「偶像」を愛する-阿部亮平誕生祭2023によせて


阿部亮平さん、30歳のお誕生日おめでとうございます!

30歳……30歳……⁉️ほんとに⁉️
あまりにも実感が湧いていませんが、めでたい日であることに変わりはありません。

なにはともあれ30歳という節目の年なので、記念日にかこつけて久しぶりにnoteでも書こうかなと筆をとっている、そんなオタクでございます。

さて、30歳。
孔子が言うには「而立」のとき。
ようやく学びが実を結び始め、自分の力だけで立つことができるようになる年齢……らしい。
立場が盤石なものになるともいう。

アイドルの30歳って世間一般の30歳とはかなり意味合いが変わると思っているけれど、いざ30歳を迎えたあべさんは、「而立」の実感はあるのかなあ。

ま、あべさんに対して「而立」を説くのはあまりにナンセンスなので、この話はここで終わりにするけどね。←風呂敷広げるだけ広げて回収しない悪いオタクの典型例


大風呂敷を広げたところでタイトル回収といきますか。

私は常々、アイドルというものは「偶像」であると感じている。

精選版日本国語大辞典(いつもお世話になっております)によると、「偶像」という言葉の辞書的な意味は、

(比喩的に) あたかも神や仏のように崇拝の対象となっているもの。

コトバンク-精選版 日本国語大辞典

というものらしい。

アイドルって生身の人間ではあるけれど、ありのままの「その人自身」じゃない。
崇拝(=熱狂的な応援)を受けるために作り出された一種の「偶像」なのだと、感じています。

ファンが求めるもので形作られた、像。
実際に存在している人間とは違う、「まやかし」の存在。

アイドルってそういうものだと思う。

だからさ、アイドルたちは我々のために「偶像」を作り出してくれているってわけですよね。意識的にも無意識的にも。ありがたいなあ。

そしてあべさんは、その「偶像」がぶれないなあ、と思うわけです。
アイドル像、と言い換えてもいいかもしれない。

ファンの声をよく聞いて、外面も内面も磨き上げて、求めているものを的確に見せてくれる。
外面で言えば、ドームの時の髪の毛アンケートとかすごいもんね。ただ勢いでメッシュにするんじゃなくてファンの声をわざわざ聞いてくれたわけだからね。ちなみに私は金メッシュに投票しました。(そか)

それに、内面だってそう。
彼が作り上げたキャラクターを損なうような言動はほとんどとらない。
頭が良くて、温厚で柔和で、1歩引いたところで物事を俯瞰する。王道シチュエーションが大好きで、ファンへのリップサービスはお手の物。でもちょっとプライドが高くて、時々少し様子がおかしい。
そんなキャラクターをいつだって守り続けるあべさん。カメラが回っているところでは、絶対にアイドルで居続けてくれる。
ちょっと頑固すぎくらい、こちらから見える「偶像」を守っている。

そんなふうに、私からは見えるのです。

それと、「偶像」であるという意識もかなり高いなあと思う。

例えばドームが終わって間もない時期にインタビューを受けた雑誌でさ、「自分が発信する言葉の受け取られ方」について語っていたものがあったんだけれど。
その中で、人気が出て注目されるようになると、それだけ言葉の受け取り手が増える。だから最近は「自分の発した言葉の解釈」が意図しない方向へ独り歩きすることがあって苦しい、的なことを言っていた。あべさんがそのことについて言及したという事実が、あまりに衝撃的だった。
それと、本人はそれはしょうがないこととして割り切っていたけれど、そこに諦めが滲んでいるのが印象的だった。

常々彼は言葉を選ぶ人だと思っていたけれど、それって「偶像」を作り上げるうえで1番重要なことだと思う。
言葉で人は全てを認識し、解釈するから。

そして、言葉を選んでも選んでも間違った受け取り方をする人がいる事実をわざわざこちらに伝えることで、こちらに一線を引いたのだな~と感じたわけです。
「自分は生身の人間じゃないぞ」、と。


ここで突然の隙自語。
私は今年からいわゆる専門職として働き始めたのだけれど、自分が普段仕事をしている相手に対して、つねに「偶像」でいなければならないと感じている。自分が「偶像崇拝」をされている、とまではいかないけれど、まあある程度の崇拝を受ける立場ではあるとは思っているし、実感もしています。……決して怪しい仕事じゃないよ!職種の濁し方が下手すぎるだけだよ!

「相手」にとって自分は少なからず尊敬の対象であり、だからこそ素の自分ではいられない。プライベートを探られても上手くかわすし(かわせないことも多いけれど)、求められた人物像をかなり「演じている」という自覚がある。そういう仕事。
その際、情緒は穏やかであるに越したことはないし、必要以上に踏み込まれないためにも、見せたくない部分はかなり慎重に隠している。一線を引く、という動作が目に見えるものであったなら、私の周りはチョークで書かれた真っ白な線だらけだ。ちなみにチョークだからいつでも書き換えられるよ!

なんだか話が脱線したな。
まあ何が言いたいかというと、あまりにも烏滸がましいけれど、少しだけ、ほんの少しだけ、あべさんの「アイドル」というお仕事の姿勢と似ているなあと思うのです。だからこそ「偶像」を作り出すその気持ちが分かるし、尊重したいし、その「偶像」を愛したいと強く思います。

あべさんは、比喩ではなく「一生アイドル」でいる人なのかな、という予感すらある。そんなひと。
今のご時世で「アイドル」という職業においての一生を考えるのは難しいところもあるけれど、あべさんは応援してくれる人間がいる限り、その人たちの前で「アイドル」で居続ける人だと思います。

そんなあべさんが作り出した「偶像」を、私はずっと見ていたいし、守り続けたいと思う。
隠したい部分は詮索しない。見せたくないところに深入りしない。だってあべさんは全部ことばで説明してくれるから。

彼が色々なものを犠牲にして、努力して苦労して、作っては壊してを繰り返して、長い年月を経て作り上げたこの「偶像」を、これからも私は応援するんだ!という決意表明でもあるのかな、このブログ。今気づいたけどね。

そんなこんなで、このブログはこんなタイトルになったのです。


30歳になった阿部亮平さんへ



あなたの思う「阿部亮平」を

あなたの作る「阿部亮平」を

あなたが見せてくれる「阿部亮平」としての全てを

私は愛し続けます。

2023.11.27 柚

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