RE_PRAY感想 -前半-

今のタイミングでこれを書くのはどうなのかと考えましたが、ひとりのファンの感想でも応援になるのならと思って久々に書くことにしました。
(久々すぎて表現が拙いであろうことは勘弁していただくとして)

RE_PRAY 埼玉公演、幸いなことに両日とも現地に行かせていただきました。GIFTで学習したのでディレイビュも当然履修。
今はその時の感覚とCSで補完した記憶、プログラムの歌詞や下敷きにしたであろうゲームの知識(自分でやる時間はないので動画をありがたく拝聴)を元に書いていきます。
あと個別のプログラムについては深く書きません。そんなことをしたら終わりがなくなるのでプロット部分についてが中心です。あと当然ネタバレありなので嫌な人はおかえり下さると幸いです。
- 前半まで書いて5000字を越えるという力量のなさを露呈してしまったので前後半で分けます… -


まず最初に思ったのは「わりと普遍的なテーマを選んできたぞ…」でした。またこれで「羽生結弦」とは切り離して観た方がよさそうだとも思いました。
また散文詩のような文章、語りも映像も羽生さんなので、主語がわかりにくい表現になっています。おそらく意図的にぼかしているようにも感じられて考察が本当に捗ります(終わらないぞっと)。

ゲームをしている羽生さんの横顔からよくあるRPGのスタート画面へ。その間ずっと目覚ましのような音が鳴り続けています。
公演日のセーブデータを選択してスタート、中央奥で白いローブのようなものを纏った羽生さんが舞い、次のプログラム名「いつか終わる夢」が表示されて演技が始まります。
この演出は少し変えて後半の始まりでも繰り返されます。おそらくこのセーブデータのサブタイトルとして明示する意図があったのではないかと思いました。プログラムが終わったあとショート側のカメラをわざと手で隠して画面を真っ暗にする演出も今から別世界に入るという暗示のように受け取りました。

その後映像と語りのパートへ、その中では物語を語る羽生さんとゲームをする羽生さん、ゲームが写っているモニタが出てきます。
周囲にある命への言及と映像の中のモニタ「息をする、できない、やめる」という赤い文字でが埋め尽くされて、いったん切れます。バックでは苦しい呼吸音。
再度周囲にある命の激流への言及とそれを手に入れればここから逃れる力を手に入れられそうだという語りが入ります。この語りが途切れたあと口元を見ると何か言っているのがわかります。おそらく「あとひとつ」ではないかと推察しました。これは下敷きになっているUndertaleというゲームの設定で7つの魂を集めると地上への扉が開くこと、すでに6つ集まっていてあと一つで叶うことと合致するからです。うーん、作り込み半端ない。

そして「流れる命を 手にする?」問いに YES / NO の選択肢が表示され、前半ではYESを選択し光が手のひらに集まる映像が流れます。
そして「流れる命を 手にした / 生物の命を つみ取った」と表示されます。ここでわざわざ「生物の命を つみ取った」とあります。つまり激流から逃れる(生きる)代償が自分以外の命だと。あらゆる生命は自分以外の生命を食べることでしか生きることができません。その後の語りでも直接的に「食らう」とありますし、「生きる力を手に入れた」の文字表示でも「生きる」がわざわざ血を連想させる赤字になっています。なかなかキツいメッセージだなと。

その後、羽生さんが口元から蜜を垂らすシーンが出てきますが、これは次のプログラム「鶏と蛇と豚」への暗示だと思われます(歌詞参照
いやしかしアイスショーの最中に読経が響き渡るとか斬新すぎますし、羽生さんの楽曲に対する守備範囲の広さには驚かされます。またほとんど表情の見えない暗いアップなのに、狂気と恐怖を感じさせる表現力に脱帽です。
この曲の終わりにはショートのリンク外にあるせり上がりに登り語りに合わせて演技します。
ここの語りがまた難解です。「崩れかけた命、魂、器、そこに生きる力が宿る」すなわち「命、魂、器」と「生きる力」は別のものということです。「生きる」には「決意」が必要なのだと。自分の意思で流されずに進んでいく、その世界では自分がルールだと宣言します。心臓の鼓動のような音が鳴り続けるのも生々しい「命」を感じさせます。

羽生さんをモデルにしたと思われるドット絵がリンクに映し出され、語りとともに映像でゲームが進行していきます。その最中強くなるためにガンガンモンスターを倒していきます(スライムカワイイ)。そして強くなっていくことで自由を手に入れたという趣旨の語りのあと「夢をみた」と続きます。この夢の中で「トロッコ問題」が提示されます。「5つ」を選ぶか「1つ」を選ぶか、初日と二日目ではここの選択が変化することで途中のプログラムと語りや映像が変化します。初日は「5つ」を選びホプレガ、二日目は「1つ」を選び阿修羅ちゃんでした(早く二日目の映像を見返したい)。プログラム終了後には「夢の中の世界は再構築された」と語られます。

ホプレガは大好きなプログラムなのですが、この時は優しさよりも自然の厳しさの方が感じられる演技でした。ここまで演じ分けられる羽生さんの表現力がすごい。それだけ一つ一つのプログラムに愛情があるということだと思います。

またゲームの画面と語りに戻ります。これまで強くなるために命を殺め続けたことが間違ったことなのかという問いとそれに対する正解はないという答え。この世界で戦い、抗い続ける「決意」が語られます。映像の中のモニタでは「戦いの決意」が選択されています。
場面が展開され羽生さんがゲームの中に沈み込んでいくような映像の後、ドット絵のキャラではなく羽生さん自身が戦う映像になります。一方でその画面を見ながらコントローラを動かす羽生さんがいます。その中で戦っている羽生さんは何度も死んで、コントローラを握る羽生さんはコンティニューを繰り返します。そして最後に「おまえ、ここに来るまでいちども死んでないよな、それとも何度死んできた?」と問いかけられ、次のプログラム「MEGALOVANIA」に続きます。このプログラム氷を削り叩く音のみでスタート、しかも映像から抜け出してきたような衣装で、とりあえずめっちゃくちゃカッコいい!
ここの問いかけはUndertaleにもあるそうですが、非常に重く感じました。キャラは何度も死んでいるけれどプレイヤーは死んでいない。繰り返す選択をしているのはプレイヤーなのに実際に死ぬのはキャラの方。プレイヤーの「自由」な選択はキャラの犠牲のもとに成り立っている。
自分の「自由」が他人の犠牲で成り立っていないか、それを忘れていないか、その責任を取れるのか、色々考えさせられます…

その後またドット絵に戻りゲーム画面と語りが始まります。そしてゲーム側から問いかけられるのです。
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ようこそ よくここまできた
欲望のままに ここまできた気分はどう?
好奇心だけで
区区たるモノを踏み台にしてきた気分はどう?
ここに至るまでの人生(みち)
様々なことがあっただろう。
あなたは知っている。勝利することの快感を。
道を切り拓くことの達成感を。
そして、
次の物語の展開を楽しみに待っていた。
何もかも乗り越えてきたつもりだろう。
だがそれは、大きな勘違いだ。
振り返れば分かるだろう。
乗り越えてきたんじゃない。
他人も、身体も、精神も、
自我も、命も、道徳も、倫理も、理性も、想いも、
夢も、希望も、憎しみも、嫉妬も、決意も、
全て壊して、
踏みつけて歩いてきた世界だ
ただ考え、見ていただけ?
選んだのだろう?
見続けるという選択を。
この世界を見たいという心のままに。
同時に、進めるよう、応援していたのだろう。
一緒に戦っていたのだろう。
”レベルアップ”(経験)してきたのだろう。
何度も止められるチャンスはあった。
それでも、物語に委ねてきたのだ。
もう、止められない。
さあ、最後だ。
これで 最後だ。
突き進むために、ここまでの想いのために、
選択しよう
あなたの世界に、
越えるべき壁は
ありますか?
壊すべき壁は
ありますか?
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この内容を友達にでも話しかけるような軽い口調で投げかけ始める、そのギャップに心臓がギュッと掴まれます。倒す側と倒される側、表裏でどう捉えるのか、どちらが正しいのか、正しいことなどあるのか、その選択はさせられたものではないか、選択に対して傍観者になってないか、答えのない問いかけを突きつけられているようで、まだ咀嚼しきれていません…

その後アズゴアの音楽とともに、リンク上に羽生さんが出てきて選択肢のアイコンが表示されます。しかしそこにはYESしかありません。先の語りの通り、もう後戻りできない、実質選択肢はないということが明示されます。そこを羽生さんが踏み6分間練習がスタートします。
初日は何が起きたのか一瞬わからなかったのですが、サイドの画面に映し出された砂時計のドット絵とカウントダウンの表示で「6分間練習だ!」と理解しました。しかし練習中の所作でさえ音楽にあっていてもはや演技か練習かわからなくなるレベル。音楽が鳴っていれば合わさずにいることは不可能なのだろうなと。
そして3分を切ると音楽がFF9の「独りじゃない」に変わり語りが入ります。
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戦う
こわす
戦う
何と?
わからない
いや わかっている
けど わからなくなってくる
ほんとうに壊すべきものがある
戦うべきものが目の前にある
ただ 壊すことだけがすべてなのか
わからない
わかりたくもない
コワセ
コワセ
進むために
コワセ
おれの決意が
やっとだせる
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正直「おれの決意が やっとだせる」の声のトーンとその後のクジャ様が憑依したような表情に心臓が縮みあがりそうな恐怖心を覚えました(観るたびに怖くなる…)。
またプログラムのタイトル「破滅への使者」が羽生さんの声でコールされるのですが、初日はおそらくミスで途中で途切れてしまいます。前半の最後がデータが壊れてセーブできずに終わることから、最初はミスなのか演出なのかわかりませんでした。

プログラム終了後「CLEAR」の文字が表示され、データをセーブしようとしますが「セーブデータが壊れています」「ERROR」と出てきて崩れ落ちながら羽生さんがはけて前半が終了します。

現地では、頭の片隅で「展開早いな、前半でゲームクリアするぞ、どうするんだろう?」と思いながら観ていたので、「そうくるか?!」という衝撃と「(先が)読めなくなったぞ」という驚きで前半が終了したのでした。

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ここからは前半を通しての考察を。
まず「いつか終わる夢」の前にずっと目覚まし時計のような音が鳴り続けていることで、現実世界とゲーム(夢)の境界が曖昧に感じます。まるで白昼夢のような不可思議な感覚です。
そして「生きる」ために食らうことが明示されますが、画面に映されるのは語りをしている羽生さんです。ゲームのキャラではありません。実際にキャラに「生きる」を選択させたのは「プレイヤー」だろう、食らっているのは「プレイヤー」も同罪、傍観者じゃないだろうという主張だと思いました。
そうすると「生きる力」を手に入れたのは誰なのか、ますますわからなくなります。
そしてトロッコ問題が出される前に「夢を見た」と語られ、トロッコ問題は夢の中の話だとなります。観客はプレイヤーはスタートの段階でゲーム(夢)を見ている設定です。ではこの「夢」は一体誰の夢?
下敷きになっているUndertaleのGルートでは、終盤に近づくにつれキャラが時々コントロールしていない動きをするようになるそうです。これはキャラが意思を持って乗っ取っているという解釈を見ました。
同様にRE_PRAYの中でもプレイヤーではなくゲームの中のキャラの意思が反映されていく表現があり得ると考えると、この「夢」はキャラの夢、トロッコ問題はキャラの選択(意思)と考えられます。そしてトロッコ問題の選択で「夢の中の世界は再構築された」とあるのでプレイヤーから見たゲームのストーリーがキャラの選択で変化するというメタ構造が見えてきます。
「破滅への使者」の前の語りでは、最初はプレイヤーらしき口調だったのが途中からカタカナの「コワセ」に変化し最後「おれの決意が やっとだせる」では全くの別人の声のトーンになります。この「おれ」は一体誰なのか?
トロッコ問題のあたりで見えてきた、キャラがプレイヤーから選択を乗っ取るという構造の最終形がここだとしたら、「破滅への使者」で意思を持って戦うのはキャラであり「おれ」はキャラだと考えられます。これをゲームの暴走だと考えると最後でデータが壊れてセーブできないことも辻褄があうと思いました。
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うまくまとまらないのですが、この色々な主語で語られている多重世界を観ているという発想からの解釈は後半と合わせてもう一度試みたいと思います。というか諦めずに後半も頑張る!

しかし考えれば考えるほど、深みにはまって「なんてものを供給してくれたんや(もっとくれ)」という思いでいっぱいになります。

ありがとう!羽生さん!
大好きだー!!!


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