5000円の使い道

「今までお世話になりました。ありがとうね」

そのセリフと共に、僕は5000円をもらいました。どうも断り切れず、少し嬉しいという気持ちもありながら、「もらわないのも、相手の気持ちに沿わないよな」と思いながら。

5000円をくれたのは、僕が勤めている老人ホームのおばあちゃんでした。
福島出身の方で、脚の自由はきかないものの、認知症などもなく、普通に会話ができる面白い、おばちゃんとおばあちゃんの間のような方でした。

詳しく理由は聞いていないですが、あと1週間ほどで施設を退所されるとのことで、何回かお話もしていて少し仲良くなった入居者さんでした。

「えぇ、こんなのもらえないですよ!」

そう言いながら、内心僕は喜んでいました。5000円ということは、何時間分の労働...みたいな。笑 下世話な話なんですけど、まぁ正直に書きます。笑

ただ、せっかくもらったこのお金を、(ただの5000円と言えばそれまでなんですが)僕は何か特別なことに使いたいと思いました。

5000円なんて、1週間もあれば食費に消えていくし、飲み会なんてすれば1回で消えていく金額です。
でも、なんとなく違う使い方をしたいな、と、そう思えました。

欲しいもの、欲しいもの...と考えましたが、何もありませんでした。
おいしい食べ物、新しい服、ピアノのペダルetc...
あったら嬉しいものはたくさんあるけど、別に「欲しい」わけではない...
そう思った僕は思いつきました。

「よし、自分じゃない誰かのために使おう」

自分の頑張りで得たお金ではないし、なんとなく自分のために使うのは違うような気がして。
でも、偽善のような気もするし、そういった考えをこうnoteに書いていること自体、見栄っ張りというか、ええかっこしいなんだなぁと思うのですが。
ただ、実際にそれをやってみようと思うと難しい。

「こういう理由で5000円手に入ったんやけど、何か欲しいものない?」

「えー、それはゆづるさんが大事に使ってください、おばあちゃんの気持ちです。」

「俺でええんかなぁ、でも言うて物欲あんまりないんよなぁ、他の人にあげてみて。」

「寄付とかしてみたら??」

大好きな人たちのために使う、ということが割と「自分のために使う」ことだったりするなと思ったのですが、さすがになかなか上手くは行きません。

僕自身ももし逆の立場だったら、なんとなく申し訳ない気持ちがあって、素直に欲しいもの(あったとしても)を言えないような気はします。
あげる側からすれば、自分のためだけに使うよりも、誰かのために使うことのほうがなんとなく広がりがありますし、自分も気分がいいですし、お金もそれを喜んでくれそうな気がします。

ただ今回の5000円もらった事件を経て、人のためにお金を使う、というのは、意外に難しいものなんだなぁと思った次第でした。

それを簡単にやってのけた、僕に5000円をくれたおばあちゃんは、流石だなぁと、思考がぐるぐる回るのでした。

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