私が翡翠キセキである意味。

2月23日。
昨年の今日、私がアイドルになれることが決まった日。オーディションの時の事は昨日の事のように鮮明に覚えてる。

昨年の2月14日、私は透色ドロップさんの最終オーディションを受けました。たくさん準備して挑んだオーディション。私はこのオーディションに全てを賭けて、勤めていた会社も辞める事を事前に伝えていたし、他の誰よりも努力した自信があったから受かる自信もそれなりにあった。
でも、最終審査から1週間以上、合格通知が来なくて
あぁ、これは落ちたのかな…って
私はアイドルになれないのかなって、毎日不安に過ごしてた。

それでも、待ってる間でも何かできることがあればしたかったし、もし落ちたら「私、今ある曲全部踊れるんです!!それくらい本気なんです!!」って直接直談判してやろうと思って(笑)自分でスタジオ借りて、もし落ちた時にLINEに送りつける用の動画を撮ったりもしてた。懐かしいな笑


まさかこの1分後に合格通知が来るとは
微塵も思ってなかったけど。




そんなこんなでアイドルになれる事が決まって
やっと不安から解放された安堵と
夢が叶った喜びで1人でスタジオでわんわん泣き崩れたけど、いざ運営から来た合格通知は、新規立ち上げグループの初期メンバーになりませんか?というお話だった。

私はアイドルになれるならどこのグループでもよかったわけじゃないから、正直、すごくすごく迷ったけど 
私は新規グループの可能性を信じて
翡翠キセキとして活動をする事を決めて
神谷優月としてのアイドル人生をスタートさせました。





翡翠キセキ、デビューして7ヶ月が経ったわけだけど
もうすぐ8ヶ月かな?
この間にもたくさんの事がありました。
今でこそ吹っ切れてるけど
ホントに悩むこと、たくさんたくさんありました。

ここから話す事はかなり私の本音の部分が含まれてるから、もしかしたらあまり良く思わない人もいるかも知れない。
だけどこれがホントの私の気持ちで伝えたい事だから
どうか知って、受け止めて、今とこれからの優月を見てほしい。





私のアイドル人生は『翡翠キセキ』という名前も何もないところから始まった。
私たちのグループ名が決まったのは初めてイニシアチブの振り入れをした日かな?まだ、人生初めての振り入れで頭がいっぱいいっぱいの中、レッスン後に集まってグループのコンセプトや衣装モチーフなどを説明されました。

『翡翠キセキ』

何もない私たちに、名前が付いた。
それだけですごく嬉しくなって
静かに涙流してたのも今でも覚えてる笑

でも私はまだこの時
何もないところからアイドルグループを作ることが
こんなにも難しい事だなんて、思ってなかった。




私は、翡翠キセキに入って
何もない、0からグループを作る難しさを知った。
私はの思い描いてた理想は、遥か遠くにあった。


名前を知ってもらう。
曲を聞いてもらう。
顔を覚えてもらう。
ひとつひとつをみれば簡単のように思えることが
すごくすごく難しかった。


7月にデビューして、0から1になったけど
1を10にする事も、難しかった。


最初の3ヶ月はほとんど事務所内の対バンしかでれなくて、(まず出させて貰える事がとてもありがたい事だけど)いくらライブをしてもなかなかファンも増えなくて
本当に私たちは前に進めてるのかわからなかった。
進んでる方向があってるのかもわからなかった。
大切な仲間も1人欠けてしまった。
不安と闘いながらただがむしゃらに走り続ける日々。





毎月のように新しいグループがデビューしていくこの世界。同じ時期にデビューしたグループさんは、私たちよりはるか先を走ってる人もいる。

何もないところから始めること。
大きくなるのに時間がかかるのはわかってる。
でも、内心すごく焦ってた。

すると、自分の中に出てくるのは
もし、翡翠キセキと違うグループに入っていたら
もっと違う未来があったのかな。
私もあそこにいたら、今頃もっと輝けてたのかな。
そんな気持ちになってしまうこともあって
そんな自分が嫌だった。




私の居場所がここである理由ってなんだろう。
私が翡翠キセキに居る意味、意義が、中々見いだせなくて、ライブをするなかで自問自答を繰り返してきた。

そんな時、はじめて事務所以外の大きなイベントに呼んでもらえたのが横浜1000CLUBでやったライブだった。
私が大きく変わるきっかけは、このイベントだったと思う。





はじめての事務所以外のイベント
イベントの動員がすごく重要になってくる。
だからたくさん告知もして、大事ライブなんだって
showroomや直接たくさん話してたの。
けど、正直私はそんなに期待はしていなくて
平日の横浜だし、来れる人は少ないだろっなって思ってた。
だけどね、ステージに出た瞬間
たくさんのペンライトが見えた。
特典会が始まると、知ってる人、お仕事終わりに駆けつけてくれる人がたくさんいた。初めましての人もいた。
マネージャーさんから伝えられた動員の数。
今までに聞いたこともないような数で
自分が思ってたよりもずっと多くて
嬉しくて嬉しくて、涙が出ました。

あおちゃんが卒業して、3人になって
ファンが減ってないか、離れてしまわないか。
ついてきてくれるか、ずっとずっと不安だった。
だけど、私たちが大事だから来て欲しいって伝えたら
お仕事終わりでも、休みを取ってでも来てくれる人が
こんなに居る。友達を連れてきてくれる人がいる。私たちは、こんなに愛されてたんだって知って、3人でも頑張っていきたい。この3人で頑張りたい。そう強く思うようになりました。

そこから少しずつ事務所以外のイベントにも出れるようになってきて、翡翠キセキのファンも増えて、ライブも今まで以上にみんなが楽しんでくれてるのが伝わってきた。


翡翠キセキの曲好きだよ!ダンス好きだよ!
パフォーマンスいいよね!仲良いよね!!

そんな言葉をたくさんもらって
私は翡翠キセキの事が
どんどんどんどん好きになっていきました。

メンバーがすき。
ファンのみんなが好き。
曲がすき。
ダンスが好き。

みんなが、翡翠キセキの神谷優月が好きって言ってくれたから
翡翠キセキの事が好きっていっぱい伝えてくれたから
だから、私はここで頑張りたい。
この居場所で、私はもっと活躍したいって思えた。

このグループで、この曲で
私たちにしか届けられないものを届けようって
本当に思えたんだよね。
私がここに居る理由は、みんながくれました。
だから、本当にありがとう。


最近ライブ中よく思うのは
翡翠キセキの曲、歌詞は
私の気持ちや境遇そのものを歌ってくれてるようにも思います。
もちろん、私が翡翠キセキのメンバーになるって決まった時、私の気持ちやこれからの事なんて事誰もわからなかっただろうし、歌っていくうちに、私自身がそうなっていったのかもしれないしね。

だから私は、他の”誰か”じゃなくて
”優月が”翡翠キセキの歌を歌うからこそ
その歌詞に入り込めたり
歌詞の内容に説得力が出るようなアイドルになりたい。
そーゆー生き方をしたい。





私は、アイドルで居られる今が本当に楽しいです。
そして、翡翠キセキをもっともっと大きなグループにしたい。
今年はTIFに出たい。もっと大きなステージに立ちたい。
絶対、絶対に。

だから、これからの翡翠キセキを見ててください。
翡翠キセキの神谷優月を見ててください。
きっと翡翠キセキはこれからどんどん変化して、進化していくんだと思う。それが良い方向に行くのかは私にもわからない。だけどみんなが居るから大丈夫。2人と一緒なら大丈夫。一緒についてきてください。
アイドル経験もない、何もないとこからはじまった私たちがどんな風に成長していくのか、1番近くでみててよ。

みんなの事が大好きです。


翡翠キセキ 神谷優月

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