見出し画像

「ちいさなくに」の方へ ― マルジナリア

「ちいさなくに」の方へ ―― マルジナリア その1

 自作詩を独唱する切っ掛けとなったのは2016年クリスマスの鎌倉近代美術館別館での映像作家・狩野志歩さんとのコラボレーションが始まりだった。「鎌倉別館にて」では、映像のフレーミングに倣って、私の詩を、狩野さんに好きなように断片化して貰い、それを一枚の紙の上で、シーケンスを再構成して歌った。イヴとクリスマスの連日であったが、旋律感は容易に動いて、まだプロセスの最中にある、生成現場を披露しているようなものだった。即興であるから、と言うよりもアンサンブルから脱した不安定感と尸解されたような心地だった。

 

「ちいさなくに」の詩は、中根秀夫さんが「うつくしいくにのはなし」で引用されていた上田敏訳ヴェルヘルム・アレント「わすれなぐさ」が咲いているその場所を探すようにして、ことばを書き継いだ。


 ちなみに面倒なので便宜上「詩」と言ってしまうが、私は未だ詩が書けた例がない・・・


 「ちいさなくに」がそれまで書いていたものと違うのは、書き終えたら歌うことになる・・・という不安があった。グロッソラリアは聴こえて来たものをそのまま聲にのせれば歌になってくれるけれども、自作詩といえども、母国語となると様々な旧弊に塗り固められているから、歌になる前に、それら旧弊が聲を捕らえてしまうから、歌が聽こえて来るまで聲で言葉を無数に晒し直すような作業がある。


 また「ちいさなく」は、友人の追悼会や母の告別式でも自身で選んで歌ったこともあり、追悼歌や哀歌のように受け止められるようになった。

 ただ、それは少し違って、例えば中根さんが日々捉えたバルコニーの花たちや、国会前デモや福島浜通りの空間、そして死者に「成ること」の詩、そして歌であると・・・


ちいさなくに in a small realm ― 詩

https://note.com/yxetmplus/n/ncf647a1037b1

「ちいさなくに」の方へ ―― マルジナリア その2

 「ちいさなくに」Phase 8. Shore,Phase 9. Nowhereに係る詩は、「かるたえ あえりあえ」に編んだXV(秋分)にあたる「海の方へ」である。この詩は、東北震災の年の秋半ばから毎日書いていた断片のひとつだけれど、これは十代の頃から繰り返し見る「死出」の夢を書いたもので、震災の犠牲者を準えたものではない。ただ震災後にはじめて仕草を顯した言葉だった。


 ところで東日本大震災からこの方、私はずっとある錯覚の中にいる。あのメルトダウンで私は死んだのに違いない…という。というもの、熱病に魘されて見る、あの何某かの修復作業を永遠的に続けなければならないような悪夢と、いま私が認識している現実は、全く瓜二つに思えるから・・・そう、私は自身が生存しているという確信が酷く希薄なのだ。

 先には「ちいさなくに」の詩は、「成ること」の詩、歌と言ったが、「海の方へ」は、私自身が「死者であること」を書いたのではなかったかと、思う。

 人というものは、もう終ったのだと。だとしたら、未だに誰もが、各々の夢を見ているに過ぎない。そんな誰も目覚めたくないだけの日々が続くのだろうか・・・

 夢と夢が出会うことで、あるいは、人というものの終りを見定めることはできないだろうか・・・


「ちいさなくに」の方へ ―― マルジナリア その3

 2011年3月11日14:46後、時間は静止したように思われた。


 福島浜通り大熊町の高台に設置された定点カメラが、太平洋に覆された福島第一原子力発電所を遠く捉えていた。時折画面をゆきすぎる車両や、空に浮かんでいるように見えた船舶の航行以外、人々の気配はなく、姿のない野鳥たちの幾重もの声だけが、春の盛りであることを告げていた。


 いつからか国会議事堂前・首相官邸前では、連日の反原発抗議集会。分厚いユニゾンのシュプレヒコールが政府を罵り呪い続け、尊厳であったはずのものを、夢のように霧散させていった。あるいは憲法というもの。それは一度として機能した例があったのだろうか。政府への抗議なぞ、国家という予め失われていたものの虚像を追認させられるに過ぎない。また、市民とはそのような国家という虚像の影に過ぎないのではなかったか。市民の抗議によって虚像の守護者である政府はより力を蓄え、強権的な様を憚りもなく顕すようになってゆく。


 夜は眠ることがなくなった。窓外の通りには、ひとつの水銀灯が真夜中の靜けさを護っていた。そして数行にも満たない断片の反復だけが日付を改めた。それは水銀灯の差異であったかも知れない。あの野鳥たちのように歌うことはできないにしても、薄っすらと塵を覆うようにして、何れCHARTAE AERIAEをかたちづくるものとなるまで・・・


 時間の静止と夜の不眠は、ひとりのものの彷徨を永遠的なものにする。物語では捉えようもない反復と差異が日々の賽の目を確定する。けれども、その偶然の連なりが何れ「ちいさなくに」に辿り着かせてくれるものとは知らずに。

========================

 靴底が踏みしめる、面積にしてわずかな土地は私のものであり、そこに立つ時間は常に私のものである。その場所と時間にひとつの「像/イメージ」を与えるプロセス、それが「うつくしいくにのはなし」である。私たちひとりひとりは「くに」を持っており、それは言葉であり、また記憶󠄂でもある。(「うつくしいくにのはなし」より:テキスト集「ちいさなくに/木戸駅と」中根秀夫 2021年に収録

========================


 言葉は道でもあるだろうか。「くに」は影のような伴侶でもあり、「うち」でも「そと」でもない果てしに見る景色に肖ているように思った。けれども私はもの心がついて間もなく言葉を踏み外した。だから私の記憶は常に空虚で、それは風音で満たされる容器となった。それが私の「くに」なのだろうか・・・ 少なくとも、誰とても侵し難い「わたし」というものの「生存の場」であるだろう。


 ここに佇んで、わたしはもう何某かを表現しようと駆り立てられることもない。ただ季節のように訪う「振動の強度」が「生存」を生成しているばかり。それが「わたし」というものの「くに」の機能らしい。


 中根秀夫さんの個展のDMが刷り上がって、SNSにも告知をしてから、私は11日の会のタイトルを考えたくなった。今回の会では、「ちいさなくに – in a small realm」を再演するだけではなく、東日本大震災後に書いていた「かるたえ あえりあえ」の断片を通して、ずっと拭い切れなかった違和感へとまた降りてゆき、「ちいさなくに」までのプロセスをみなさんともに反復しようと想い至って、”「ちいさなくに」の方へ”とタイトルを改めた次第。


 最後に”「かるたえ あえりあえ」10のMonody”について、少しだけ。「CHARTAE AERIAE」は、2013年LIBRAIRIE6にて企画された『金羊宮』展のために制作された22の畫牌󠄃󠄃と詩片による詩畫牌󠄃󠄃集。うち、21の詩片の畫牌󠄃には畫がなく、22の畫牌のページ󠄃には詩片がない。22という数は、10の惑星系と黄道12宮と四季を合わせた数のアナロジーでタロットを模しているが、畫牌󠄃と詩片の組み合わせは直感的でタロットのように定まった象徴を顕したものではない。


 「かるたえ あえりあえ」10のMonodyは、22のうち10の惑星系にあたる、1~8、21と22によって歌を編んだもの。「CHARTAE AERIAE」は全詩片を、Ensemble INAUDIBLEよる即興で2回演奏している。一昨年から独唱で組立てはじめ、これまでに象󠄃を捉えることができたのが、今回の10のMonodyである。それぞれの詩片については、一読して戴ければと思う。22の詩片のうち、古いものは30年を遡るが、10のMonodyは、東日本大震災の年の秋から毎日書き散らしていた鉛筆書きから拾われた詩片である。22の畫牌󠄃に対応する詩片には言葉がなく、これはグロッソラリアで歌われる。


 何れ22のMonodyが仕上がった後は、CompactDiskをセットにした詩畫牌󠄃集「CHARTAE AERIAE」を限定出版予定である。

「ちいさなくに」の方へ

One-night special live event on 11 March
2024年3月11日[月]
open 18:00, start 19:30(予約制)
渡邊ゆりひと 中根秀夫 菅野まり子 [ゲスト]言水ヘリオ
会場:吉祥寺某所にて(満席となりました)
会費:2,000円(当日お願いします)
https://side-b.hideonakane.com/side-b/2024-3-11/

*program*

1. 「かるたえ・あえりあえ CHAETAE AERIAE」 より
  10の monody(solo vocal)
   渡邊ゆりひと

2. Inter-monologue
  言水ヘリオ/中根秀夫

3. 「ちいさなくに – in a small realm」
   渡邊ゆりひと&中根秀夫

+. 小品展示
  中根秀夫、菅野まり子


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?