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ご縁とタイミング

皆さんこんにちは、頭まっピンク系アカウント柚子です。
実は最近そこまでまっピンクじゃなくなってきました。
明日から新しい会社で新しいチャレンジが始まります。今日は、自分を鼓舞するためのノートを書きます。めっちゃ自分語りになります。

ご縁について

私はとても”ご縁”という物を大切にしています。何故かというと、その概念がとても自分にとってシックリくるからです。そしてそれは高校生くらいから意識しているのですが、意識をしていても、ご縁というものは本当にあるのだなと毎回思わせられます。

ご縁について、縁結びとか、あれこれと日本語でも概念としてはしっかり存在していますが、中国語ではもっと明確にご縁を大切にしています。
何かに巡り会うとき、何かを望む時、結婚する時、全てのことをご縁でカバーするブキャブラリーが中国語にあると言っても過言ではないかもしれません。

例えば「有缘千里来相会,无缘对面不相逢 」という言葉があります。
漢字の通り、
「ご縁があれば1000里離れていようが必ず巡り逢うし、ご縁がなければ向かい合っていても逢っていないのである」という意味です。

また、ご縁というのは中国語では「可遇,而不可求」という性質で形容されます。これは、「遭遇することのみ可能で、求めてどうにかなるものではない」という意味です。

また中国語でご縁は「缘份」と2文字なんです。そして”有縁有份”
つまり縁だけあっても份だけがあってもダメで、この2つが初めて揃ってご縁なのだと、そういうのです。

タイミングについて

縁について、ふとした時にいつも考えます。
縁は分かる、では份っていうのは、一体なんのことなんだろうか。

なんとなく、それはタイミングなんじゃないかと思っているのが今です。
これって、別に縁がある人とタイミングが合わなかったらダメだとか、縁があればまた巡り会うとか、そういうことではないような気がして
本物の縁(縁份)があればピッタリとしたタイミングでその巡り会いがあるものだということなんだと思っています。

神様はその辺り、絶対に間違わない、本当は縁があるのにタイミングが悪かったからそれがダメだったなんてことは、絶対になくて
自分に用意をしてくれている出会いというのは、寸分違わず最高のタイミングで自分にくれるもので
そのタイミングというのは自分の準備が整ってからなのだと、27年生きていてとても実感している。

ご縁と運命

私が縁という言葉をとても大切にしていてとてもシックリきている理由の一つが、縁は運命とは違う概念であるというところです。

運命というと、既に決まっていて後からは変更が効かないことで、良いことにも使うけど、悪いことにも使われる概念です。
でもご縁というのはそういうものではなくて、自分の力で引き寄せられる、小さなスタンドみたいなものだなと思います。
自分の中で何かを頑張ろうと思って、頑張って、そうするとそのやり方に応じて何かが返ってくる。縁っていうのはそういうものな気がする。
自分に合わせたものが、そのまま返ってくるそんなイメージ

そしてご縁がもらえるキッカケになるのはいつだって小さな勇気から
ご縁が一つ、また一つ繋がって自分の道ができて、それがまた次の縁を手繰り寄せる。何が返ってくるかは自分の意思で支配できるものじゃないけど、ちゃんとしっかりとやっていれば、必ず自分にとって良いものが返ってくる。
道のような、波紋のような、小さなゆらゆらした繋がり

きっかけはいつも小さな勇気から

私がご縁を意識できたのは高校2年生の冬の時でした。
好きな男の子が振り向いてくれるかもしれないと思って、大学に進学がしたくなったんです。元々勉強なんて殆どしていなくて高卒でもおかしくなかった私は、大学受験をすることに決めました。どの大学にしようと思った私は、同じクラスにいた瑞樹ちゃんにオススメを聞きました。そしたら彼女は私に東京の国立大学をススメしました。

うちの高校は駒澤大学が出れば御の字のレベルの高校で、これもご縁としか言えないけど、たまたま私たちの代に特進クラスができて、そこの子達は凄い躍進をした子ばかりです。
上の瑞樹は筑波大学に入学し、学部を飛び級した後、院で教鞭をとっていたりしています。その他にも、慶応、早稲田、明治、青学がポンポン出て
その中で私は東京の国立大になんとか入学し、そして主席相当の成績で卒業しました。

社会人になり、私は外資の会社で基礎を作って、次のキャリアを築こうとマーケティングの会社に移りました。そこで大好きだった彼氏と別れて、人生がどん底まで落ちて、それを埋めるように沢山無駄な付き合いを繰り返しました。

仕事ではシステムとマーケティングの勉強を散々した後、どの業界に行くか本当に迷っていたところ
本当に1回しかあったことがない女の子が私と同郷ということで、その集まりのクリスマス会に呼んでくれたんです。彼女の前向きな姿勢から、彼女が美容業界にいると聞いて、美容業界に興味を持ったのです。

その2ヶ月後、また謎の政府の国際交流パーティ(文部大臣とか居たよ)になぜか招待されて、そこで知り合った女の子に3月に呼んでもらった謎の集まりで知り合った今の会社の社長と出会って、美容業界に入ることになりました。歴史と、技術と、知名度がある、とても立派な企業でした。
美容業界は私にとって天職のような業界でした。ここだ、私はこの業界でこれから食っていくんだって、腹を括ったタイミングでした。

その入社の2ヶ月後、父が他界しました。
私は荒れ狂って、今度は少し試しては切るを繰り返すような関係を繰り返すようになりました。

そこで部署の立ち上げをして、香港、アメリカ、中国、関西、沖縄、色んなところに出張をして、マーケターとしてのスキルも美容業界についての見識も、どんどん磨きました。

そして、ついに、とても立派でとても大きい企業から声がかかって、引き抜かれました。
明日から私は、その企業の一員です。
何よりも、物凄くチャレンジグな仕事を任せてもらえます。
きっと信じられないくらい、忙しくて、大変で、楽しいんだと思います。

私は奇跡みたいなルートでご縁を広げたけど、それは私が腹を括ったからなんだと思うんです。

仕事とプライベート

仕事が信じられないくらいトントン拍子でうまく行く中で、プライベートは死ぬほど辛い日々が続いていました。

この2年私はずっと、元彼を引きずっていました。父に見せたい一心で彼に結婚を迫り、彼を苦しめて、あんなに大切にしてくれた彼と別れて、そしてその父も亡くして。悲しくて、苦しくて、自分を苦しめるようなことをして自分を罰してきたような気がします。
浅い関係を繰り返して、自分を苦しめて。ボロボロに傷ついて、それで満足していたような気がします。
またそのレベルが激しいものから、どんどん穏やかな罰に落ち着いて行ったことも気が付いていました。
ご縁が、自分の行動に対する見返りなのだとしたら、今日、この時点までの男縁は全て私が自分で望んで手繰り寄せた縁だったと、今ならわかる。
だって私は、幸せになれそうな人は絶対に選ばなかったから。そこに沢山いたのに。

今年の8月に元彼を手放せて、9月に出会った人と付き合って、まぁダメだったけど、それでもこの彼氏と付き合ってから、元彼のことは完全に忘れられました。それだけが、この彼氏にこだわっていた理由です。
でもどうやら、この彼氏は私の元彼を忘れさせるだけのご縁だったようなので、バイバイしなければいけません。

でもきっともう大丈夫。気が済んだから。
そろそろ、ちゃんと幸せになりたい。と思ったから。
焦りもなくて、しっかりした気持ちで居られているから。
もうちゃんと新しい縁を作る勇気が出来たような気がします。

昔、元彼と付き合っていた時と、今の私では、見える景色がうんと違うから
多分全然違う形になるのかもしれないけど、ほんの少しの勇気をちゃんと持って明日から、頑張っていきたい。

仕事だけじゃないくて、ちゃんとした相手と大切にし合える恋愛がしたい。ご縁はいつだって腹を括った人の元に来るから。

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