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背中を押されているような気がする

 もうすべてが嫌だ。うだるような暑さに加えて、体調もすぐれない。仕事だって目立つような活躍ができておらずくすぶっている。人生のパートナーも見つからない。友達に会うのもコロナで制限されているし、まぁ面倒だ。身の回りのことをするのも嫌だ。部屋が汚い。部屋の乱れは心の乱れというものの、まさに乱れだらけだ。

 そんなこんなで上手くいかない中、大叔母の死の報せがあった。もう90歳間近でずっと寝たきりだったので、いよいよかという感じであった。父母は喪服を持たないという私に驚いていた。父母世代では得意先への弔いなど何かと要したという。母に黒い服を借りて通夜に参加した。

 コロナ禍で人数が限られてはいるものの、老若男女の親戚に顔を合わせるのは気分転換になった。あの子がもう高校生、だなんてみんなで盛り上がる訳だ。お坊さんの御経は私が記憶していたよりもずっと短くて、お焼香もあっという間だった。誰も泣いている人もいない。前向きなお通夜という印象だ。私はお葬式には出ない予定だったので、大叔母に最後の挨拶をした。

「小さいころ、いつもたくさん遊んでくれてありがとう。ばいばい。」

 さすがに少し泣きそうになったが、いい大人なので耐えた。
 それから数日が経った今、びっくりするくらいこれまでの鬱憤が気にならない。天国とか云々あまり信じてはいないけど、大叔母の死をきっかけに私は人生の辛い何かを乗り越えることができた訳だ。まるで背中を押されたような気がしていて、とても清々しい。

 この私にとっては大きく、周りからみたら大したことない変化だが、覚えておきたいと思いキーボードに打ち付けている。私なりの大叔母への追悼である。これからも嫌になったら、背中を押されたことを思い出して頑張れそうな気がする。

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