ゆるオタ、内情吐露

こんにちはこんばんは、元若排リアコ、現どこかのゆるオタです。(毎回若排って書いてますが一応検索避けの為です。あと風刺。)

もう若排のリアコではないからこの名前もどうなんだろう、とは思っているが、この名前で始めたし今更変えるのもな、とも思っている。

ダラダラと生産性も無く生き、下らなくて答えの出ない哲学を思惟し、日々回らない頭で唸り、脳死で仕事をしている。
ほぼサボってるけど。

躁鬱になってからずっと脳に霧がかかって晴れず、集中して何かを考えるという事ができなくなった。困るなーとは思うが、私なんかが出来る事、オタクだとか仕事だとかボランティアだとか、たかが知れいてるし、まぁ良いか、とも思う。
なるようにしかならないし、出来る事が出来る様になる時もどうせ決まっている。
焦ったとて何が良くなるなんて事は無く、余生を淡々とこなすしかないのだろう。

とか何とか初っ端から内情を吐露しているが別に病んでいる訳では無い。
久しぶりにnote書くかーと思いたち、書き始めが思いつかなかった。

特筆点はないが、人生で2人目の推しができた後、なんと2推しもできた。

とてもよい人だ。
役者側の人間なのに、人格者で、いつも正しく、かと言って強く押し付けはしない。
ただ自分の正しさを芯に持ち、揺るがない。
助ける側の人間として振る舞い、自分の弱さを隠し強くありたがる、ナイーブな面も素敵だと思う。

そして彼は、誰にでも優しく、誰にも興味のない人だ。

「誰にも興味のない人」と彼に言うと否定されそうなので言った事はないが、事実私がそうなので、私の解釈だとどうしてもそうなる。

期待していないから、優しくできる。
怒るって期待に対するレスポンスが期待はずれだった時にも起こるからね。
そして私は私に期待しない人が好きだから、2推しの事も好きだ。

ただし彼を恋愛的に好きになる事は無く、私も成長したなと思う。

元推しを好きになったのは、勿論色々な要因はあったものの、ただひたすらに世間知らずだったから、という点も少なからずあった。

元推しからは、それが良い物か悪い物かはさて置き、色々な感情を教えてもらった。
今の私にはその感情の蓄積があり、敬愛と恋慕の違いも分かるようになった。

何も知らなかった。ただそれだけの事だ。

2推しにもまた、色々な事を教えて貰っている。
もう私もいい歳だし、人間的にも成長したいなと思い、諸々頑張っている。
頑張っていると言っても私の出来る範囲の頑張りなので、他人からしたらサボりの範疇の物だが。

1人で悶々と考えるのは性に合っているが、他者との関わりがなければできない事や分からないも多い。
多いと言うか、人間は社会的動物なので、否が応でも同族同士関わり合わなければ生きていけない様になっている。
就活の時もひたすらに感じていた事だ。

なるべく他者との関わりのない仕事を選んだつもりだったが、何故かコミュ力お化けにならなければいけない様な仕事も間々している。本当に何故。

ただ私の様なコミュ障には、多少荒療治でもこれくらいの方が良いのだろうと流れに身を任せている。

届かない愛を求めて苦しみもがいていた私がいつの間にか愛憎を手放していた様に、
もう2度と3次元の推しなんか作らないと心に誓っていた私がどこかの誰かに勝手に救われてしまった様に、
人生、なるようにしかならないのだろう。

何も考えずに書いてるからずっと話が反復横跳びしてる。読みづらい事この上ない。


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