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ユヅキノ*タワゴト vol.1

「私を成長させてくれる人が好き。」

「恋愛対象」を尋ねると、そう返ってくる事がある。
昔は、自分もそんな言い方をしていた。
だからこそ思う。随分甘えた台詞だな、と。

素敵な人に出会うと、この人といるには、努力が必要だ、と感じる。
そうすると、プレッシャーが生まれる。そのプレッシャーは、心地よく自分を制御したり、突き動かしたりする。ダイエットにも近い感覚だ。

綺麗でいたい、人として成熟していたい、仕事の出来る人間でいたい。
プレッシャーの内容は様々でも、その人に認められたい気持ちで自然と努力してしまう。だから結果「成長する」。成長させてくれる人が好き、という事はつまり「刺激を与えてくれる人を求めている」という事なのだろう。

「私を成長させてくれる人が好き。」

これは、受け身の表現だ。「刺激を与えられる」ことや「課題を与えられる」ことを求めている。これではきっと、恋愛の本質に辿り着けない。

相手からの刺激を求め、「成長させてくれる」事を望む。最初のうちは、それでも上手くいくだろう。けれど、続ければ相手を疲弊させる。「次は、どんな刺激を与えなければならないんだろう」と悩ませる。それを知らず「あの人は、つまらなくなった」と言って切り捨て「私をもっと、成長させてくれる人」を探す人たちを、私は知っている。そんなことを繰り返しても、理想の関係には、たどり着けないというのに。

人間関係は鏡だ。与えられたいなら、与えなくてはいけない。「私を成長させて欲しい」と思う前に「私は、何を与えられるだろう」と考えた方がいい。華やかな事、前に進む事、前衛的な事、楽しい事、哲学的な事、それだけじゃない。相手を「癒す」事だって、共に「癒される」ことだって、刺激の一つだ。

恋愛を考える単位は「二人」でありたい。私、ではなく、私と貴方。「してもらう」のではなく、互いに「そうなる」事を求めたい。その為には、刺激という「課題」を、机に座って待っているようでは、いけない。それでは、相手のすべてを知る事は出来ないと思うのだ。些細な言い回しかもしれない。でも「私を成長させてくれる」より、「私が成長出来る」の方が、きっと良い。自分が変わるのは、相手のせいじゃない。自分が変わりたいと望んで、変わっているのだ。それらはすべて自発的な努力の結果。受動態を使うのは、相手に感謝する時だけでいい。

「そうさせてくれて、ありがとう」と。

だから私は、「成長させてくれる人が好き」なんてもう言わない。
相手に「成長したい」と思わせる、そういう人でいたいから。


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