
口にすることはなくても
ずっと追いかけていたくて、憧れていた
繰り返される日常の
真っ白で真っ暗なコントラストを描いたのは
彼等、彼女等でもあったのだ
声を大にして「ファンです」とは言えなくても
確実に支えてもらっていて
自分形成の手助けをしてくれた人達
当本人は無自覚だろうが
勝手に見て、勝手に共感して
勝手に好きになって、勝手に飽きた
そんな身勝手な傍観者
それがぼくだ
自分がそっち側の人間だっただけあってか
今となっては明確に、この活動を通して
「消耗品扱い」への嫌悪は増してった
「あの時はありがとうございました」
でもなんでなんだろう
「あの時は」
そのいつだったかの言葉たちが
時間を経てぼくの元に帰ってくる時
金も、数字も青春の呪いも全て溶け
満たされる
永遠に感じられる程長く
無数の「誰かの中に生きる自分」
「お前」という存在もまた一つ
ぼくを通り過ぎ
立ち止まり
振り返って
思い出してくれた瞬間
その一秒に何度救われたのかを
ぼくは思い出したんだ
残酷にも
インターネットが出会いのぼくら
この不確かな画面越しにも関わらず
気づいたら勝手に書きたくなっていたよ
自分が幸せならそれでいいと
自分のために始めた
「文章を書く」「言葉を喋る」
醜いだけと思ってた執着が
「繋がっていたい」だなんて
ぼくにしては大層綺麗な執着へと変わったよ
これが、愛なのか
月並みの形式はさて置き
100万回ここに踏み入ってくれた
全てのお前に敬愛を込めて
ありがとう
お互い何を愛してしまっても
想い焦がれる対象が
「君」にとって
「僕」でありますように
「僕」にとって
「君」でありますように
こんな馬鹿みたいな白昼夢を
どこまで信じる
無償の100万がぼくを裂き
無償のぼくが100万を裂いた
終わりのない自己犠牲は明日も続く
遺書を書くなら今のうちだろう
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?