28歳、人生の分かれ道
こんにちは〜!なんか思っていたのと違う#2020を皆様いかがお過ごしでしょうか〜?
コロナ禍、コロナ禍と世の中がワサワサすることで、人生の計画的に困っちゃっている人も多いんじゃないでしょうか、特に受験や就職を控える学生さん達は本当に負けないで欲しいです。
さて、そんな私もコロナ禍で28歳を迎えました。
思い起こせば18の時に受験勉強を始めてから、ノンストップで毎日が目まぐるしく過ぎていき27歳を終えたのですが
しかし、コロナとかとは全然関係なく去年末くらいから、自分の中で何かが変わり始めていたんですよね。
今日はそんなアラサー真っ只中で現れた様々な変化について備忘録として書き留めておこうと思います。(オチはないやつです・・・)
これがアラサーなのか?価値観の変化
■まず顕著に現れたのは、恋愛面です。
それまでも頭ピンク野郎で常に恋愛を中心に回っていた人生でした。
彼氏が長くいる時期もあれば、彼氏がずっといない時期が最近は続いていましたが、それでも男に困ったことは正直なかったです。
傷つけたことも、傷ついたこともあったけど、自分にその気があってチャンスがあればそれがどんな結果になるのであれ美味しく頂いておりました。(言い方)
そして安定的な人、幸せになれる人ではなく”イケている男”、”心惹かれる男”に常に挑んでおりました。
しかし、どういうことでしょう。最近はもうそういうのを見てもあまり行動に移せないのです。というか、イケている男だろうが上手くいかなそうな男との恋愛はもうメンドくさいんです。
100歩譲って一回は何かがあっても、あまり深入りしたくないんです。もうメンドくさい。
そして気付いたのですが、”イケてるいけそうな男”よりも”幸せになれそうで好きになれる”男の方がよっぽど少なく、ここ最近は男日照りが続いているのです。
■大きく変わった結婚観
私は超がつくほど結婚がしたい女でした。いや、正確にいうと結婚は今もしたいです。しかし結婚をする相手の見方が大きく変わりました。
悪くいうとものすごく打算的に相手を見るようになりました。
・この人と一生を一緒に過ごせるかな?
・この人の子供産みたいかな?
・将来の向かう方向性にズレが出た時、建設的に話し合って折り合いをつけられる人なのかな?
最近はこんなことを考えて男の人をを見ているのです。
”好きならどうにかなるでしょ”と、多少の気になる点に目を瞑っても付き合ってしまえぃ!という勢いの子だった私の恋愛観、結婚観が大きく変化したのです。
■一番大きく変わったのは貞操観念
私は今まで貞操観念が壊れるともう戻らないと思っていました。
実際一度、割となんでもいいかなと思う時期もあったのですが、この半年ほどでビックリするくらい自分の貞操観念が戻り始めていました。
自分に興味のあるイケている異性に迫られるのが嫌な人は少ないでしょう
でも、どんなイケメンでも「いや、これ後々気まずくなるから嫌だな。。」
ていうか、こいつの事好きじゃないしなって・・・
多少寂しくても男に刺激を求めることが一切なくなりました。
寂しさ<冷静さ になりました。
■大切なものがわからなくなった仕事観
仕事のことをツイッターでもよく呟いており、結構ひどい内容だなと自分でも思っている通り、最近の仕事観にも大きな変化が起きています。
転職をしたこともあるのだけれども、自分にとっての仕事上の幸せってなんなんだろうとずっと考えています。
今の私マインドセットは、22才の大学4年生の就活時期からの延長線上にあります。
お給料が多くて、いい会社にいくことが自分のコンプレックスを埋めてくれると信じていました。実際コンプレックスは埋まりましたが。
現在夢見たいな大企業で働いていますが、ぶっちゃけ全然幸せじゃねえ
ってことに気付いたのもここ最近です。
今まで自分の仕事の軸はイケイケで、誰もが知っているような大企業でいいポジションで、良い仕事をすることで、自分がキャリアウーマンとして自己主張できる土台だと思っていたけど。
私は所謂キャリアウーマンではなかったんだと思い知らされました。
私は生粋のB型でワクワクドキドキする楽しいことにしか自分の本領を発揮できなくて、そのドキドキポイントは全然大手とか、肩書きとか有名な会社とか、高い年収とかじゃなくなっていたんです。
それは今の職場の”人があまり良くない”ということで気づけました。
自分が社内政治も、人といがみあうのも嫌いだということにも気がつきました。
一方で自分にとって”いい職場環境”、”良い同僚”、”前向きな業務内容”がとても大切な要素だということもにも気づきました。
今までの職場で当たり前にあったものが自分にとっては大切なことだったことがわかったんです。
あと、昇進に全く興味がないことにも気が付きました。
肩書きとか、社内でのポジションに全く興味ないみたいなんですよ、マジか。
でも仕事をするのは好きで、社会との繋がりも好きだからこれからも働き続けるけど、私はもうこのマウント地獄から抜け出したくなっていたんです。
23歳の時の私は、もっと人と張り合ったり、ギラギラしたものが好きでした。
でも28の私はもうそういうことはしたくなくなっていました。
■30代目前のアラサーがここでめっちゃ人生観変わるものなの!?
そんなこんなで今までコレだ!と信じていた軸で動けば動くほど、今の自分の本当の欲しいものと離れてしまう状態に陥ってしまいました。
そのため、否応無しに一度立ち止まって自分の人生のコンパスを修正しなければいけなくなりました。
面白いことに、この変化が現れ始めたのは丁度2019年の9月頃から2020年1月の間だとはっきり覚えています。
恋愛も、結婚も、仕事も、全部が急に変わったんです、それも一気に。
価値観が変化するのはもっと緩やかに少しずつだと思っていたのですが、きっと何かのキッカケで一気に気付いたのではないでしょうか。
こんなの本当に久しぶりで、大学受験を控えた高校生の時や、就活の時以来です。
自分は、”何で”、”どこに向かって”、”どうしていきたい”のか
まさかアラサーになってこんなことを考えることになるとは思わなかったのですが、ここではいっそしっかり受け入れてしまった方が気が楽です。
■今何に苦しんでいて、どうすればいいかわからないから辛い
色々と悩んでいる時、私は友達に相談しました。
そんな中で友達の進めで1冊の本に出会いました。
同じように、人生をこれからどうしようかという人に、どうやって今後の方針を決めていくのか教えてくれる本です。オススメです。
私が一番印象に残った部分は
非難を浴び続けてもデイブは我慢した。海洋生物学者になるのが運命だと信じ込んでいたから。彼は生物学の成績をあげるという”問題に”せっせと取り組み続けた。彼は頭の中にある問題に心奪われるあまり、本当の問題が見えなくなっていた。彼は生物学を専攻すべきではなかった。
長年学生たちの相談を受けてきて私たちは的外れな問題を解決しようとして時間をムダにする人たちを沢山目撃してきた。ラッキーな学生は早いうちにつまづき、もっと適切な問題に目を向けざるおえなくなる。ところがちょっとばかり優秀な学生は、不幸にも成功してしまう。私たちはこの現象を”不幸な成功”と呼んでいる。
私は、半年ほど仕事に苦しんでいたのですが
どうしてこの仕事がこんなに嫌なのか、ということを冷静に分析して、納得いく原因までたどり着くと、精神的負荷が随分と軽減されました。
私の場合、その理由は仕事内容ではなく、人間関係や社風、社内政治のウェイトの強さだということがわかったので
それらを上手く避けて、自分の仕事をしっかり熟すのは苦痛ではないことがわかって、現在かなり精神状態がマシになりました。
目に見えないものは、対処ができない。
いつ終わるのかわからないトンネルを潜っている時が一番辛い
また、友人に言われてハッとしたこともあります。
チャレンジをすることで得られるメリットは、実はこんな適性があったのだ!の他にも”自分はこんなにこういうことに向いていないんだ”という不適正があぶり出されることだ。それだけ分かればそのチャレンジは十分に意味があったと言える。
■できないことに挑み続けることはムダなのだろうか?
私が28で人生の価値観が一気に変わったのは多分それまでもがき続けて失敗し続けたからだと思っています。
恋愛も沢山したし、婚活もめちゃくちゃした、転職もした。
この実験の時期が終わって、それらの考察がで初めて、自分の中でそれが腹落ちした時期がたまたま28歳だったんだと思います。
全部の挑戦は本当に成功半分失敗半分、勝率50%くらいだと思います。
現職については、本当に辛かったんです。社内政治が一番大事な職場でそれが出来ないことはつまり”死”を意味するじゃないですか・・・・
しかも特に尊敬できる人も、学べることもないんですよね。そこが一番キツかった。
でも出来ない、私政治出来ない!って思ったときに代わりになる武器を身につけなければと思って必死に勉強も再開して仕事に取り組んだんです。
とはいえここで勤めた経験は今後活きていくだろうと思うし
今までも失敗も活きてきてるし
あと、弊社に関わらずある程度の業界ではこの社風は共通しているのだろうと思いました。もう二度とこの手の社風の会社に入ることはないよう肝に命じました。
そもそも怖いもの見たさで入った会社です。いい経験でした。
人生長いんで、20代のうちは失敗を重ねるのはあながち間違いではないのではないのだろうという確信は持っています。
■今まで見えなかったオプションが見えてきた
なんとなく今後どうしようと思った時、私は社会的なステータスをすでに手に入れたあとだったのでもうその欲は満たされていました。
次はもっと心に合わせて今後のことを選ぶことができるようになったのです。
20代後半はきっといろんなことが起きるだろうと思っていたけど、噂に違わず非常に濃い時期です。
流されず、自分の意思でどこまで道を作っていけるのでしょう。
人生とは何もしないには長すぎるし、何かをしようとするには短すぎるとは言い得て妙ですよね。
(オチなしですが終わりです)
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